札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

コロナ禍によって暴かれた真実と人類の未来

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新型コロナ問題によって浮き彫りにされた事実

 新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。我が国においては、首都東京を中心に感染者の数が連日過去最高を更新しています。そして世界の感染者数は1500万人を越え、死者は60万人以上となっています。ワクチン開発や治療薬の開発が急ピッチで進められているとはいえ、まだまだ収束への道程は見えていません。この度のコロナ禍は、中国の湖北省武漢から発生しました。この間、新型コロナウィルスが社会に与える影響については、様々な文献を読み、情報を得ました。その中でも、ノンフィクションライターの門田隆将氏の『疫病2020』は秀逸でした。丁寧な取材に基づいて真実の一つ一つをその時々の筆者のツイッターでの発信も掲載しながら、解き明かしていてこの度のコロナ問題の本質に迫った内容でした。その中で下記の内容が特に気になりました。
 2019年12月16日に最初の患者が武漢市中心病院に搬送され、その後の中国共産党当局の隠蔽工作についても克明に明かした救急科主任のアイ・フェン医師の手記が文芸春秋の5月号に全文掲載されています。そのインタビュー記事は中国共産党系人民出版社傘下の月刊誌『人物』に掲載されましたが、発売と同時に回収され、インターネット掲載記事も2時間後に削除されて転載が禁じられたと言います。当局は、人として当たり前の行動を取ったアイ・フェン医師にデマを流すなと言って口封じして、この貴重な情報が広がることを阻止しようとしたのです。そしてこの情報を拡散したとして同病院の眼科医の李文亮医師ら7名の医師は地元警察から訓戒処分を受け、李医師はその後新型肺炎で亡くなってしまいます。その後世界中にパンデミックを引き起こしたのはご存知の通りです。
 このブログではこれまであまり特定の国家やその体制について、明確な批判は控えて参りました。ただその後明らかになった様々な事実を前にして現在の中国共産党政権がこれまで行って来たこと、そしてこれから行おうとしていることが人類の未来に暗い影を落としていることが明確になりつつあることを敢えて皆様と共有させていただきたいと考えました。新型コロナウィルスの感染拡大による生命の危機という事態になって初めて世界は改めて現在の中国という国の本質に目覚めつつあります。

共産主義独裁体制が生み出す災厄
 もし仮に中国共産党の掲げる理念が共産党幹部という一部の特権階級の利益だけでなく、地球人類全体の幸福を追求するものであれば誰も懸念を抱かないでしょう。共産主義ヘーゲル左派の流れを汲んだ弁証法唯物論とそれを階級闘争という歴史観として確立した唯物史観などの思想を背景に19世紀に誕生し、1917年のロシア革命によって社会主義国家が誕生した後に第2次世界大戦を経て世界を2分した全体主義思想体系です。今の中国は東西冷戦の最中、歴史的なニクソン訪中によってその壁がこじ開けられ、1978年以降の鄧小平体制のもと改革解放路線を推進して1991年のソ連崩壊後も、米国を中心とした強力な西側諸国の後押しによって世界の工場として急速にその存在感を高めて今日世界第二の経済大国の地位を占めるまでになりました。これまで私達は、例え体制が違っていても経済発展して隣国の人々が豊かな生活を送るようになったことをあまり違和感を持たずにむしろ歓迎して来ました。
 しかし、その経済成長とは裏腹に現在の中国は国内にはウイグル族などの少数民族に対する壮絶な弾圧や粛清、南シナ海東シナ海などへの軍事力を背景とした実行支配の画策、香港における一国二制度を無視した国家安全保障法制の香港導入などその膨張政策は枚挙に暇がありません。特に習近平主席になってから、その独裁体制が強化され一帯一路の路線も結局は形を変えた覇権主義の影が見え隠れします。そして、この度の新型コロナの初期段階での隠蔽工作とその後の一連の国際社会に対する軍事力と経済力を背景とした威圧的な動きです。まだ真偽は定かではありませんが、武漢ウィルス研究所の関与があったのではという国際社会の疑惑に対しても全く誠意ある対応はしていません。

私達が目指すあるべき世界の姿
 私自身は、今日の自由主義、民主主義の世界にあっても社会問題が数多く存在しており、この状況がベストだとは考えていません。しかし、今日の中国共産党が目指している全体主義独裁体制は21世紀を生きる私達には全く馴染まないものであり、そこに住む多くの中国の人々にとっても、決して持続可能な理想世界ではないと思います。それは、この度のコロナ禍でも、アイ・フェン医師や李文亮医師の勇気ある発信に対して、中国の方々が示した多くの反応によってもその片鱗が伺えます。スピリチュアリズムが示している通り、全ての人類は神の神性を受け継いだ神の分霊であり、それはどのような体制や国家や宗教組織に属していようとその価値は変わりません。
 人類は今、世界的な気候変動の危機、21世紀に入って激化しつつある文明の衝突といわれる民族や宗教による対立、そしてこの度の感染症による健康被害や経済危機など数多くの危機の最中にあります。ある意味では、一人一人がその脅威の中で、何が人生のおいて最も大切なものであるかを問われているとも言えます。そしてその苦悩の中から、真の霊的覚醒を促されているとも言えます。私はこの度のコロナ禍において、私達人類がこれからも地球上に生きる多くの生命の一員として共に存在し続けていくために今何が問われているのかを皆様とともに考えて参りたいと思います。決して平坦な道程ではありませんが、その事を問い続けることこそが地上人類が共にこの危機を乗り越えていく確かな道に繋がっていると信じているからです。

  
 

 
 

「死に至る病」を抱えた現代人の病理とスピリチュアリズム

 

