札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

アフター・コロナの時代に求められる価値観とは

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 マルタ会談でのソ連ミハイル・ゴルバチョフ大統領と米国のジョージ・ブッシュ大統領

冷戦終了から30年を経てカオス化する世界
 最近、アキレス腱を断裂してしまう怪我をして入院することになり、コロナ禍の非日常に加えて、治療のために入院するという機会が与えられ更に内省の時を迎えています。世界は今感染症のリスクだけでなく、東西冷戦が終結した1989年前後から30年を経て今また21世紀型の新しい社会経済システムに向けて激動の時代の幕を開けようとしています。健康被害や経済的被害は局地的でなく世界全般に及び、まるで地球環境の激変と呼応するかのように未来が見えないカオスのような状態になりつつあると言っても過言ではありません。
 考えて見れば1945年の第2次世界大戦の終了から1989年までは、自由主義共産主義というイデオロギーを軸として経済システムとしては資本主義経済と社会主義計画経済という明確に色分けされた米ソ両超大国による東西冷戦構造が続きました。果てしなき軍拡競争の中、核兵器を中心とした大量破壊兵器の脅威の中で米ソは相互確証破壊(Mutual Assured Destruction:MAD)の相互抑止戦略によって長期に亘る冷戦が展開されたのです。特に共産圏諸国は鉄のカーテンと言われた情報遮断によって人の交流も情報の交流もストップして、両者は朝鮮動乱やベトナム戦争アフガニスタン戦争などの代理戦争を通して、米ソに代わる間接的な局地戦が戦われたと言えましょう。
 その東西冷戦の最中世界の覇権を狙う米ソ両国の情報戦を扱ったのが007などのスパイ映画であり、私も少年期、青年期をそのような中で過ごしました。夏期・冬季に開催されたオリンピックもそうした冷戦の中で、4年に一度はスポーツの祭典で一時の平和を実感する時でもありました。こうした状況の中、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故では書記長であるゴルバチョフのもとになかなか情報が届かず、ソ連セクショナリズム・秘密主義が、国の最高指導者の行政にまで影響を与えている現実を突きつけ、業を煮やしたゴルバチョフによって、体制の硬直化による種々の社会問題を解決するために、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われました。これがペレストロイカであり、その情報政策が情報公開(グラスノスチ)でした。結果としてこの政策がソ連邦共産主義社会の崩壊へと結びつきその象徴的な出来事が1989年のアメリカのジョージ・ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領の間で行われたマルタ会談であり、東西に分断されていたドイツのベルリンの壁の崩壊です。
経済至上主義に変わって求められる新しい価値観
 それから30年世界は一気にグローバル化に拍車をかけて、ソ連崩壊によっても共産主義というイデオロギーの旗を降ろさなかった中国と北朝鮮を残して西欧型の自由主義・資本主義システムが世界の大半の国々の考えとなったかに見えました。中国も1989年の天安門事件によって、一時国内が騒然としたもののその後は世界の工場としてある意味で、イデオロギーの枠を越えてグローバル・サプライチェーンの一翼を担うようになりました。この間、世界はイデオロギーというよりも民族間の、更には宗教的・文化的な違いによる対立を深め、2001年9月11日に生じた米国同時多発テロによって、いみじくも米国政治学者のサムエル・ハンチントン教授が1996年に「文明の衝突」という書籍で主張したようにキリスト教文明圏とイスラム教文明圏との間の文明の衝突のような様相を呈したのです。
 世界経済はこの間にも、1997年のアジア通貨危機や2008年のリーマンショックなどグローバル化した資本主義の矛盾が噴出するようになり、2010年代は資本主義諸国のサプライチェーンの中で経済成長を遂げた中国がその影響力を行使し始め、ここ数年一帯一路の路線を掲げて、米国を中心とした世界秩序に対して独自の影響力を行使しようとして今日の米中対立・覇権争いの状況を迎えたと言えましょう。ただこの間、グローバル化した資本主義社会の中で、EUブレグジット問題や米国におけるトランプ政権の誕生に見られるように資本主義経済の中核を担う国々の中にも、貧富の差の増大による対立の激化が進行し、東西冷戦で勝利したはずの自由民主主義の根幹的な経済システムである資本主義というシステムそのものに翳りが見えてきたとも言えます。
 この度の新型コロナウィルスによる世界への影響によって、こうした国際秩序の根幹を占めるグローバル資本主義のもともと抱えていた矛盾が噴出し、第2次世界恐慌とも言われる大きなショックを経過して、一気に次の時代の社会経済システムに向けて世界の大転換が行われているように私には思えるのです。今人々が本当に求めているのは、一つの超大国による支配でもなく、一つのイデオロギーによる統制でもなく、利潤追求という資本主義の根幹をなすふるまいでもないように思います。人々は、今のままでは崩壊に向かいつつある地球という惑星の住民として、ともに共創し共生しながら相互に理解しあい、地球人類同胞として力を合わせていく価値観に大きく変容することを求められているのではないでしょうか。コロナ禍がこれまでの価値観に変容をもたらし、地球人類全体としては先回のブログで述べたようにあまり時間が残されていないことを自覚して新しい建設的な秩序の構築に向けて歩み出すきっけになればと考えるのは私だけでしょうか。かつて バックミンスター・フラーが提唱した概念である「宇宙船地球号」の乗組員であるという自覚に目覚め、目の前の自分(自国)の僅かな利益のために悠久なる歴史の意味を考えずに、時間を無駄にしてしまわないように願ってやみません。

 

