札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

「無知の知」と今日における真理を探求することの重要性

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 1787年、ジャック=ルイ・ダヴィッドによって描かれたソクラテス

ソクラテスの説いた不知の知の自覚とフェイクニュース
無知の知」とは、古代ギリシアの哲学者であるソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)の「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を表現した言葉です。「無知」ではなく「不知」の方が適切であるという論もあります。それは、無知とは知識が欠けることや愚かなことを意味していますが、ソクラテスが自覚しているのは「知らないこと=不知」であるためです。インターネットの流通によって世界中で起こったであろう出来事が比較的短時間にニュースとして多くの方が触れる機会が増えて来ました。このようなブログやSNSを通して、私達はテレビや新聞で流れている報道というある種のフィルターがかかった情報だけでなく編集という作業を通さずに個人が発信する情報に触れる機会も多くなっています。
 一方で先回の米国の大統領選挙ではフェイクニュースという言葉が多く使われましたが、何者かが意図的に情報を操作してそれによって事実が捻じ曲げられて伝わるということが頻繁に起こっているとを多くの人が感じ始めています。ベストセラーになった「サピエンス全史」で知の巨人として世に知られるユヴァル・ノア・ハラリ氏は最新刊の「21Lessons」の中で、「ポスト・トゥルース」の章でこうしたフェイクニュースは現代に特化した特色ではなく何十億の人が2000年以上信じたものは例え虚構であってもフェイクニュースとは言わず、宗教となる場合もあると大胆な表現を用いています。ハラリ氏は、宗教の果たしてきた人類への多大な貢献という事実を決して過小評価しているわけではありませんが、事実に照らしてその功罪についても客観的に述べているのです。ハラリ氏は1976年に生まれたイスラエルに在住するユダヤ人ですが、ユダヤ教も含めて他の一神教全体を歴史の中で客観的に位置づけて、その功罪について冷静な目で明らかにして参ります。それは、宗教に限らずマルクス主義スターリニズムについてもそれによってどれほど多くの人類が犠牲になっていったかを歴史的な事実を通して明らかにしているのです。

何が真実かを見極める目の重要性
 最近観た映画でも「バイス」というハリウッド映画が正にこのフェイクニュースによってもたらせられた悲劇を扱った映画でした。それは米国における9.11同時多発テロからイラク戦争に至る過程で、テロの首謀者はウサーマ・ビンラディン率いるアルカイダであるが、フセイン時代のイラクテロ支援国家であり、大量破壊兵器を製造して米国をはじめとした西側諸国を攻撃しようとしているという根拠のないフェイクニュースがその原因であったことを暴露しています。当時のマスコミは米国の当時の権力者の意図的なフェイク情報を流し続け、結果としてイラク戦争が起きてバクダッドが陥落し、公衆衛生専門家が行った2013年の調査ではイラクでは約50万人の命が直接的、間接的に奪われたと言われています。
 マスメディアだけでなく、個人が情報発信するブログに至るまで私達が目にする情報は多岐に亘っています。例えば地球環境の変動という事実は多くの人々が共有していますが、地球が温暖化に向かっているのかどうか、その主要な原因が人間社会で発生した二酸化炭素が主要な原因であるのかについては、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)などの多くの国際機関が警鐘を鳴らしていますが、もう少し長い目で見れば現在は間氷期であり、氷河期に向かっているという識者もいます。つまり同じ地球上に生きていても、寄って立つ基盤や学説によって全く違った結論に至ることもあるのです。
 私達は全知全能ではない以上、限られた情報の中からできるだけ意図的なフェイクに流されずに自らの理性と持てる知識や知恵によって真実はどこにあるのかを追求せざるを得ません。皆が同じ方向を向いている時には特に注意が必要です。私達は今になって2度の世界大戦、日本にとっては特に太平洋戦争は如何に愚かな戦争であったかを訴えることに殆どの人は反対しないでしょう。では1930年代に日本で生活していた人々の中でどれだけの人が米国との戦争に正しい根拠を持って反対することが出来たでしょう。

人類史を俯瞰して見る目と霊的視野の必要性
 全てのことがわからなくても私達には、一つだけ確かなことがあります。それはソクラテスの言葉を借りれば、自分が不知=「知らないことを自覚する」ということです。その上で、今世界で起こっていること、自分の身の回りで起こっていることは果たして如何なることかを高いアンテナを持って、冷静に極力感情を交えずに理解しようと務めることが重要です。ハラリ氏は、「サピエンス全史」では、人類の過去を見渡し、ハラリ氏の言葉を借りれば、ヒトという取るに足らない霊長類が地球という惑星の支配者となる過程を考察しました。また「ホモデウスーテクノロジーとサピエンスの未来」では、生命の遠い将来を探求し、未来の人類の姿を考察しました。そして、最新刊の「21Lessons」では今、ここ(現代)にズームインしたと述べています。
 まだ著者の三部作全てを読めてはいませんが、実に客観的に今日の人類の姿を偏見を交えずに叙述している点は素晴らしいと思いました。スピリチュアリストの自分として、一つだけ考慮して欲しい点は、今見えている現実という世界が全てではなく、人間は人生を終えた後も永世する存在であり、肉体の死後も霊的世界で永遠に行き続けるという事実です。科学的に証明できない部分もまだまだ多く存在しているとはいえ、誰も否定する根拠も存在しないこの問題も是非考察していただきたいと思います。ただ現代人として世界をどのように見つめるかについては共感することの多い著書でした。現実世界に生きる私達は、様々な情報が絶え間なく行き交う今日の世界にあって、何が真実であるのか、そして宇宙を支配する真理(法則や摂理)とは如何なるものであるかをこれからも謙虚に求め続ける必要があります。私自身、これからも真理を探求し続け、常に謙虚に自分の不知を自覚しながら、理性と今の段階での霊的視野で世界を俯瞰できるように努めていきたいと感じています。