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現代人の病理としての愛着障害 

 最近ケガで入院する機会があり、普段はあまり読まない種類の本を読む機会が与えられました。以前から著者の書籍には興味を惹かれて読む機会があったのですが、特に今回は本のタイトルにも惹きつけられました。著者は精神科医でもある作家の岡田尊司氏で「死に至る病」ーあなたを蝕む愛着障害の脅威ーという単行本です。自分にとっても他人事ではなく、今日の社会全体としても大きな問題となっている愛着障害に焦点を当てたとても考えさせられる本でした。
 「死に至る病」というタイトルですぐ思い浮かぶのが19世紀の中葉のデンマーク実存主義の哲学者セーレン・キルケゴールの同名の書です。キルケゴール死に至る病とは神を信じられないこと、すなわち“絶望”であるとし、絶望には3つのタイプがあるとして個々の人間の心理的な問題だと捉え、絶望を自覚していない人さえも、実は絶望を抱えているとしました。実生活においてもキルケゴール自身は婚約者であったレギーネオルセンと結婚直前に、結婚によって自分の世界が脅かされるという恐怖にとらわれて婚約を破棄してベルリンに逃げ出してしまったこと、その後生涯独身であったことで知られますが、そのキルケゴールが抱えていたのも深刻な愛着障害であったと岡田氏は述べます。
 では、岡田氏が死に至る病と表現した“愛着障害”とは一体どのような病なのでしょうか。自分を傷つけ自殺企画を繰り返す境界性パーソナリティ障害、過食と嘔吐を繰り返したり、死ぬほどやせてしまう摂食障害、薬物やアルコール、買い物やギャンブル、ゲーム、セックスなどへの依存症、意識や記憶が飛んだり、自分や身近な人にも違和感を覚えてしまう解離性障害、慢性のうつが続く気分変調症、急増する発達障害、不注意や衝動性による失敗ばかりを繰り返す大人のADHD現代社会で異様に増加し続けるこれらの症状には、“愛着障害”が関わっていることが明らかになっていると岡田氏は指摘しています。
 子供にとって母親という存在は、世話をしたりオッパイを与えてくれる存在というだけでなく、しがみついて、身をよせることができる存在であり、いったん執着が生まれると、他のものには代えがたい特別な存在になるといいます。この養育者との特別な結びつきを“愛着(attachment)”と呼びます。このことは生理学的にも裏付けられています。“愛着“は、オキシトシンバソプレシンというホルモンによって支えられる生物学的なメカニズムでもあるといいます。このオキシトシンは育児や世話という母性本能に関わるだけでなく、絆を維持することに必須の役割を果たすといいます。このオキシトシンがうまく働かないと、特別な結びつきは失われ、つがい関係が壊れたり、育児放棄をしたりということが起きることが解明されてきたといいます。このように“愛着”が不安定で、オキシトシンがうまく働かないと、ストレスを感じやすく、幸福度が低下するだけでなく、ストレス・ホルモンの分泌が亢進し、心身の病気にもなりやすくなります。“愛着障害”とは、幼少期に主に母親との間に十分な愛着関係が構築出来ずに育っていった子供が成長する過程で生きづらさや様々な精神疾患を抱えやすくなってしまう状態を愛情不足ということだけでなく、生理的な問題としても捉えた用語です。

死に至る病からの解放とスピリチュアリズム
 ここで高度経済成長以降の日本の姿と非婚化、少子化の問題との関連で考えてみましょう。多くの識者は日本の出生率の低下や少子化の原因を経済問題で説明しようとして来ました。確かにそのような側面もあることは事実かもしれません。ただ、戦前や戦後の経済状況と比較して経済的に決して貧困とはいえない現在の若者が結婚して子育てをする環境でないことを経済問題だけで説明することは難しいと思います。愛着とは別の言い方をすると世話をする仕組みだと岡田氏は述べています。そして経済的にはこれまでよりもずっと豊かになったはずの現代人が世話をするという行為に喜びが乏しくなり、愛着の仕組みが豊かな人にとっては苦痛と思わない子供を育てたり、人の世話をするということが義務や苦痛としか感じられない人が増えて、安心と信頼の絆が崩壊しつつあることを示しているのではないかと述べているのです。
 自分の子供の頃を振り返ってみても、幼少期は隣近所の家庭と常に往来があって貧しいながらもまるで家族のような付き合いをしていたように思います。それが自分自身が子育てをする時代になると、経済的には自分の子供時代よりは社会全体としては恵まれていたと思うのですが、それでも近所付き合いは殆ど希薄化して隣の人が何をしている人かわからないという状況が進んで来たように感じます。個人情報保護ということが強調されて、周りの人に対する関心が薄れ、家庭も大家族という形態が少なくなって最小単位になって来たようにも感じます。社会全体が愛着という人として不可欠な安心と信頼の絆をあまり重要視せずに経済成長という価値観を重視してきた結果が今日の生きづらさを感じる社会を築いてしまったと言えます。コロナ禍によって、リモートワークということが提唱され、高度情報化社会が更に進んでいくと働き方も更に多様化してくることが容易に予測できます。ただここで私達が立ち止まって考えなくてはならないのは、親子関係や隣近所、更には会社やコミュ二ティにおける人と人との信頼の絆をこれまで以上に重要視して、互いに絆を深めていく共有や共同という価値観の普及ではないでしょうか。
 スピリチュアリズムでは、その現実世界で最も大切な価値観を利他主義と表現しています。そして人間にとって地上生活はやがて訪れる肉体の死という過程を経て永遠に続いていく霊的生命に至る過程であり、そこで最も大切なのは霊性の向上であるという価値観が基本となっています。現代人が漠然と抱えている不安や生きることの意味を感じられない根本的な原因は、こうした人間観の欠如、そしてそのような私達を温かい目で見つめている目に見えない存在への絶対的な信頼の欠如ではないでしょうか。キルケゴールは自ら愛着障害を抱えながら“死に至る病”を神を信じられないことから来る絶望であると表現しました。岡田氏が述べているように現代人の抱える様々な精神的な病理の背景には“愛着障害”という問題が深く関わっていることは間違いのない事だと思います。ただもっと根本的な問題は、スピリチュアリズムの示している正しい人間観や人生観、世界観の欠如ではないでしょうか。永遠の価値を有する人間とは何かという疑問への明確な答えを人々が見出し、宇宙を貫く真理とは何かという問題を多くの人々が共有し、互いをいたわりあい、育みあう社会を実現していくことによって初めて人生に真の意味を見出すことが出来て、“死に至る病“を克服できると確信しています。私自身、まずは身近な家族の絆から見直して行きたいと思います。

