札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

“仏教のいのち法華経”を読んで

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  仏教徒の知人から勧められて立正佼成会の開祖として知られる庭野日敬氏の書かれた「仏教のいのち法華経」を拝読しました。庭野氏は一代で立正佼成会を創立し、一時期は信者公称約170万世帯700万人以上を擁する大教団に育てた人物であり、1979年「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞の日本人初の受賞者でもあります。この本の素晴らしいところは、1)なぜ宗教の信仰が必要か、2)仏教の起こりから法華経まで、3)仏教とはどんな教えかの3部構成からなり、難解な教義を事細かに述べるというよりも、仏教用語を現代人にも分かる形で書かれている点でとても優れた仏教書と言えます。私自身これまでの人生で一時期知人の紹介で仏教の教えを学び、実践しようと努力した経緯もあって、世界3大宗教と言われ、今尚多くの方々が学ばれている教えの本質は如何なるものか、以前から深い関心を持っていました。今日、瞑想やマインドフルネスなどが多くの人々や企業人にも関心を持たれていますが、元を正せば釈尊の教えに行くつくことを思えば、その本質を少しでも理解することはスピリチュアリストとしても、必要なことと考えました。

 暫く本棚に眠っていた書物でしたが、こうしたものは一気に読んでみないと本質が理解できないと思い4~5日で読み終えました。3)の仏教とはどんな教えかの部分は霊的真理という観点からは内容の一部に違和感を覚える部分もありましたが、教義をわかりやすく述べていて内容は理解することが出来ました。

 仏教の教えの中で一つ参考になったのが、苦諦についての庭野氏の解説です。庭野氏は歴史が始まってからこのかた、一貫して人間が行ってきたことは、苦から逃れる努力だったと述べます。天変地異の苦しみ、飢饉や疫病の苦しみ、老いの苦しみ、死の苦しみ、貧困の苦しみ、人間関係の苦しみに至るまで、あらゆる苦しみからのがれよう、あるいはそれを追放しようという戦いが、人類のいちばん基本的な努力であったといいます。しかし、今後も未来永劫にわたって一切の苦しみからのがれきれることはないと主張します。

 どうすればよいのか、それは苦を苦と感じないようにすれば、すでに苦は消滅したことになるというのです。苦を苦と感じない精神的革命を試みたらどうか主張します。苦を苦と感じなくなる第一の道として教えられたのが〈苦諦〉すなわち人生は苦であると悟ることだと述べています。人生において楽が常態であって、苦が異常事態と考えていると苦を非常に強く感ずる。そして苦から逃れたいとあくせくするようになります。この心の持ち方を変えて苦が常態なのであると悟れば肚がすわってきます。理性の悟りによって逃げずに苦しみと対処していくこと、これを苦諦と表現しているのです。

 霊的真理を知った私達も人生における苦しみや悲しみがなぜ尽きないのかについて、理解できずに苦しみの体験を数多くして来ました。その意味で人生が苦であり、ある意味で苦しみが生じることは必然であると霊的真理を通して知ることが出来ました。この部分においては仏教の教えと通ずるものがあります。ただ決定的な違いが一つあります。それは、スピリチュアリズムでは、人間の本質が霊であり、その本質は大霊(神)の子としてその神性を受け継いでおり、その本質である霊は永遠に生き続けて成長し続けて行く存在であること。そして苦しみは自らの本質を悟り、その苦しみに正しく対処していくことを通して鍛えられ成長するために必要なプロセスであり、苦しみの意味を理解し、地上生活という限られた時間の中で、その全体像を把握することによって初めて克服できるものであることです。

 これまで多くの人々を励まし、苦しみから解放しようとしてきた宗教者の努力の土台の上に今私達は、霊界の高級霊からもたらされた最高の叡智に触れて、短い限られた人生に何を悟り、何を行うことが大切であるかを教えられました。そのことが如何に価値あるものであるかを実感し、その本質を生き、その上で庭野氏が仏教の教えをわかりやすく表現したように本質を多くの人々にお伝えしていくこと、主体性と道具意識を持って実践していくことが問われていると感じました。