悠久の歴史の中で“今“という時を生きる私達

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迫りくる脅威への対処

 徳川家康が残した名言に「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず。」というものがあります。最近、果てしない人生行路を「シルバーバーチの霊訓」を始めとした高級霊からのメッセージを人生の指針として歩む中で、当初はその理想とすべきところがあまりにも今の自分の心の現状から見て、遠い至高なものと捉えていた時は重荷とさえ感じたこともありました。長年その指針を掲げながら歩んでいく中で、精神的な安定と絶対的な確信が芽生えて来る中で、少しづつ重荷ではなくまだまだ先は長いと感じますが、目指すべきゴールの輪郭がうっすらと見えて来たようにも感じます。
 新型コロナウィルスによる世界規模のパンデミック、さらに国境の封鎖やグローバルサプライチェーンの分断、緊急事態宣言による営業自粛の影響などでリーマンショックを上回る世界規模の景気後退が深刻な影を私達の生活にもたらしつつあります。こうした状況は今後暫く続くと思われ、出口が明確に見えない不安が世界を覆っています。こうした感染症の拡大に端を発した人々の生存を脅かす脅威というのは、これまでの人類史を振り返ると繰り返し襲って来たことがわかります。その都度私達の祖先はその脅威に打ちひしがれながらも、必死の努力を重ねて現在に至っています。

「地球に住めなくなる日」(The Uninhabitable Earth Life after Warming)の描く未来
 21世紀を生きる私達人類にとって、この感染症の脅威と比較して今日、明日ということではなくても確実にその姿を表しつつあるのが気候変動の脅威です。2020年3月に発刊されたアメリカのシンクタンク(新米国研究機構)ナショナルフェローのデビット・ウォレス・ウェルズ著の「地球に住めなくなる日」は思っているより深刻な気候変動の実態を描き出しています。地球温暖化がもたらすのは殺人的な熱波、大気汚染、経済破綻など気候崩壊と表現して、グローバルな気候崩壊の連鎖の危機を述べています。新人世(人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端を起点として提案された、想定上の地質時代)と表現されることもある今日、人類が地球環境に与えるインパクトは、過去のどの時代にも増して増大しています。その最も象徴的な問題が人々の社会経済活動のグローバル化に伴う二酸化炭素排出量の増大と温室効果による気候変動リスクです。著者はあとがきの中で、カルフォルニア州の山火事で灰になった面積は1970年代の5倍に達していると述べ、2050年までにロサンゼルス大都市圏は完全に灰になるかもしれないと忌まわしい未来を予測しています。
 この度の新型コロナウィルスへの世界の人々の反応は国や地域によって対応は異なります。ただ感染症によってもたらされる生活の変容、後戻りできない現実への対応という面では、世界中の全ての人々の生き方に影響を与えつつあります。そして世界は既に今の現状のまま変化しなければ持続可能ではないということを日々学ばされているともいえます。これまでの経済優先、利潤追求型のある意味で利己的な価値観から、他者を重んじる利他性を中心とした価値観、医療崩壊を防ぎ、他者の安心・安全を自らの問題として受け止めて行動を変容するという価値観が多くの人々に共有されつつあります。居住している地域、属している国、そして地球全体に意識を広げて自分は何ができるのか、企業や団体であればその集合体として何ができるのかを真剣に考えざるを得ない時代に入ったともいえます。それは、気候変動のリスクに対しても自分の問題として取り組むということにも通じます。
ポスト資本主義時代の人生観、価値観とは
 これまで私達が恩恵をこうむって来た資本主義社会の競争原理やグローバリズムは、世界の多くの人々に働く機会の提供や貧困からの脱出などプラス面も多くありました。更に先端的なテクノロジーは生活の質を飛躍的に向上させてくれました。その意味で資本主義システムは、うまく機能して来た面もありました。ただ、特に近年経済のグローバル化は、格差の増大や感染症の拡大や二酸化炭素の排出増による気候変動のリスクの増大、国益国益のぶつかりあいなど不都合な現実も露呈しつつあります。今回のコロナ禍は、こうしたグローバル資本主義のもともと抱えていた矛盾や課題を鮮明にした出来事ともいえます。様々な困難を抱えた今日、これまでの競争原理による利潤の追求という価値観からどのように転換していけば良いのでしょうか。
 それは私達が多くの隣人とともに地球に住み続けて行くためには、競争から共生へ利潤の追求による経済価値の増大という志向性から、他者との共存による社会福祉の増大という志向性への転換が求められているのではないでしょうか。生命が肉体の死によって途切れるのではなくその後も霊として永久に存続するという価値観、物質経済至上主義からスピリチュアリズムが提唱する価値観への転換こそが今人類に科せられた最大のテーマなのではないでしょうか。「地球に住めなくなる日」が来ないように日々微力ながら努めて参りたいと思います。

 

 

第二次世界恐慌(コロナ恐慌)の世界を生き抜く価値観とは

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パンデミックと世界経済恐慌の危機に直面する現代人

 ここ数回のブログでも述べさせていただいた通り、中国の武漢市から感染が始まり世界中にパンデミックを引き起こした新型コロナウィルスによる災害は、人類全体への脅威となって参りました。そして1929年にアメリカのウオール街から始まった世界大恐慌にも匹敵し得る被害を経済に与えてしまう懸念から、第二次世界恐慌という言葉を使い始める方々もおられます。疫病の蔓延という危機に留まらずに、これだけ世界経済に激震が走っているのは、今日の世界がグローバル化しており、感染の防止のためのロックダウン(都市封鎖)や国境封鎖、移動の制限が長期化した場合に、ほぼ全ての人々の生活に重大な危機が訪れるという状況が見えて来たからです。勿論1929年の頃とは科学技術や医学のレベルは全く違いますが、交通・通信・市場等のグローバル化によってむしろどこかの地域で生じた災害や感染症や金融の危機が世界中に波及してしまうリスクが当時よりも格段と増加しているとも言えます。現在のコロナウィルスが引き起こしたパンデミックと経済恐慌の危機を人類は果たして乗り越えることが出来るのでしょうか。そのためには、私達は、どのような人生観、価値観を身につけていかなくてはならないのでしょうか。今回は、その事について考えてみたいと思います。

