札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

「魂は、あるか?」~「死ぬこと」についての考察~を読んで(2)ー進化論とA・R・ウォレスー

 

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魂の存在を否定した19世紀型進化論

 19世紀の中頃まで、西洋文明においては最も完全なものは神であり、神に依存して人間や自然は生まれてきたという考えはキリスト教圏では常識でした。そこへ登場したのが1859年にチャールズ・ダーウィンによって書かれた『種の起源』(The Origin of Species)でした。『種の起源』の何が問題だったかというと通俗的に人間はサルから進化して生まれてきたととらえたことだと渡部氏は述べます。そうすると神の子としての人間という考え方が否定され、その後社会進化論や言語進化論というものが登場し、それが特に白人とそれ以外の人種は進化のレベルが違うという人種差別の考えの元凶となっていったといいます。こうした考えが19世紀後半以降の帝国主義的な植民地政策の根拠となっていったと氏はいいます。ダーウィンその人とは全く関係のない歪曲された進化論という考え方が白人にとって都合の良いように解釈されて拡散してしまったのです。今日の医学、生物学の考えの根底には、この19世紀型の唯物的な進化論の考えが根底に流れていると思いますが、その考えだけでは説明できない問題が今日、様々な点で表面化しつつあります。自然科学やテクノロジーは、多くの恩恵を私たちに与えてくれました。しかし、地球環境の激変や災害リスクの増大、医原病の問題など唯物的な自然淘汰的な考えだけでは説明できないことが多く存在していることを多くの人々は認識しつつあるのです。

2001年の上智大学の最終講義

 イギリスの生物学者博物学者、そして探検家、人類学者でもあるアルフレッド・ラッセル・ウオレスはダーウィンに比べれば知名度はありませんが、分布境界線(ウォレス線)の発見者であり、生物地理学の父とも呼ばれている人です。渡部氏は、このウォレスという人物に大変な興味を持ち、2001年の上智大学の最終講義でもこのウォレスについて紹介し、ご子息の手によって氏の死後に発見された1,157枚の遺稿をもとに出版された『幸福なる人生-ウォレス伝』は一人称の形で記されていますが、そこには私達日本人への深いメッセージが込められています。この本の巻末に掲載された2001年1月20日に行われた上智大学における最終講義「科学からオカルトへ」ーA・R・ウォレスーの中で、虫の採集から「適者生存」の法則を発見し、更に『種の起源』を完成に導いた「分岐の原理」を見出したとされるウォレスですが、ダーウィンとの関係は最後まで良好だったと氏は述べています。ところが人間の進化をめぐっては両者は鋭く対立するようになります。

ダーウィンとウオレスの相違点
 両者が対立した点は、ダーウィンの主張は最後まですべての進化は人間の場合も含めて自然淘汰であり、これは生き延びるためには少しでも優位であれば良いという功利的な考えです。一方ウォレスの主張は、人間の体の進化は早い時期に止まってそれ以降は全く変化がない、つまり安定的であり、脳だけが進化したのだとします。そしてその段階に至った時に、自然淘汰で言っていることが全部あてはまらないというのです。そして、人間の脳、特に言語というのは自然淘汰でいうこところの必要とそれが発達に結びつくということが全然なく、その概念にあてはまらないといいます。そしてそのような脳ができた時に、そこにどう考えても死なない霊魂が出来た、あるいは非常に高いインテリジェンス(不死の霊魂)が神から入ってきたとしか説明できないというのです。

 1912年にイギリスのビルドダウンで見つかった人骨はダーウィンの進化論を裏付けるようなサルと人間の中間的な生物がいた、つまりミッシングリンクが見つかったとして当時大変話題になったそうです。多くの人々がこの発見を通してダーウィンの説は正しかったと考えたのですが、ウォレスだけはこの骨の発見は何も証明していないとして否定します。そして1955年にオックスフォード大学のワイナーが完璧なまでにビルドダウン人がインチキであることを発見します。こうしてウォレスの正しさが証明されたことになり、霊魂は不滅であるというウォレスの考えの正しさを明らかにしました。人間と他の動物の基本的な差は不滅的な要素(霊魂)があるかないかであり、ウォレスは不滅の霊魂の存在は心霊現象によっても証明されるとして、その人間の霊魂の不滅性の現れが言語なのだとします。