 



 

 

 

アフター・コロナの時代に求められる価値観とは

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 マルタ会談でのソ連ミハイル・ゴルバチョフ大統領と米国のジョージ・ブッシュ大統領

冷戦終了から30年を経てカオス化する世界
 最近、アキレス腱を断裂してしまう怪我をして入院することになり、コロナ禍の非日常に加えて、治療のために入院するという機会が与えられ更に内省の時を迎えています。世界は今感染症のリスクだけでなく、東西冷戦が終結した1989年前後から30年を経て今また21世紀型の新しい社会経済システムに向けて激動の時代の幕を開けようとしています。健康被害や経済的被害は局地的でなく世界全般に及び、まるで地球環境の激変と呼応するかのように未来が見えないカオスのような状態になりつつあると言っても過言ではありません。
 考えて見れば1945年の第2次世界大戦の終了から1989年までは、自由主義共産主義というイデオロギーを軸として経済システムとしては資本主義経済と社会主義計画経済という明確に色分けされた米ソ両超大国による東西冷戦構造が続きました。果てしなき軍拡競争の中、核兵器を中心とした大量破壊兵器の脅威の中で米ソは相互確証破壊(Mutual Assured Destruction:MAD)の相互抑止戦略によって長期に亘る冷戦が展開されたのです。特に共産圏諸国は鉄のカーテンと言われた情報遮断によって人の交流も情報の交流もストップして、両者は朝鮮動乱やベトナム戦争アフガニスタン戦争などの代理戦争を通して、米ソに代わる間接的な局地戦が戦われたと言えましょう。
 その東西冷戦の最中世界の覇権を狙う米ソ両国の情報戦を扱ったのが007などのスパイ映画であり、私も少年期、青年期をそのような中で過ごしました。夏期・冬季に開催されたオリンピックもそうした冷戦の中で、4年に一度はスポーツの祭典で一時の平和を実感する時でもありました。こうした状況の中、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故では書記長であるゴルバチョフのもとになかなか情報が届かず、ソ連セクショナリズム・秘密主義が、国の最高指導者の行政にまで影響を与えている現実を突きつけ、業を煮やしたゴルバチョフによって、体制の硬直化による種々の社会問題を解決するために、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われました。これがペレストロイカであり、その情報政策が情報公開(グラスノスチ)でした。結果としてこの政策がソ連邦共産主義社会の崩壊へと結びつきその象徴的な出来事が1989年のアメリカのジョージ・ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領の間で行われたマルタ会談であり、東西に分断されていたドイツのベルリンの壁の崩壊です。
経済至上主義に変わって求められる新しい価値観
 それから30年世界は一気にグローバル化に拍車をかけて、ソ連崩壊によっても共産主義というイデオロギーの旗を降ろさなかった中国と北朝鮮を残して西欧型の自由主義・資本主義システムが世界の大半の国々の考えとなったかに見えました。中国も1989年の天安門事件によって、一時国内が騒然としたもののその後は世界の工場としてある意味で、イデオロギーの枠を越えてグローバル・サプライチェーンの一翼を担うようになりました。この間、世界はイデオロギーというよりも民族間の、更には宗教的・文化的な違いによる対立を深め、2001年9月11日に生じた米国同時多発テロによって、いみじくも米国政治学者のサムエル・ハンチントン教授が1996年に「文明の衝突」という書籍で主張したようにキリスト教文明圏とイスラム教文明圏との間の文明の衝突のような様相を呈したのです。
 世界経済はこの間にも、1997年のアジア通貨危機や2008年のリーマンショックなどグローバル化した資本主義の矛盾が噴出するようになり、2010年代は資本主義諸国のサプライチェーンの中で経済成長を遂げた中国がその影響力を行使し始め、ここ数年一帯一路の路線を掲げて、米国を中心とした世界秩序に対して独自の影響力を行使しようとして今日の米中対立・覇権争いの状況を迎えたと言えましょう。ただこの間、グローバル化した資本主義社会の中で、EUブレグジット問題や米国におけるトランプ政権の誕生に見られるように資本主義経済の中核を担う国々の中にも、貧富の差の増大による対立の激化が進行し、東西冷戦で勝利したはずの自由民主主義の根幹的な経済システムである資本主義というシステムそのものに翳りが見えてきたとも言えます。
 この度の新型コロナウィルスによる世界への影響によって、こうした国際秩序の根幹を占めるグローバル資本主義のもともと抱えていた矛盾が噴出し、第2次世界恐慌とも言われる大きなショックを経過して、一気に次の時代の社会経済システムに向けて世界の大転換が行われているように私には思えるのです。今人々が本当に求めているのは、一つの超大国による支配でもなく、一つのイデオロギーによる統制でもなく、利潤追求という資本主義の根幹をなすふるまいでもないように思います。人々は、今のままでは崩壊に向かいつつある地球という惑星の住民として、ともに共創し共生しながら相互に理解しあい、地球人類同胞として力を合わせていく価値観に大きく変容することを求められているのではないでしょうか。コロナ禍がこれまでの価値観に変容をもたらし、地球人類全体としては先回のブログで述べたようにあまり時間が残されていないことを自覚して新しい建設的な秩序の構築に向けて歩み出すきっけになればと考えるのは私だけでしょうか。かつて バックミンスター・フラーが提唱した概念である「宇宙船地球号」の乗組員であるという自覚に目覚め、目の前の自分(自国)の僅かな利益のために悠久なる歴史の意味を考えずに、時間を無駄にしてしまわないように願ってやみません。