 この問題を考察するに当たって、病気や感染症について、また経済問題については多くの専門家の皆様が様々な提言を行っているので、その中で正しい見方をしていると思ったものを指針として是非生きていく上でのヒントを得ていただきたいと思います。この度私はもう少し大局的な視点つまり人類の歴史の大きな流れと近未来の社会で求められる人生観、価値観という視点から私見を述べさせていただきます。少し長文となると思いますが、最後までお付き合い下さい。私はこのブログを書くに先立って昨年9月23日に書かせていただいた( https://silver18.hatenablog.jp/entry/2019/09/23/232452)『思考のすごい力』の著者であるブルース・リプトン氏が2014年に発刊された『思考のパワー』ー意識の力が細胞を変え、宇宙を変えるーという本を読ませていただきました。ブルース・リプトン氏はスタンフォード大学等で教鞭をとるアメリカの細胞生物学者で細胞膜に関する研究でエビジェネティクスという新しい分野の端緒を開き、科学とスピリットの架け橋となった新たな生物学の世界的権威でもあります。

精神世界と物質世界のバランスと人類歴史の変遷

 リプトン氏は、序章ー進化すべき時ーの中で「呼吸する空気も飲み水もすべては相関関係にある「エコシステム」の一部なのに「(自分のことだけを考える)エゴシステム」で暮らし続ければ、この不都合な事実(世界的な様々な危機)に対処できなくなるだけだ。」と述べて、今日の人類のもつ究極的にはエゴイズムと物質的なものと精神的なものとを分断して考える価値観では、世界が今陥っている危機には対処出来ないと述べているのです。つまり今日の世界の危機の本質は、世界の現実を一面的な誤った価値観でしか認識できず、物質的な狭い視野に偏った価値観で突き進んで来た結果、今の現実が起こっているのだと述べているのです。
 人類の非物質(精神的)な領域と物質的(物理的)な領域の歴史を振り返って見ると今の現代人が置かれている状況を理解することができます。人類文明の発祥と言われる原始文明(紀元前8000年頃)は石器時代新石器時代と言われ、アニミズム(汎神論)という古い宗教的習慣に基づく物質主義と精神主義のちょうど真ん中の領域でバランスがとれた文化の時代と言えます。リプトン氏は、このバランスの取れた状態が実は最も現実の世界を正しく反映していると述べています。その後、人間が自分自身とそれ以外のものの違いをはっきり認識し始め、物質的世界から分離された精神世界は、それ独自のエネルギーを持つようになりました。紀元前2000年頃、アニミズムという調和の取れた社会から暫くして、たくさんの神を精神世界に取り入れて多神教の時代が訪れます。その頂点を極めたのはギリシアの神や女神が人間的でありながら、人間を超える力を示したギリシア神話の世界です。この時代の代表的な哲学者として著者は2人の人物を紹介しています。一人は宇宙は空間に浮いている原子で出来ていると述べたデモクリトスで、もう一人は宇宙は物質の領域に対して非物質の領域があり、思考は非物質の領域で作られ、物質的世界は非物質な世界で作られた完璧なものに似せた影のような世界だとしたソクラテスでした。
 この多神教の時代から更に精神世界の領域に進み、精神世界が全面的に強調され、物質世界は天罰を受ける場所だとする一神教の時代が訪れます。ユダヤ教キリスト教イスラム教など今日世界中の多くの人々が信奉する世界宗教はこの時代に誕生し、今尚多くの人々の価値観に多大な影響を与えています。しかし、宗教にたくさんのルールができ、父なる神の名のもとに拷問や制圧までされるようになるとやがては教会自体に絶対的な知識が不足し、自滅の道を歩むことになります。1517年にマルティン・ルターが教会の堕落した実情を告白したのをきっかけにプロテスタントによる宗教改革へと繋がり、デカルト、ベーコン、ニュートンらが登場し、科学が物質的な宇宙を明らかにしていくと、人間の進化の道は精神世界からどんどん離れていくようになります。
 17世紀の後半から18世紀にかけて、人間の進化の方向は精神世界と物質世界のバランスの取れた中間点の文明に向かって折返しました。当時西洋では、一神教の宗教的な伝統よりも、理論と個人主義を重んじる啓蒙主義の時代が訪れます。著者はそのおおもとは、フランス人哲学者のジャン・ジャック・ルソーネイティブアメリカン汎神論の研究によるものだったといいます。こうした自然神信奉者の哲学にネイティブアメリカンからの要素を直接、それも詳細に取り入れたアメリカ独立宣言と憲法には、宇宙の精神的な真実と物質の原理が絶妙なバランスで織り込まれているといいます。しかし、そこからあっという間にバランスの取れた中間点を超え、世界中が物質世界の領域にどんどん移行していったのです。
 科学が支配する世界では、神は地球のはるか遠くにいるので、神がいてもいなくても世界は動きます。続いて起こった産業革命やテクノロジーの発明で神の存在は少しづつ姿を消していきました。そして19世紀半ばにイギリス人の自然主義チャールズ・ダーウィンが登場したことにより物質主義の文明の中で最大のパラダイムシフトが起きました。ダーウィンの「種の起源」によって人間は原始的な姿から何百万年の間生き残りをかけて、果てしない戦いを通して出来上がった様々な遺伝子の中からその戦いを勝ち抜いたものが自然淘汰されて出来上がったとされました。この進化の理論を科学的な真実として受け入れられると文明は教会から最高権力の地位を剥奪し、科学的物質主義を取りはじめ、物質主義者の考え方こそが公的な真実を語るものだとされました。人類は物質のメカニズムを理解すれば宇宙やその他生命の秘密を全て解明できると期待したのです。

