札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

「人間 この未知なるもの」と人間への考察

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人間とは何かについての考察

 ここ2回ほど渡部昇一氏著の『魂は、あるか?』~「死ぬこと」についての考察~の内容を中心に感想などを書かせていただきました。今回は、この本の中にも登場するフランス人でノーベル生理学・医学賞を受賞されたアレクシル・カレル氏著の『人間 この未知なるもの』の紹介と感想を書かせていただきます。実はこの本の訳者も渡部昇一氏です。この本の初版は1935年で、私自身もう随分前にこの本を読んだ記憶があります。ただ、今回は渡部氏の『魂は、あるか』でも推奨されていたこともあり、ウォレスについての本も購入したこともあり、2020年に改訂版も出ていたので、新たに購入して読み直しました。渡部氏も書かれていますが、カレルの本は、自然科学の発見を含む人類空前の大文明を作った西洋人が人間というものを十分知らなかったことから崩壊の危機に瀕しているという危機感から書かれています。
 第1章「人間とは何か-その多様な資質の未来」でカレルは物質(無生物)の科学と生物を扱う科学はひどいアンバランスにあると指摘します。物質の世界を扱う物理学や化学によって物質の組成や性質を学ぶことにより、人は将来どんなことがあるかを予測したり支配することができたと言います。一方、生物、特に人間を研究する科学は遅れていてまだ観察、描写の段階にとどまっていると述べています。更に生理学者でもあるカレルは、第3章「行動する身体と生理的活動」で身体機能と生理的活動については専門家としてユニークな表現で人体の構造や機能について解説しています。一つ一つの章には科学者としてのカレルの深い洞察力に基づく人間存在に関する理解が今日でも全く色褪せない内容として伝わってまいります。ただここでは本の解説をすることが目的ではないので、スピリチュアリストとしての視点から興味を持った内容について考察していきます。

ルルドの泉での奇跡との遭遇

 渡部氏がカレルに興味を持ち、『魂は、あるか?』でも取り上げた理由の一つは以下の内容です。カレルが若き青年医師であった時に、末期の結核性腹膜炎の患者のたっての願いで、その頃奇跡が起こると評判のあったルルドの泉にその患者を連れていき、泉につけたところ見る間に患者の腫れが引けて回復するという体験をします。この神秘的な体験が後のカレルの人生観、人間観に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。そして『人間 この未知なるもの』の第8章「人間再興の条件」の中でカレルは「私達は大都市生活の粗野な状態、工場や会社の無理な要求、経済的利益のために道徳的品位を犠牲にし、お金のために精神を犠牲にすることを、もうこれ以上現代文明の恩恵として受け入れるべきではない。・・・人間を物への信仰から解放することで、人間の生存状態の非常に多くの面が変わることは明らかである」と述べています。つまり、経済や物質を至上のものとして突き進むことに警鐘を鳴らしています。これは、現代社会にも当てはまります。
 私達は、物質的なものや経済的なものに対してより大きな価値を置き、特に生命の神秘のような、理詰めでわからない問題に対しては、その価値を認めようとしません。カレルが当時の西洋文明の崩壊に対して抱いた危機感は、私達も人新世という言葉が出てきたように、人が作り出した物質文明が地球全体の環境の激変を招き大規模な気候変動という形で地球環境全体に対する脅威となっていることを自覚し始めました。更にバイオテクノロジー遺伝子工学など高い倫理観が求められる問題に対して、物質的な価値観を優先させて、とても危険な方向に向かっているように感じます。つまり未熟な精神性では制御出来ないアンバランスな科学技術の急激な進歩は、文明崩壊を招くことを人々は肌で感じ初めているのです。

真の人間観に至ることの重要性

 ただ、注目すべきなのはカレルは物質主義への反動としての精神主義に陥ることにもその危険性を指摘しています。つまり自然科学が私達に与えた様々な恩恵を正しく享受した上で、物質と精神の調和を図ることことが重要であると主張するのです。つまり、西洋の中世のようなキリスト教による支配のような合理的な精神に基づかない偏った価値化にも警鐘を鳴らしているのです。そして有能な「総合者」を育成することを推奨しています。専門家にすべてを委ねるのではなくすべての科学を包括する人を育成し、総合的な判断をすることが重要であると述べています。カレルは人間とは何かという探求を通して、人間は肉体という物質としての構成要素からなるとともに、意識や精神といった目に見えなくても明確に存在しているものを総合的に捉えることの重要性を訴えます。スピリチュアリズムにおいても、部分的な理解ではなく全体像を体系的に理解することの重要性が強調されます。総合的に理解するためには、細部の知識や情報だけに意識を集中するのではなく、全体の中でその部分はどのような意味を持つのかということを絶えず意識して、その部分を理解することが大切になります。
 そしてカレルは「医学は人間の真の姿を考慮に入れなければ、人が必要としているような健康を与えることは出来ない」と述べて、これまでの西洋中心の物質的な面に偏った見方では真の健康は得られないとも述べています。スピリチュアリズムでは、肉体と精神というだけでなく霊という存在が人間を構成する要素として存在し、人間の本質は目に見えない霊であるとします。だとしたら、人間という存在を正しく認識していない現代医学には、解決できない問題が内包しており、真の健康を達成することは出来ないということになります。まだまだ、そのことを人々が理解するに至るには多くの時間を要すると思いますが、その時が訪れることを願わずにはいられません。アレクシル・カレルの辿った人生に思いを馳せるとともに、今日の人類が直面している問題の本質は何かを多くの人が全体像を深く洞察するという立場から再考されることを願ってやみません。