 

悠久の歴史の中で“今“という時を生きる私達

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迫りくる脅威への対処

 徳川家康が残した名言に「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。」というものがあります。最近、果てしない人生行路を「シルバーバーチの霊訓」を始めとした高級霊からのメッセージを人生の指針として歩む中で、当初はその理想とすべきところがあまりにも今の自分の心の現状から見て、遠い至高なものと捉えていた時は重荷とさえ感じたこともありました。長年その指針を掲げながら歩んでいく中で、精神的な安定と絶対的な確信が芽生えて来る中で、少しづつ重荷ではなくまだまだ先は長いと感じますが、目指すべきゴールの輪郭がうっすらと見えて来たようにも感じます。
 新型コロナウィルスによる世界規模のパンデミック、さらに国境の封鎖やグローバルサプライチェーンの分断、緊急事態宣言による営業自粛の影響などでリーマンショックを上回る世界規模の景気後退が深刻な影を私達の生活にもたらしつつあります。こうした状況は今後暫く続くと思われ、出口が明確に見えない不安が世界を覆っています。こうした感染症の拡大に端を発した人々の生存を脅かす脅威というのは、これまでの人類史を振り返ると繰り返し襲って来たことがわかります。その都度私達の祖先はその脅威に打ちひしがれながらも、必死の努力を重ねて現在に至っています。

「地球に住めなくなる日」(The Uninhabitable Earth Life after Warming)の描く未来
 21世紀を生きる私達人類にとって、この感染症の脅威と比較して今日、明日ということではなくても確実にその姿を表しつつあるのが気候変動の脅威です。2020年3月に発刊されたアメリカのシンクタンク(新米国研究機構)ナショナルフェローのデビット・ウォレス・ウェルズ著の「地球に住めなくなる日」は思っているより深刻な気候変動の実態を描き出しています。地球温暖化がもたらすのは殺人的な熱波、大気汚染、経済破綻など気候崩壊と表現して、グローバルな気候崩壊の連鎖の危機を述べています。新人世(人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端を起点として提案された、想定上の地質時代)と表現されることもある今日、人類が地球環境に与えるインパクトは、過去のどの時代にも増して増大しています。その最も象徴的な問題が人々の社会経済活動のグローバル化に伴う二酸化炭素排出量の増大と温室効果による気候変動リスクです。著者はあとがきの中で、カルフォルニア州の山火事で灰になった面積は1970年代の5倍に達していると述べ、2050年までにロサンゼルス大都市圏は完全に灰になるかもしれないと忌まわしい未来を予測しています。
 この度の新型コロナウィルスへの世界の人々の反応は国や地域によって対応は異なります。ただ感染症によってもたらされる生活の変容、後戻りできない現実への対応という面では、世界中の全ての人々の生き方に影響を与えつつあります。そして世界は既に今の現状のまま変化しなければ持続可能ではないということを日々学ばされているともいえます。これまでの経済優先、利潤追求型のある意味で利己的な価値観から、他者を重んじる利他性を中心とした価値観、医療崩壊を防ぎ、他者の安心・安全を自らの問題として受け止めて行動を変容するという価値観が多くの人々に共有されつつあります。居住している地域、属している国、そして地球全体に意識を広げて自分は何ができるのか、企業や団体であればその集合体として何ができるのかを真剣に考えざるを得ない時代に入ったともいえます。それは、気候変動のリスクに対しても自分の問題として取り組むということにも通じます。
ポスト資本主義時代の人生観、価値観とは
 これまで私達が恩恵をこうむって来た資本主義社会の競争原理やグローバリズムは、世界の多くの人々に働く機会の提供や貧困からの脱出などプラス面も多くありました。更に先端的なテクノロジーは生活の質を飛躍的に向上させてくれました。その意味で資本主義システムは、うまく機能して来た面もありました。ただ、特に近年経済のグローバル化は、格差の増大や感染症の拡大や二酸化炭素の排出増による気候変動のリスクの増大、国益国益のぶつかりあいなど不都合な現実も露呈しつつあります。今回のコロナ禍は、こうしたグローバル資本主義のもともと抱えていた矛盾や課題を鮮明にした出来事ともいえます。様々な困難を抱えた今日、これまでの競争原理による利潤の追求という価値観からどのように転換していけば良いのでしょうか。
 それは私達が多くの隣人とともに地球に住み続けて行くためには、競争から共生へ利潤の追求による経済価値の増大という志向性から、他者との共存による社会福祉の増大という志向性への転換が求められているのではないでしょうか。生命が肉体の死によって途切れるのではなくその後も霊として永久に存続するという価値観、物質経済至上主義からスピリチュアリズムが提唱する価値観への転換こそが今人類に科せられた最大のテーマなのではないでしょうか。「地球に住めなくなる日」が来ないように日々微力ながら努めて参りたいと思います。