物質から精神へ移行を始める現代文明

   この物質主義の文明が頭打ちになったのは、1953年生物学者のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの2重螺旋構造を発見し、生命の究極的な秘密を解明したと述べた時でした。両名は細胞の遺伝的な要素を解明し、生命の物質的側面を定義したのです。それから50年以上、神格化さえされてきたテクノロジーが、今度は想像できないほどマイナスの影響をもたらし、現代人はその副作用に苦しんでいます。科学による物質主義を最大限に利用しようとした最終段階が科学者たちと投資家たちによって進められたヒトゲノムプロジェクト(HGP)でした。このプロジェクトはネオ・ダーウィン説を唱える分子生物学者たちが理論づけた、人間を作るのに必要な15万個に及ぶ遺伝子を確定しようとしたものでした。しかし、2001年にヒト・ゲノムが完成してわかったのは、人間に必要なのは、たった2万3千の遺伝子で、残り12万5千の遺伝子の存在は、ネオ・ダーウィン説での基本的なプログラムの捉え方に明らかに欠陥があるというものでした。
 そして、物質である遺伝子が運命を決定しているという誤った考え方に取って代わって生まれた最新の科学「エピジェネティクス」では、ある器官を持つ生物と遺伝子の振る舞いは、その生物を取り巻く環境との相互作用に直接的な関係があるとしています。遺伝子による支配というよりも、生命は環境をコントロールして自らの生体をもコントロールして運命を変えていけるというのです。人の運命を決めるのは、遺伝子ではなくて意思の力であり、信念の力であるというのです。
 リプトン氏は、一神教も科学的物質主義も本質的に人間を自然から切り離してしまった点ではともに限界があったと述べます。そして今求められているのは、物資と精神のバランスの取れた地点であるといいます。物理学では量子論が示すように精神と物質、量子と波が共存する世界こそがその本質であると定義しましたが、その世界が今私達の眼前にその姿を表しつつあります。著者は、生命はエネルギーの波と物質の粒子が十分に存在していた真っ只中、「ゼロポイント」と呼ばれる状態から生まれたといいます。生命は光合成によって天から降り注ぐ光と地上の物質を融合することができるようになり、太陽光エネルギーが物質の中に蓄積されるようになって誕生していったといいます。今日、新たな人間社会が出現すべき時を迎えています。そして人類は、正しく進化するか、滅亡するかの瀬戸際に立たされているというのです。

今の時だからこそ私達が思いをめぐらすべきこと

 話を現実の世界に戻します。今日、私達は物質文明の真っ只中にあって、何か違和感を感じながら生きて来ました。確かに過去の人類と比べると、科学技術の恩恵の中で便利で効率的な社会を築き上げて参りました。しかし、視点を変えてみれば、毎年巨大化する台風を始めとした地球規模の気候変動、今世界を震撼させているコロナウィルスのような感染症の脅威、豊かさを求めて来たはずの経済を主体とした弱肉強食の競争原理に基づく市場原理主義が露呈しつつある様々な矛盾、誤った教義(唯物主義や宗教原理主義など)に基づき人が人を支配する世界など、全ては自然の摂理に反した人間の行為が引き起こした現実の姿であると今の私には思えるのです。私達の住む世界は精神と物質のどちらにも偏ることのないバランスの取れた愛と調和に基づく宇宙の永遠の真理によって運行されることによって、本来私達が求めてきた理想の世界に近づくことが出来ると感じます。新型コロナウィルスのもたらす疫病への恐怖、そして世界的な経済危機など今私達の目の前には一見すると絶望的な状況が広がっているように見えます。しかし、それは霊的真理という自然界を支配する神の摂理を人類が正しく理解し、産みの苦しみの中から、より本質的な姿に進化する過程で生じていることかもしれないのです。是非、苦難の中には真の喜びと永遠不変の真理に至るヒントが隠されていることを思って共に試練を乗り越えて参りましょう。

 最後に人生の指針としているシルバーバーチの言葉を皆様と共有致します。どうぞ今苦しみの中にあって明日への希望も持つことができずに身悶えしている魂に、高級霊からの真理の言葉が届きますことを願ってやみません。

『そこに、あなた方にも肝に銘じていただきたい教訓があります。真理のために闘うものは最後は必ず勝利を収めるということです。善の勢力をすべて封じ込めることは絶対できないからです。一時的に抑えることはできます。邪魔することもできます。進行を遅らせることもできます。しかし真理を永遠に破壊したり、あるべき位置に落ち着くことを阻止し続けることは誰にも出来ません。これは宗教に限ったことではありません。人生のあらゆる面に言えることです。何ごとにつけ誤った説に抵抗し、偽の言説を論破し、迷信に反対するものは決してうろたえてはいけません。全生命を支え、最後の勝利を約束してくれる永遠にして無限の霊力に全幅の信頼を置かなければなりません。』

シルバーバーチの霊訓 3巻3章より)

 

シルバーバーチの霊訓の原点に触れたいと感じた方は、下記のサイトをご覧下さい。このサイトには、スピリチュアリズム普及会の皆様が自費出版している世界三大霊訓(『シルバーバーチの霊訓』、アラン・カルデックの『霊の書』、モーゼスの『霊訓』)をはじめ、一流の霊界通信と入門書が無償で全文掲載されています。

スピリチュアリズム普及会第2公式サイト スピリチュアリズム・ブックスhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/


 

 