ウォレスのスピリチュアリズムとの出会い

 ウォレスが霊魂の不滅性を主張するようになった背景には、当時の英国におけるスピリチュアリズムとの出会いがあります。シャーロック・ホームズの著者としても有名なコナン・ドイルや真空放電の実験で知られる一級の化学者であるウィリアム・クルックスもスピリチュアリストでしたが、ウォレスもその一人だったのです。彼は自宅や友人の家で霊媒について様々な実験を行い、霊は確実に存在し、霊媒さえ良ければこの世に出現するという確信を持つに至ります。それまで目に見えない存在、現実とは異なった世界へのアプローチは宗教的なものに限られていて、教義による押し付けに過ぎないものでした。ウォレスは人間の脳が進化論の法則とは合わないことを発見し、人間の脳は、根本的には類人猿や猿人から発達したにものではなく、脳そのものの中に変化が生じたのだと考えたのです。つまり、進化の法則には合わないと考えたのです。渡部氏は古典力学では物は連続して変化すると考えるのに対して量子力学では変化は不連続だと考える点に着目して量子力学的飛躍(クォンタム・リープ)の例を出して、ウォレスが人間に不滅の霊魂が存在するという結論に至ったのはクォンタム・リープがあったからだと考えると述べています。そして渡部氏自身は言語こそが、霊魂の存在を証明するものだと確信するに至るのですが、その霊魂を人間の脳との関係で導きだしたのがウォレスであったと述べています。渡部氏にとってウオレスが特別な存在となったのは、若き日にカトリックの信仰を持った氏が、それでも神や不滅への霊魂に対する確信が持てなかった葛藤の中で、ウオレスの学者としての経験や真理探究への道程から導き出された神や霊魂の存在に対する確信に共感したからではないかと想像します。

 スピリチュアリズムでは、人間の本質は霊を備えた肉体ではなくて、肉体を備えた霊であるとしています。渡部氏が最後までウォレスにこだわり続けたのは自身の死を前にして、氏が死後の霊魂の存在に絶対的な確信を持つに至った一つの過程として、どこまでも科学的な立場で、考古学的なアプローチからも納得できる形で私達に伝えようとしたウォレスに生き様に共感を感じ、惹かれるものがあったのではないでしょうか。そして文明人や未開人を問わず、人間の魂には道徳観が予め備わっていることを見出したウォレスが神への信仰に至ったように、渡部氏もまた一人の人として真理の探求を生涯続けられて、最も人生観の確立に影響を受けた人物としてウォレスを取り上げたのだと思います。そしてそれが、私達日本人へのメッセージにもなっているように感じます。

希望のある人生を歩むには
 この度の渡部昇一氏の『魂はあるか?』や関連書として『幸福なる人生』ウォレス伝を読ませていただいて、最近の世相を見ながら感じることが多くあります。この1年半以上に及ぶ新型コロナウィルスが私達につきつけているものの正体です。コロナの発生については、当初より自然発生説に対してもともと人工的な生物実験から生じたという研究所由来説が存在しました。そして今、多くの人々は感染の恐怖を感じながら自粛生活を余儀なくされています。そこで今人々の心の中には先が見えないことへの不安や恐怖の感情が渦巻いています。私は、現実的な感染症の問題よりもっと大きな問題は、はっきりとした答えが見つからないことへのいらだちや不安ではないかと思います。それこそが、私達に突きつけられている問題の本質ではないかと感じています。

 これまでの人類の歴史は細菌やウィルスとの戦いの歴史であり、14世紀のヨーロッパを襲った黒死病や20世紀始めのスペイン風邪など、多くの死者を出しながら、その都度その戦いから多くの教訓を私達は得て来ました。自然発生であれ、人工的なものであれ、今日の世界的なパンデミックには人類は総力を上げて戦わなくてはなりません。既に感染症による身体的な脅威だけでなく、精神的な面でも、また経済的な面でも人々は脅威に晒されています。私自身、こうした状況をどのように捉えるべきか考察して来ました。そこで、一番支えとなったのがスピリチュアリズムの示す霊魂の不滅という考えと、既存の宗教とは異なる神への絶対的な信仰でした。死後の世界が明確に存在し、神の摂理があらゆる存在に働いているという確信は穏やかな日常を生きていく上で大きな支えとなります。パスカルの賭けの理論ではありませんが、神と神の創造された摂理に対する絶対的な信頼と確信は、この度のパンデミックや避けて通れない自然災害や様々な問題を乗り越えるべき試練として考えさせてくれます。そして渡部氏が幸福なる人生を全うされたように、私達もまた確かなものを心の中に持つもことが、希望のある人生を歩むために不可欠な信念ではないかと日々実感しています。是非、多くの皆様が漠然とした不安から開放されて穏やかな希望のあふれた人生を歩まれるよう願ってやみません。