 

 

第二次世界恐慌(コロナ恐慌)の世界を生き抜く価値観とは

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パンデミックと世界経済恐慌の危機に直面する現代人

 ここ数回のブログでも述べさせていただいた通り、中国の武漢市から感染が始まり世界中にパンデミックを引き起こした新型コロナウィルスによる災害は、人類全体への脅威となって参りました。そして1929年にアメリカのウオール街から始まった世界大恐慌にも匹敵し得る被害を経済に与えてしまう懸念から、第二次世界恐慌という言葉を使い始める方々もおられます。疫病の蔓延という危機に留まらずに、これだけ世界経済に激震が走っているのは、今日の世界がグローバル化しており、感染の防止のためのロックダウン(都市封鎖)や国境封鎖、移動の制限が長期化した場合に、ほぼ全ての人々の生活に重大な危機が訪れるという状況が見えて来たからです。勿論1929年の頃とは科学技術や医学のレベルは全く違いますが、交通・通信・市場等のグローバル化によってむしろどこかの地域で生じた災害や感染症や金融の危機が世界中に波及してしまうリスクが当時よりも格段と増加しているとも言えます。現在のコロナウィルスが引き起こしたパンデミックと経済恐慌の危機を人類は果たして乗り越えることが出来るのでしょうか。そのためには、私達は、どのような人生観、価値観を身につけていかなくてはならないのでしょうか。今回は、その事について考えてみたいと思います。

 この問題を考察するに当たって、病気や感染症について、また経済問題については多くの専門家の皆様が様々な提言を行っているので、その中で正しい見方をしていると思ったものを指針として是非生きていく上でのヒントを得ていただきたいと思います。この度私はもう少し大局的な視点つまり人類の歴史の大きな流れと近未来の社会で求められる人生観、価値観という視点から私見を述べさせていただきます。少し長文となると思いますが、最後までお付き合い下さい。私はこのブログを書くに先立って昨年9月23日に書かせていただいた( https://silver18.hatenablog.jp/entry/2019/09/23/232452)『思考のすごい力』の著者であるブルース・リプトン氏が2014年に発刊された『思考のパワー』ー意識の力が細胞を変え、宇宙を変えるーという本を読ませていただきました。ブルース・リプトン氏はスタンフォード大学等で教鞭をとるアメリカの細胞生物学者で細胞膜に関する研究でエビジェネティクスという新しい分野の端緒を開き、科学とスピリットの架け橋となった新たな生物学の世界的権威でもあります。

精神世界と物質世界のバランスと人類歴史の変遷

 リプトン氏は、序章ー進化すべき時ーの中で「呼吸する空気も飲み水もすべては相関関係にある「エコシステム」の一部なのに「(自分のことだけを考える)エゴシステム」で暮らし続ければ、この不都合な事実(世界的な様々な危機)に対処できなくなるだけだ。」と述べて、今日の人類のもつ究極的にはエゴイズムと物質的なものと精神的なものとを分断して考える価値観では、世界が今陥っている危機には対処出来ないと述べているのです。つまり今日の世界の危機の本質は、世界の現実を一面的な誤った価値観でしか認識できず、物質的な狭い視野に偏った価値観で突き進んで来た結果、今の現実が起こっているのだと述べているのです。
 人類の非物質(精神的)な領域と物質的(物理的)な領域の歴史を振り返って見ると今の現代人が置かれている状況を理解することができます。人類文明の発祥と言われる原始文明(紀元前8000年頃)は石器時代新石器時代と言われ、アニミズム(汎神論)という古い宗教的習慣に基づく物質主義と精神主義のちょうど真ん中の領域でバランスがとれた文化の時代と言えます。リプトン氏は、このバランスの取れた状態が実は最も現実の世界を正しく反映していると述べています。その後、人間が自分自身とそれ以外のものの違いをはっきり認識し始め、物質的世界から分離された精神世界は、それ独自のエネルギーを持つようになりました。紀元前2000年頃、アニミズムという調和の取れた社会から暫くして、たくさんの神を精神世界に取り入れて多神教の時代が訪れます。その頂点を極めたのはギリシアの神や女神が人間的でありながら、人間を超える力を示したギリシア神話の世界です。この時代の代表的な哲学者として著者は2人の人物を紹介しています。一人は宇宙は空間に浮いている原子で出来ていると述べたデモクリトスで、もう一人は宇宙は物質の領域に対して非物質の領域があり、思考は非物質の領域で作られ、物質的世界は非物質な世界で作られた完璧なものに似せた影のような世界だとしたソクラテスでした。
 この多神教の時代から更に精神世界の領域に進み、精神世界が全面的に強調され、物質世界は天罰を受ける場所だとする一神教の時代が訪れます。ユダヤ教キリスト教イスラム教など今日世界中の多くの人々が信奉する世界宗教はこの時代に誕生し、今尚多くの人々の価値観に多大な影響を与えています。しかし、宗教にたくさんのルールができ、父なる神の名のもとに拷問や制圧までされるようになるとやがては教会自体に絶対的な知識が不足し、自滅の道を歩むことになります。1517年にマルティン・ルターが教会の堕落した実情を告白したのをきっかけにプロテスタントによる宗教改革へと繋がり、デカルト、ベーコン、ニュートンらが登場し、科学が物質的な宇宙を明らかにしていくと、人間の進化の道は精神世界からどんどん離れていくようになります。
 17世紀の後半から18世紀にかけて、人間の進化の方向は精神世界と物質世界のバランスの取れた中間点の文明に向かって折返しました。当時西洋では、一神教の宗教的な伝統よりも、理論と個人主義を重んじる啓蒙主義の時代が訪れます。著者はそのおおもとは、フランス人哲学者のジャン・ジャック・ルソーネイティブアメリカン汎神論の研究によるものだったといいます。こうした自然神信奉者の哲学にネイティブアメリカンからの要素を直接、それも詳細に取り入れたアメリカ独立宣言と憲法には、宇宙の精神的な真実と物質の原理が絶妙なバランスで織り込まれているといいます。しかし、そこからあっという間にバランスの取れた中間点を超え、世界中が物質世界の領域にどんどん移行していったのです。
 科学が支配する世界では、神は地球のはるか遠くにいるので、神がいてもいなくても世界は動きます。続いて起こった産業革命やテクノロジーの発明で神の存在は少しづつ姿を消していきました。そして19世紀半ばにイギリス人の自然主義チャールズ・ダーウィンが登場したことにより物質主義の文明の中で最大のパラダイムシフトが起きました。ダーウィンの「種の起源」によって人間は原始的な姿から何百万年の間生き残りをかけて、果てしない戦いを通して出来上がった様々な遺伝子の中からその戦いを勝ち抜いたものが自然淘汰されて出来上がったとされました。この進化の理論を科学的な真実として受け入れられると文明は教会から最高権力の地位を剥奪し、科学的物質主義を取りはじめ、物質主義者の考え方こそが公的な真実を語るものだとされました。人類は物質のメカニズムを理解すれば宇宙やその他生命の秘密を全て解明できると期待したのです。