私達人類に課せられたコロナウィルスとの闘いに向けて

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 先回のブログを書いた頃にも、新型コロナウィルスの問題は大きな脅威でありましたが、4月1日の現時点では、どの問題にも増して私達の衣食住も含めた社会生活全てに関して重大な脅威となりつつあります。この間、日々刻々と移り変わる状況を直視しつつまた様々な方々の発信する情報の中から、真に利他性と客観的なエビデンスに基づく情報発信について主にインターネットの中で探して参りました。あまりにも変化の速度が早いので、この世界的な脅威に対して多くの人々が手に取ることができる書籍がまだ見当たらないからです。パンデミック世界大恐慌、都市封鎖など日常とはかけ離れた言葉が世界を駆け巡り、様々なデータは出てきているものの実際は何が真実なのか、我々は今どう対処しなければならないかについてヒントになる提言はないかと探し回った中で、とてもヒントになる提言をしているブログを発見しました。それは、iPS細胞の研究で2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞された京都大学iPS細胞研究所山中伸弥教授の開設された「山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信」のページです。

 この中で、山中教授は「ウイルスとの闘いは、有効なワクチンや治療薬が開発されるまで手を抜くことなく続ける必要があります。1年以上かかるかもしれません。マラソンと同じで、飛ばし過ぎると途中で失速します。ゆっくり過ぎると勝負にならず、ウイルスに負けてしまします。新型コロナウイルスを制圧することはもはや困難です。受け入れるしかないと私は思います。社会崩壊も、医療崩壊も起こらない形で、ゆっくりと受け入れる必要があります。」と述べられ、新型コロナウィルスとの闘いを1年以上続くかもしれないマラソンに例えて、その間手を抜くことなく続ける必要があると述べています。そして、この闘いに打ち勝つには肌の色や国の違いを超えて全ての人類が共通の認識に立って真に協調して立ち向かっていかなくてはならないことを述べています。今は政治的な対立や利害対立を一旦横において、人類全体の叡智を振り絞って立ち向かっていかなくてはならないのです。

 今から100年程前に人類を襲ったスペイン風邪と呼ばれるインフルエンザは1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染したとされ、死者数は1,700万人から5,000万人との推計がある程の人類史上最悪の伝染病の1つでした。その後人類は1929年の世界大恐慌、そして1939年に勃発した第2次世界大戦へと悲劇の道を辿っていくことになるのです。もちろん、当時と比較して医療の技術は飛躍的に発展し、科学技術は比較にならないほど進歩して来ました。また20世紀の2度の世界大戦を経て、人類は戦争の引き起こす余りに多くの悲劇と平和であることの尊さを多大な犠牲の上に思い知った筈でした。この度のパンデミックが起こる前の状況を考えると東西冷戦が1989年に一旦終了した後に、世界は経済的には貧富の格差の増大、地球環境リスクの増大、更に人種間、民族間、国家間、そして宗教的価値観の対立によって次第に持続可能でない状態になりつつありました。そのような状況の中で2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で提唱された「SDGs」はこうした状況の打開を目指した目標でしたが、その後も世界の対立や分断は絶えず続いていました。


 こうした状況の中で、新型コロナウィルスが発生し、人類は他の全てのことを横においてでも、共通の敵に立ち向かっていかなくてはならない状況を迎えたのです。ちょうどシルバーバーチの霊訓が世にもたらされたのは今から100年前の1920年頃からでした。私は一人のスピリチュアリストとして、この度の新型コロナウィルスの脅威は偶然に起こったようには、思えません。圧倒的多数の方はそうではないと思いますが、今日社会に蔓延する物質中心の価値観、他の人の人権を軽視して抑圧するような価値観、地球上に住むあらゆる生命と協調するどころか利己的な動機で搾取するような価値観では立ち行かなくなったことを全ての人類が悟る時であることを示しているように感じます。そして何よりも人間の本質が霊であり、永遠の生命を宿した存在であること、すなわち霊的真理に立脚した本来の人生観、価値観を取り戻す時が近づいていると強く感じるのです。

 シルバーバーチ第2次大戦の最中の交霊会で以下のように述べています。(シルバーバーチの霊訓の第3巻第2章「悲しい時、苦しい時こそ」)「こうした時こそ、われわれ霊的法則の働きを知った者が、霊的真理こそが人間にかつて想像もしなかった高い視野を与えてくれること、心の中に消そうに消せない炎を灯してくれること、最後は霊的光明が勝ち、自由を我がものとすることができることを説いて聞かせるべき時です。」と交霊会に参加される方々を励ましております。偽りの繁栄、偽りの価値観は真実の前には、何の力もありません。この度の事態を通じて私達は、この試練を霊的成長の糧として、乗り越えていかなくてはなりません。私達は決して孤独な存在ではありません。私達が与えられた環境の中でこの試練を乗り越えていこうと努めるならば、必ずや常に私達を暖かく見守っておられる守護霊や背後霊や高級霊の皆様が背中を押してくれるはずです。ともに手を携えてこの未曾有の試練を乗り越えて参りましょう。

山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html

 

「感染症の世界史」の読後感と今人類が直面している脅威

 

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 先週末に石弘之氏著の「感染症の世界史」を購入し、先程読み終えました。読んだ動機は、今世界的な脅威として私達の日常生活にまで様々な影響を与えている新型コロナウィルスの問題について、現在進行形でのみ一喜一憂するのではなく人類史の中で俯瞰してこの問題を考えてみる必要性を感じたからです。人類は、これまでの歴史を通して、絶滅の危機も含めて何度も様々な脅威の中を生き抜いて来ました。飢餓や世界大戦、地震津波、火山の噴火などの自然災害、急激な気候変動、そして感染症の世界的流行、経済危機など様々な脅威です。筆者の石弘之氏は東京大学卒業後、朝日新聞社に入社、その後東京大学北海道大学大学院教授、ザンビア特命全権大使などを歴任し、その間アフリカ、アマゾン、ボルネオ島などで長く働きマラリヤコレラデング熱アメーバ赤痢など様々な熱帯病の洗礼を受けたといいます。半世紀の間、環境問題に取り組んで来ましたが、病気の環境史に挑戦したのが本書であるといいます。

