札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

アフター・コロナの時代に求められる価値観とは

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 マルタ会談でのソ連ミハイル・ゴルバチョフ大統領と米国のジョージ・ブッシュ大統領

冷戦終了から30年を経てカオス化する世界
 最近、アキレス腱を断裂してしまう怪我をして入院することになり、コロナ禍の非日常に加えて、治療のために入院するという機会が与えられ更に内省の時を迎えています。世界は今感染症のリスクだけでなく、東西冷戦が終結した1989年前後から30年を経て今また21世紀型の新しい社会経済システムに向けて激動の時代の幕を開けようとしています。健康被害や経済的被害は局地的でなく世界全般に及び、まるで地球環境の激変と呼応するかのように未来が見えないカオスのような状態になりつつあると言っても過言ではありません。
 考えて見れば1945年の第2次世界大戦の終了から1989年までは、自由主義共産主義というイデオロギーを軸として経済システムとしては資本主義経済と社会主義計画経済という明確に色分けされた米ソ両超大国による東西冷戦構造が続きました。果てしなき軍拡競争の中、核兵器を中心とした大量破壊兵器の脅威の中で米ソは相互確証破壊(Mutual Assured Destruction:MAD)の相互抑止戦略によって長期に亘る冷戦が展開されたのです。特に共産圏諸国は鉄のカーテンと言われた情報遮断によって人の交流も情報の交流もストップして、両者は朝鮮動乱やベトナム戦争アフガニスタン戦争などの代理戦争を通して、米ソに代わる間接的な局地戦が戦われたと言えましょう。
 その東西冷戦の最中世界の覇権を狙う米ソ両国の情報戦を扱ったのが007などのスパイ映画であり、私も少年期、青年期をそのような中で過ごしました。夏期・冬季に開催されたオリンピックもそうした冷戦の中で、4年に一度はスポーツの祭典で一時の平和を実感する時でもありました。こうした状況の中、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故では書記長であるゴルバチョフのもとになかなか情報が届かず、ソ連セクショナリズム・秘密主義が、国の最高指導者の行政にまで影響を与えている現実を突きつけ、業を煮やしたゴルバチョフによって、体制の硬直化による種々の社会問題を解決するために、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われました。これがペレストロイカであり、その情報政策が情報公開(グラスノスチ)でした。結果としてこの政策がソ連邦共産主義社会の崩壊へと結びつきその象徴的な出来事が1989年のアメリカのジョージ・ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領の間で行われたマルタ会談であり、東西に分断されていたドイツのベルリンの壁の崩壊です。
経済至上主義に変わって求められる新しい価値観
 それから30年世界は一気にグローバル化に拍車をかけて、ソ連崩壊によっても共産主義というイデオロギーの旗を降ろさなかった中国と北朝鮮を残して西欧型の自由主義・資本主義システムが世界の大半の国々の考えとなったかに見えました。中国も1989年の天安門事件によって、一時国内が騒然としたもののその後は世界の工場としてある意味で、イデオロギーの枠を越えてグローバル・サプライチェーンの一翼を担うようになりました。この間、世界はイデオロギーというよりも民族間の、更には宗教的・文化的な違いによる対立を深め、2001年9月11日に生じた米国同時多発テロによって、いみじくも米国政治学者のサムエル・ハンチントン教授が1996年に「文明の衝突」という書籍で主張したようにキリスト教文明圏とイスラム教文明圏との間の文明の衝突のような様相を呈したのです。
 世界経済はこの間にも、1997年のアジア通貨危機や2008年のリーマンショックなどグローバル化した資本主義の矛盾が噴出するようになり、2010年代は資本主義諸国のサプライチェーンの中で経済成長を遂げた中国がその影響力を行使し始め、ここ数年一帯一路の路線を掲げて、米国を中心とした世界秩序に対して独自の影響力を行使しようとして今日の米中対立・覇権争いの状況を迎えたと言えましょう。ただこの間、グローバル化した資本主義社会の中で、EUブレグジット問題や米国におけるトランプ政権の誕生に見られるように資本主義経済の中核を担う国々の中にも、貧富の差の増大による対立の激化が進行し、東西冷戦で勝利したはずの自由民主主義の根幹的な経済システムである資本主義というシステムそのものに翳りが見えてきたとも言えます。
 この度の新型コロナウィルスによる世界への影響によって、こうした国際秩序の根幹を占めるグローバル資本主義のもともと抱えていた矛盾が噴出し、第2次世界恐慌とも言われる大きなショックを経過して、一気に次の時代の社会経済システムに向けて世界の大転換が行われているように私には思えるのです。今人々が本当に求めているのは、一つの超大国による支配でもなく、一つのイデオロギーによる統制でもなく、利潤追求という資本主義の根幹をなすふるまいでもないように思います。人々は、今のままでは崩壊に向かいつつある地球という惑星の住民として、ともに共創し共生しながら相互に理解しあい、地球人類同胞として力を合わせていく価値観に大きく変容することを求められているのではないでしょうか。コロナ禍がこれまでの価値観に変容をもたらし、地球人類全体としては先回のブログで述べたようにあまり時間が残されていないことを自覚して新しい建設的な秩序の構築に向けて歩み出すきっけになればと考えるのは私だけでしょうか。かつて バックミンスター・フラーが提唱した概念である「宇宙船地球号」の乗組員であるという自覚に目覚め、目の前の自分(自国)の僅かな利益のために悠久なる歴史の意味を考えずに、時間を無駄にしてしまわないように願ってやみません。