物質から精神へ移行を始める現代文明

   この物質主義の文明が頭打ちになったのは、1953年生物学者のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの2重螺旋構造を発見し、生命の究極的な秘密を解明したと述べた時でした。両名は細胞の遺伝的な要素を解明し、生命の物質的側面を定義したのです。それから50年以上、神格化さえされてきたテクノロジーが、今度は想像できないほどマイナスの影響をもたらし、現代人はその副作用に苦しんでいます。科学による物質主義を最大限に利用しようとした最終段階が科学者たちと投資家たちによって進められたヒトゲノムプロジェクト(HGP)でした。このプロジェクトはネオ・ダーウィン説を唱える分子生物学者たちが理論づけた、人間を作るのに必要な15万個に及ぶ遺伝子を確定しようとしたものでした。しかし、2001年にヒト・ゲノムが完成してわかったのは、人間に必要なのは、たった2万3千の遺伝子で、残り12万5千の遺伝子の存在は、ネオ・ダーウィン説での基本的なプログラムの捉え方に明らかに欠陥があるというものでした。
 そして、物質である遺伝子が運命を決定しているという誤った考え方に取って代わって生まれた最新の科学「エピジェネティクス」では、ある器官を持つ生物と遺伝子の振る舞いは、その生物を取り巻く環境との相互作用に直接的な関係があるとしています。遺伝子による支配というよりも、生命は環境をコントロールして自らの生体をもコントロールして運命を変えていけるというのです。人の運命を決めるのは、遺伝子ではなくて意思の力であり、信念の力であるというのです。
 リプトン氏は、一神教も科学的物質主義も本質的に人間を自然から切り離してしまった点ではともに限界があったと述べます。そして今求められているのは、物資と精神のバランスの取れた地点であるといいます。物理学では量子論が示すように精神と物質、量子と波が共存する世界こそがその本質であると定義しましたが、その世界が今私達の眼前にその姿を表しつつあります。著者は、生命はエネルギーの波と物質の粒子が十分に存在していた真っ只中、「ゼロポイント」と呼ばれる状態から生まれたといいます。生命は光合成によって天から降り注ぐ光と地上の物質を融合することができるようになり、太陽光エネルギーが物質の中に蓄積されるようになって誕生していったといいます。今日、新たな人間社会が出現すべき時を迎えています。そして人類は、正しく進化するか、滅亡するかの瀬戸際に立たされているというのです。

今の時だからこそ私達が思いをめぐらすべきこと

 話を現実の世界に戻します。今日、私達は物質文明の真っ只中にあって、何か違和感を感じながら生きて来ました。確かに過去の人類と比べると、科学技術の恩恵の中で便利で効率的な社会を築き上げて参りました。しかし、視点を変えてみれば、毎年巨大化する台風を始めとした地球規模の気候変動、今世界を震撼させているコロナウィルスのような感染症の脅威、豊かさを求めて来たはずの経済を主体とした弱肉強食の競争原理に基づく市場原理主義が露呈しつつある様々な矛盾、誤った教義(唯物主義や宗教原理主義など)に基づき人が人を支配する世界など、全ては自然の摂理に反した人間の行為が引き起こした現実の姿であると今の私には思えるのです。私達の住む世界は精神と物質のどちらにも偏ることのないバランスの取れた愛と調和に基づく宇宙の永遠の真理によって運行されることによって、本来私達が求めてきた理想の世界に近づくことが出来ると感じます。新型コロナウィルスのもたらす疫病への恐怖、そして世界的な経済危機など今私達の目の前には一見すると絶望的な状況が広がっているように見えます。しかし、それは霊的真理という自然界を支配する神の摂理を人類が正しく理解し、産みの苦しみの中から、より本質的な姿に進化する過程で生じていることかもしれないのです。是非、苦難の中には真の喜びと永遠不変の真理に至るヒントが隠されていることを思って共に試練を乗り越えて参りましょう。

 最後に人生の指針としているシルバーバーチの言葉を皆様と共有致します。どうぞ今苦しみの中にあって明日への希望も持つことができずに身悶えしている魂に、高級霊からの真理の言葉が届きますことを願ってやみません。