 この本を読み終えて、私達が世界史や日本史で学んで来た表舞台の様々な出来事の背後に感染症との闘争の歴史が綴られてきたことを改めて体系的に学ぶことが出来ました。そして今私達が戦っているウィルスとの戦いは、こうした人類と微生物との戦いの延長線上にあり、これからも続けられていく戦いの過程にいるということを再確認させられました。石氏は、まえがきの中で「私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った『幸運な先祖』の子孫である。そのうえ、上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、様々な対抗手段によって感染症と戦ったきた。それでも感染症は収まらない。・・人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すれば、微生物もそれに対抗する手段を身につけてきた」と述べています。そして感染症が人類の脅威となってきたのは、農業や牧畜の発明によって定住化し過密な集落が発達し、人同士、人と家畜が密接に暮らすようになってからだといいます。

 この度の新型コロナウィルスは中国の武漢から広がりました。この本は2014年に出版されたものを2017年に加筆・修正のうえで文庫化したものですが、石氏は終章の『今後、感染症との激戦が予想される地域は?』の中でお隣の中国と、人類発祥地であるアフリカであると述べています。中国はこれまでも何度も世界を巻き込んだパンデミック震源地になってきたといいます。過去3回発生したペストの世界的流行も、繰り返し世界を巻き込んできた新型のインフルエンザも、近年急速に進歩を遂げた遺伝子の分析から中国が起源と見られるといいます。WHOとユニセフの共同調査によると中国では上水道と下水道を利用できない人口は、それぞれ3億人と7億5000万人に達するといいます。つまり公衆衛生上深刻な問題を抱えているのです。筆者は、今日の事態を数年前に予測していたと言えます。それに加えてこの度の感染拡大では、初期の段階で中国政府による情報の隠蔽があったということも指摘されています。これは私見ですが、思想や武力や権力によって人々を抑えつけようとして来たことが、今回の事態を拡大させてしまったことを多くの人々の知るところとなってしまったように思います。

 さて、私達はこうした人類の感染症との戦いの歴史を踏まえた上で今日の脅威にどのように対峙していくべきなのでしょうか?これは私自身が今最も感じることなのですが、今日本の多くの人々は自分が感染するということよりも如何に人に感染させないようにするかということに対して最も意識を持っていると思います。軽い症状でも人にうつす可能性があれば、なるべく外出を控え、一人でも感染者を減らし重篤になってしまう人を一人でも減らそうと社会全体が取り組んでいます。経済的な面や、通常の生活と比べれば不便なこともありますが、皆今の時を耐えて他の人々に苦しみを与えないように国を上げて出来るだけのことをしようと努めています。その姿を見ていて昨年の北海道胆振東部地震の直後に北海道におけるブラックアウトの時を思い出しました。あの時も人々は、パニックになることなく冷静に行動していました。それは、自分たちが日々過ごしている社会や周りの人々との信頼や共感に基づく連帯感というものだと思います。決して強制的にやらされているのでなく、自然に対処していると思うのです。

 今日本は感染症の脅威という国難にあります。これからも自然災害や、経済危機、また他国からの脅威など様々な困難が私達の前には待ち構えています。私達がこうした脅威を前にして、立ち向かっていくことが出来るとしたらそれは他者を思いやり、共感し、他者の痛みを我が事ととして感じ取ることができる利他愛に基づく人生観をしっかりと身につけることではないでしょうか。真の国力とは経済力や軍事力という目に見える力ではなく、人と人との信頼を核とした目に見えない力による強い絆なのではないでしょうか。スピリチュアリズムを学ぶ中で、私は今そのことを日々自分に言い聞かせながら多くの人々と共に戦っていきたいと感じています。これから生まれて来る子孫から『幸運な先祖』と言ってもらえるような生き方を目指して。

 

 

 

スピリット・ヒーリングの実際とハリー・エドワーズ

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 危機の時代だからこそ

 2020年に生きる私たちは、これまでの人類が経験したことのない大きな時代の転換点に生きています。それは科学技術の急激な発展と技術革新によって生活の利便性は向上しましたが、持続可能な発展という意味では、むしろ脅威が増大している時代に生きているからです。特に目覚ましい情報通信技術やモビリティ技術の発展によって、世界中の人々が相互に影響を及ぼす時代を迎えました。それは同時に脅威の伝搬もかつてない勢いで拡散されることを意味しています。昨年からオーストラリアやブラジルや北米の森林火災のニュースを見るにつけ、気候変動のリスクがかつてない規模で現れて来ていることを感じます。そして、今年に入って今身近な危機として私たちに迫っているコロナ・ウィルスによる新型肺炎パンデミックになることがほぼ確実という専門家もでてきています。相互依存がかつてなく深まった今の時代だからこそ、こうした脅威が一部の国や地域だけでなく世界中の人々の脅威となっているのだと思います。また一方で利便性を追求した結果として誕生した高度なICT技術やAI技術がそれを用いる私達の理性や霊性が追いついていなければ、脅威にもなりうることを多くの識者が指摘しています。このように私達を取り巻く環境は、決して楽観できる状況にはありません。ただ、このような危機の時代だからこそ、目には見えなくても明確に存在し、私達の本質を成している霊とは何かについて考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 公開ヒーリングに参加して