『そこに、あなた方にも肝に銘じていただきたい教訓があります。真理のために闘うものは最後は必ず勝利を収めるということです。善の勢力をすべて封じ込めることは絶対できないからです。一時的に抑えることはできます。邪魔することもできます。進行を遅らせることもできます。しかし真理を永遠に破壊したり、あるべき位置に落ち着くことを阻止し続けることは誰にも出来ません。これは宗教に限ったことではありません。人生のあらゆる面に言えることです。何ごとにつけ誤った説に抵抗し、偽の言説を論破し、迷信に反対するものは決してうろたえてはいけません。全生命を支え、最後の勝利を約束してくれる永遠にして無限の霊力に全幅の信頼を置かなければなりません。』

シルバーバーチの霊訓 3巻3章より)

 

シルバーバーチの霊訓の原点に触れたいと感じた方は、下記のサイトをご覧下さい。このサイトには、スピリチュアリズム普及会の皆様が自費出版している世界三大霊訓(『シルバーバーチの霊訓』、アラン・カルデックの『霊の書』、モーゼスの『霊訓』)をはじめ、一流の霊界通信と入門書が無償で全文掲載されています。

スピリチュアリズム普及会第2公式サイト スピリチュアリズム・ブックスhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/


 

 

私達人類に課せられたコロナウィルスとの闘いに向けて

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 先回のブログを書いた頃にも、新型コロナウィルスの問題は大きな脅威でありましたが、4月1日の現時点では、どの問題にも増して私達の衣食住も含めた社会生活全てに関して重大な脅威となりつつあります。この間、日々刻々と移り変わる状況を直視しつつまた様々な方々の発信する情報の中から、真に利他性と客観的なエビデンスに基づく情報発信について主にインターネットの中で探して参りました。あまりにも変化の速度が早いので、この世界的な脅威に対して多くの人々が手に取ることができる書籍がまだ見当たらないからです。パンデミック世界大恐慌、都市封鎖など日常とはかけ離れた言葉が世界を駆け巡り、様々なデータは出てきているものの実際は何が真実なのか、我々は今どう対処しなければならないかについてヒントになる提言はないかと探し回った中で、とてもヒントになる提言をしているブログを発見しました。それは、iPS細胞の研究で2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞された京都大学iPS細胞研究所山中伸弥教授の開設された「山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信」のページです。

 この中で、山中教授は「ウイルスとの闘いは、有効なワクチンや治療薬が開発されるまで手を抜くことなく続ける必要があります。1年以上かかるかもしれません。マラソンと同じで、飛ばし過ぎると途中で失速します。ゆっくり過ぎると勝負にならず、ウイルスに負けてしまします。新型コロナウイルスを制圧することはもはや困難です。受け入れるしかないと私は思います。社会崩壊も、医療崩壊も起こらない形で、ゆっくりと受け入れる必要があります。」と述べられ、新型コロナウィルスとの闘いを1年以上続くかもしれないマラソンに例えて、その間手を抜くことなく続ける必要があると述べています。そして、この闘いに打ち勝つには肌の色や国の違いを超えて全ての人類が共通の認識に立って真に協調して立ち向かっていかなくてはならないことを述べています。今は政治的な対立や利害対立を一旦横において、人類全体の叡智を振り絞って立ち向かっていかなくてはならないのです。

 今から100年程前に人類を襲ったスペイン風邪と呼ばれるインフルエンザは1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染したとされ、死者数は1,700万人から5,000万人との推計がある程の人類史上最悪の伝染病の1つでした。その後人類は1929年の世界大恐慌、そして1939年に勃発した第2次世界大戦へと悲劇の道を辿っていくことになるのです。もちろん、当時と比較して医療の技術は飛躍的に発展し、科学技術は比較にならないほど進歩して来ました。また20世紀の2度の世界大戦を経て、人類は戦争の引き起こす余りに多くの悲劇と平和であることの尊さを多大な犠牲の上に思い知った筈でした。この度のパンデミックが起こる前の状況を考えると東西冷戦が1989年に一旦終了した後に、世界は経済的には貧富の格差の増大、地球環境リスクの増大、更に人種間、民族間、国家間、そして宗教的価値観の対立によって次第に持続可能でない状態になりつつありました。そのような状況の中で2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で提唱された「SDGs」はこうした状況の打開を目指した目標でしたが、その後も世界の対立や分断は絶えず続いていました。


 こうした状況の中で、新型コロナウィルスが発生し、人類は他の全てのことを横においてでも、共通の敵に立ち向かっていかなくてはならない状況を迎えたのです。ちょうどシルバーバーチの霊訓が世にもたらされたのは今から100年前の1920年頃からでした。私は一人のスピリチュアリストとして、この度の新型コロナウィルスの脅威は偶然に起こったようには、思えません。圧倒的多数の方はそうではないと思いますが、今日社会に蔓延する物質中心の価値観、他の人の人権を軽視して抑圧するような価値観、地球上に住むあらゆる生命と協調するどころか利己的な動機で搾取するような価値観では立ち行かなくなったことを全ての人類が悟る時であることを示しているように感じます。そして何よりも人間の本質が霊であり、永遠の生命を宿した存在であること、すなわち霊的真理に立脚した本来の人生観、価値観を取り戻す時が近づいていると強く感じるのです。