 昨年11月3日(日)に横浜市の“アートフォーラムあざみ野”で開催された日本スピリチュアル・ヒーラーグループ主催の第20回公開ヒーリングに札幌シルバーバーチの会として川端様とご一緒に参加させていただきました。はじめに「スピリット・ヒーリング」について説明があり、その後川端様を含む6名の皆様が直接ヒーリングを受けられる場に参席させていただきました。私自身は2度目の参加となりましたが、6名の皆様のヒーリングの様子を拝見するだけでなく、参加者全員に対してもヒーリングを体験する場があり、深い感動と霊的恩恵を受ける機会を与えられました。以前からヒーリングに関しては関心を持っていたのですが、その場が高級霊の臨在を感じる崇高な愛の雰囲気の中で深い安らぎを感じるとともに、スピリチュアリズムに対する確信を新たにする場でもありました。

 そして最近、公開ヒーリングの講義の場でも登場したハリー・エドワーズの著書『霊的治療の解明』を読む機会に恵まれ、スピリット・ヒーリングについて再度整理する機会がありました。ハリー・エドワーズ(1893~1976)はロンドンに生まれ、ナザレのイエス以来最大の霊的治療家と言われる人物です。1935年頃からスピリチュアリズムに興味を持ち、たちまち霊的治療能力を発揮します。英国サリー州シェアに広大な治療院を設けて、難病・奇病の人々を含む世界各地からの治療依頼者を治癒させました。長く英国霊的治療家連盟の会長を務め、世界の霊的治療家の最高峰と仰がれる人物です。私自身がスピリチュアリズムに触れる契機となった身近な人の精神疾患に関しても、その原因が肉体的なものだけでなく、人体を構成する霊的な要素も含めた精神治療が必要であることを実際のヒーリングの現場とハリー・エドワーズの著書を読んで更に実感させられました。

ハリー・エドワーズの言葉

 第11章の精神治療の最後にハリー・エドワーズの以下のような記述があります。
「立ち現れつつある未来の世界は素晴らしいものですが、今はまだ闇の中にあります。ああ、人類という家族の中に生まれ合わせた以上、当然受ける権利のある光を、人々の眼から覆い隠そうとする人々がまだいるのです。スピリチュアリズムの核心である偉大な慰めと治療と霊的訓えの使命は、これまではまだ必ずしも充分に人類を正しい道に導いて来なかったと言われるかもしれません。しかし、そうではないのです。いつの世にあっても、誤った教えや無知から犠牲者を救おうとして多くの努力が払われてきたのです。霊的治療は現代に再生賦活しようとする神の働きの一側面なのです。それが成功するとき、人類の重荷は軽減されます。霊的治療の背後には人類の霊化という偉大な動機が潜んでいるのです。真理である以上、それは永らえることでしょう。」 

 更に第16章の結語の中に以下の記述があります。「私たちは、創造を支配する法則の中に霊的進歩という目的を見出します。それは物理的な因果の結果にすぎない冷たい進化以上のものです。人間の進歩はたえず霊的満足に基づく高次の生活方式を求めてきました。しかし、いかなる進歩も、人間が生命の価値をよく理解するまでは達成されません。 人類の歴史上の危機の時代におけるイエスの到来は、私たちに正しい生活のための霊的指針を与え、病気を癒すことによって神霊の力を示しました。初期教会の成長は、新しい真理を説き病気を癒すという二重の実践活動によったと、歴史家は言っています。この成長と共に、教会に個人的な権力と富を所有したいという欲望が生じて、治療の力は次第に衰えていったのです。 今日科学的知識の進展にともなって、人類の歴史にもう一つの危機の時代が訪れ、物理的関心が霊的思想を覆い隠す傾向が生じ、そのために霊的治療の能力が人間の霊的本性と人類同胞思想の真理を示すために再定義されたのです。」

今こそ求められる霊的真理に対する深い理解

 つまりスピリット・ヒーリングは病を癒すという働きの背後に、物質至上主義、科学万能主義により霊的真理に対する無知の状態を克服できないでいる現代人にイエスの時代とはまた違った意味で、理性で受け入れることができる霊的指針を与えるという目的が明確にあることを示しています。ヒーリングを行う主体は霊界の霊医であり、ヒーラーは地上の道具であるということがスピリット・ヒーリングの意味であり、ハリー・エドワーズこそスピリット・ヒーリングの体現者であったと言えます。

 このようにハリー・エドワーズは近代的知性を備え、条理を尽くした証明とデータを充分に提示し、しかも実際活動において前人未到の業績を達成し、かつその実践についての方法を普遍化した人物として、現代に生きる私達に「なぜ霊的治療は可能か」という問いに答えるに相応しい人物であったと言えます。この度、スピリット・ヒーリングの恩恵に預かる機会を与えられたことに深く感謝するとともに、スピリチュアリストとしての自らの歩みに生かしていきたいと心から思います。冒頭に述べたように世界的な危機の時代だからこそ、人間の本質が目に見える物質ではなく、目には見えなくても明確に存在する霊であること、そして霊的治療は実際に多くの人々を救済してきたという事実を私たちは直視する必要があります。是非、「霊的治療の解明」の一読をお勧めするとともに、日本スピリチャル・ヒーラーグループの公式サイトに触れていただければ幸いです。

◯ハリー・エドワーズ 著新装版「霊的治療の解明」(参考HPより)
https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68323291

◯日本スピリチュアル・ヒーラーグループの第一公式サイト
https://spiritualhealing-volunteer.jp/index.html

◯第20回公開ヒーリングを終えて(日本スピリチュアル・ヒーラーグループの第一公式サイトより)
lhttps://spiritualhealing-volunteer.jp/service/demonstration/archive/demo191103-20.html 