 シルバーバーチ第2次大戦の最中の交霊会で以下のように述べています。(シルバーバーチの霊訓の第3巻第2章「悲しい時、苦しい時こそ」)「こうした時こそ、われわれ霊的法則の働きを知った者が、霊的真理こそが人間にかつて想像もしなかった高い視野を与えてくれること、心の中に消そうに消せない炎を灯してくれること、最後は霊的光明が勝ち、自由を我がものとすることができることを説いて聞かせるべき時です。」と交霊会に参加される方々を励ましております。偽りの繁栄、偽りの価値観は真実の前には、何の力もありません。この度の事態を通じて私達は、この試練を霊的成長の糧として、乗り越えていかなくてはなりません。私達は決して孤独な存在ではありません。私達が与えられた環境の中でこの試練を乗り越えていこうと努めるならば、必ずや常に私達を暖かく見守っておられる守護霊や背後霊や高級霊の皆様が背中を押してくれるはずです。ともに手を携えてこの未曾有の試練を乗り越えて参りましょう。

山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html

 

「感染症の世界史」の読後感と今人類が直面している脅威

 

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 先週末に石弘之氏著の「感染症の世界史」を購入し、先程読み終えました。読んだ動機は、今世界的な脅威として私達の日常生活にまで様々な影響を与えている新型コロナウィルスの問題について、現在進行形でのみ一喜一憂するのではなく人類史の中で俯瞰してこの問題を考えてみる必要性を感じたからです。人類は、これまでの歴史を通して、絶滅の危機も含めて何度も様々な脅威の中を生き抜いて来ました。飢餓や世界大戦、地震津波、火山の噴火などの自然災害、急激な気候変動、そして感染症の世界的流行、経済危機など様々な脅威です。筆者の石弘之氏は東京大学卒業後、朝日新聞社に入社、その後東京大学北海道大学大学院教授、ザンビア特命全権大使などを歴任し、その間アフリカ、アマゾン、ボルネオ島などで長く働きマラリヤコレラデング熱アメーバ赤痢など様々な熱帯病の洗礼を受けたといいます。半世紀の間、環境問題に取り組んで来ましたが、病気の環境史に挑戦したのが本書であるといいます。

 この本を読み終えて、私達が世界史や日本史で学んで来た表舞台の様々な出来事の背後に感染症との闘争の歴史が綴られてきたことを改めて体系的に学ぶことが出来ました。そして今私達が戦っているウィルスとの戦いは、こうした人類と微生物との戦いの延長線上にあり、これからも続けられていく戦いの過程にいるということを再確認させられました。石氏は、まえがきの中で「私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った『幸運な先祖』の子孫である。そのうえ、上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、様々な対抗手段によって感染症と戦ったきた。それでも感染症は収まらない。・・人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すれば、微生物もそれに対抗する手段を身につけてきた」と述べています。そして感染症が人類の脅威となってきたのは、農業や牧畜の発明によって定住化し過密な集落が発達し、人同士、人と家畜が密接に暮らすようになってからだといいます。

 この度の新型コロナウィルスは中国の武漢から広がりました。この本は2014年に出版されたものを2017年に加筆・修正のうえで文庫化したものですが、石氏は終章の『今後、感染症との激戦が予想される地域は?』の中でお隣の中国と、人類発祥地であるアフリカであると述べています。中国はこれまでも何度も世界を巻き込んだパンデミック震源地になってきたといいます。過去3回発生したペストの世界的流行も、繰り返し世界を巻き込んできた新型のインフルエンザも、近年急速に進歩を遂げた遺伝子の分析から中国が起源と見られるといいます。WHOとユニセフの共同調査によると中国では上水道と下水道を利用できない人口は、それぞれ3億人と7億5000万人に達するといいます。つまり公衆衛生上深刻な問題を抱えているのです。筆者は、今日の事態を数年前に予測していたと言えます。それに加えてこの度の感染拡大では、初期の段階で中国政府による情報の隠蔽があったということも指摘されています。これは私見ですが、思想や武力や権力によって人々を抑えつけようとして来たことが、今回の事態を拡大させてしまったことを多くの人々の知るところとなってしまったように思います。

 さて、私達はこうした人類の感染症との戦いの歴史を踏まえた上で今日の脅威にどのように対峙していくべきなのでしょうか?これは私自身が今最も感じることなのですが、今日本の多くの人々は自分が感染するということよりも如何に人に感染させないようにするかということに対して最も意識を持っていると思います。軽い症状でも人にうつす可能性があれば、なるべく外出を控え、一人でも感染者を減らし重篤になってしまう人を一人でも減らそうと社会全体が取り組んでいます。経済的な面や、通常の生活と比べれば不便なこともありますが、皆今の時を耐えて他の人々に苦しみを与えないように国を上げて出来るだけのことをしようと努めています。その姿を見ていて昨年の北海道胆振東部地震の直後に北海道におけるブラックアウトの時を思い出しました。あの時も人々は、パニックになることなく冷静に行動していました。それは、自分たちが日々過ごしている社会や周りの人々との信頼や共感に基づく連帯感というものだと思います。決して強制的にやらされているのでなく、自然に対処していると思うのです。

 今日本は感染症の脅威という国難にあります。これからも自然災害や、経済危機、また他国からの脅威など様々な困難が私達の前には待ち構えています。私達がこうした脅威を前にして、立ち向かっていくことが出来るとしたらそれは他者を思いやり、共感し、他者の痛みを我が事ととして感じ取ることができる利他愛に基づく人生観をしっかりと身につけることではないでしょうか。真の国力とは経済力や軍事力という目に見える力ではなく、人と人との信頼を核とした目に見えない力による強い絆なのではないでしょうか。スピリチュアリズムを学ぶ中で、私は今そのことを日々自分に言い聞かせながら多くの人々と共に戦っていきたいと感じています。これから生まれて来る子孫から『幸運な先祖』と言ってもらえるような生き方を目指して。