 

人類の歴史への回顧と何故今スピリチュアリズムなのか

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人類の精神史を俯瞰する
 最近、これまでの人類史を俯瞰する試みが知の巨人と言われる方々の文献を読んでいく中で散見されます。ここ数回紹介させていただいたサピエンス全史やオリジン・ストーリーもそうですが、人工知能に関する書籍やこれからの近未来について書かれた書籍の中にも人類史を回顧する試みが多く見られます。日本は現在人口減少社会を迎えて、平成元年頃(30年前)には毎年70万人くらい死亡数だったのが、現在は約140万人と倍加して、今後も増え続けていくことが予測されます。そのような時代背景もあって、終活という言葉が巷で多く聞かれるようになったことも頷けます。少子化によって、人口が減少に転じるとともに高齢化率が上昇し日本はある意味で成熟社会に入ったと考えても良いのではないでしょうか。一方で、第4次産業革命とかSociety5.0という言葉に見られるようにサイバー空間と現実社会(フィジカル空間)が高度に相互連携を果たしてAIの登場によって、人間の労働の価値が問われる中で人間の本質について深く考えざるを得ない状況になったとも言えます。

 日本人の書いた書籍の中にも多くの知見が溢れていますが、立命館アジア太平洋大学(APU)学長でライフネット生命創業者の出口治明氏著の「哲学と宗教全史」は古代ギリシャから現代まで、100点以上の哲学者・宗教家の肖像を用いて初めて体系的に語る教養書とされていて、今月に入って一気に引き込まれて読みました。そこで、ふと思ったのはこれまでの長い人類史の中で人生100年時代と言われる現代ほど、人々が長生きしている時代はありません。数千年に及ぶ人類の叡智をインプットして、しかも戦乱に明け暮れる地域は別としてそれを収集整理して、現代人が必要とする知識や技術、更には思想・哲学へと転換してアウトプットすることが可能となった時代はないという事です。出口氏の著書を読むと人類の精神史を形成してきた哲学者や宗教指導者がその時代の平均的な寿命よりは長く生きたかもしれませんが、現代人と比較して比較的短命であったことが分かります。その意味で現代人は過去の人々の叡智を十分に時間をかけて、しかも情報技術の発展の恩恵を受けて整理された形で学ぶことができるのです。

人口減少・成熟モデルとスピリチュアリズム

 日本は今後、本格的な人口減少・成熟社会を迎えるということは悲観する必要はなくて、しっかりした人口減少社会のモデル、持続可能な社会のモデルを構築できれば人の幸福の実現という面で、新しい生き方の先駆けを組み立てられる可能性を持っていると言えます。現在その日本で、死生観に関する議論が多く展開され、書店に行っても精神世界や死後の世界に関する書籍が増えているというのは、正しい意味でのスピリチュアリズムが浸透していく上で、その土壌が整えられてきているとも言えます。同時にこれまでの物質至上主義、唯物的な価値観の限界も至るところで露呈しつつあります。その意味で現代は高い精神性(利他性)に根ざした持続可能な社会を目指すか、これまでの物質的な価値観や利己性に根ざした狭量な価値観に埋没してしまうかの分岐点に立っているとも言えます。

 スピリチュアリズム運動が地上に展開されるようになった1848年から既に150年以上が経過し、シルバーバーチの霊訓が世に現れ霊媒のモーリス・バーバネルの死後40年近い歳月が経過した現代は特殊な時代です。それは長き歴史をかけて多くの先達が人類の霊性の向上に向けた努力を徐々に発展させてきた地上人側の蓄積と既に他界してそこで更に多くの経験を通して高い霊性を持った霊界の高級霊からのメッセージが霊媒現象を通して地上世界で交わって一つの大きな流れとなって人々の知性と霊性に刺激を与えつつある時代だからです。このブログでもこれまで何度も紹介してまいりましたが、是非多くの皆様がシルバーバーチの霊訓スピリチュアリズムの思想体系に触れられて全ての人々に必ず訪れる死後の世界の正しい知識を得て、充実した人生を送られるように願ってやみません。

※参考資料 出口治明氏著「哲学と宗教全史」内容紹介:
☆はじめに──なぜ、今、哲学と宗教なのか?  
☆第1章──宗教が誕生するまで 
☆第2章──世界最古のゾロアスター教がその後の宗教に残したこと 
☆第3章──哲学の誕生、それは“知の爆発”から始まった 
☆第4章──ソクラテスプラトンアリストテレス
☆第5章──孔子墨子ブッダマハーヴィーラ 
☆第6章(1)──ヘレニズム時代にギリシャの哲学や宗教はどのような変化を遂げたか 
☆第6章(2)──ヘレニズム時代に中国では諸子百家の全盛期が訪れた
☆第6章(3)──ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった 
☆第6章(4)──ギリシャ王仏教徒になった?ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』 
☆第7章──キリスト教大乗仏教の誕生とその展開
☆第8章(1)──イスラームとは? その誕生・発展・挫折の歴史 
☆第8章(2)──イスラームとは? ギリシャ哲学を継承し発展させた歴史がある 
☆第8章(3)──イスラーム神学とトマス・アクィナスキリスト教神学との関係
☆第8章(4)──仏教と儒教の変貌
☆第9章──ルネサンス宗教改革を経て哲学は近代の合理性の世界へ 
☆第10章──近代から現代へ。世界史の大きな転換期に登場した哲学者たち  
☆第11章──19世紀の終わり、哲学の新潮流はヘーゲルの「3人の子ども」が形成した     
☆第12章──20世紀の思想界に波紋の石を投げ込んだ5人

・参考になった書評 岩佐文夫氏