札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

日常生活の中での霊性向上の歩みに向けて(2)

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 先回に引き続き、日常生活の中での霊性向上に向けた取組みについて考えます。現実世界の問題ですが、最近の気象の動向は異常気象というよりも、世界全体が新たな気候変動の段階に至っていると感じざるを得ない様々な現実に直面しています。今年の夏は記録的な暑さとともに、降雨量も観測史上最大を記録する地域が増えるなど国内だけみても、様々な被害が生じています。世界に目を転じれば、ヨーローパ、アジア、南北アメリカ大陸などやはり気候の激変といえる状況が伺えます。また日本列島は1995年の阪神淡路大震災以降、地震や火山の活動期に入ったようにも感じます。こうした外的な自然の環境激変とともに、国家間、民族間、地域間の紛争やテロは21世紀に入っても、沈静化するどころか日々止むことはありません。

 こうした様々な困難に対して一方では敢然と立ち向かっている人々も数多く存在しています。スピリチュアリストとして日常生活を送る私達は、こうした現実世界の問題にも対処しつつ、人として生きていく上で最も価値のある霊性の向上と日々の生活の中での利他愛の実践を常に意識して生きていくことが求められています。

 私自身は、日常生活で仕事関係も含めて多くの皆様と接する機会がありますが、どのような関係においても、霊的視野からみつめていくという視点をできるだけ持つように努めています。霊的視野という言葉を別の言葉で言い換えると、その方の置かれた立場や現在の状況を永遠という観点から見つめて接するということだと思います。つまりその方の本質である霊という視点で見つめると現実の世界での関係性に大きな変化が現れるということです。

 これまで限られた物質的・現実的な視点でのみ見つめていては気づかなかった点が永遠という時の流れの中で霊的視野で見つめることによってこれまでとは違った関係性を築くことができるようになります。そして、その方の中に神の分霊としての神性を見いだせた時、きっと新しい関係性が築かれていくように思います。

 またそうした視点で、今日の身の周りで生じる自然現象や社会現象を見つめていくと今私達に求められていることは何かが見えてくるのではないでしょうか。日常生活という誰もが生きている間は続いていく時の流れの中で、ふと足を止めて静寂の中でより自らの本質に触れる時、また瞑想や深い祈りの中で高級神霊との触れ合いを持つ時、ものごとの本質が見えてくるのではないでしょうか。

 現実世界の中で目に見える形で何かを行なうということではなく、内的な世界の覚醒の中で、少しずつ日常生活をおくる自分の中に変化が訪れること、それこそが地上に生を受けて生きていることの証なのではないかと感ずる今日この頃です。またそのような心を持った方々とともに日々霊性の向上に務めることができれば、これ以上の幸福はないと感じます。これからもそのような生き方を継続していきたいと思います。

日常生活の中での霊性向上の歩みに向けて

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 自分の本質がスピリット(霊)であることを意識することは、忙しい日常生活の中では容易ではありません。ふとした瞬間に、また一人で瞑想する時間や大きな困難に直面した時は深く内面を見つめる瞬間はありますが、多くの方々と日々交わる中で、また仕事が忙しい中でそうした霊的感性を持ち続けることは困難が伴います。

 最近1ケ月程は、そんな状況が続いておりました。そこでこのブログを書くこの時間は内面を見つめる時間にしようと思います。自分の状態が霊的感性を保って生きているかどうかの一つの尺度として一日の初め(朝起きた瞬間)や一日の終り(眠る瞬間)自分の心の中をどのような思いが中心を占めているかということがあります。

 人間は地上人生においては、どうしても物理的な時間の制約の中で生きて行く必要があるため、瞑想する時間や霊的真理を学ぶ時間、祈りを通して自分の霊の向上、神や高級霊に思いを寄せる時間も限られた時間の制約下にあります。地上の宗教においては、ユダヤ教のように一週間に一度は安息日を設けて、その日は神と自分との関係性を再確認し、そこから新しい一週間を始めるという宗教もあります。

 スピリチュアリズムの霊的真理を通して、地上人生において最も価値ある人生とは何かをそれぞれの基準に応じて知る機会を与えられたスピリチュアリストにおいても、理性においては、何が地上人生において最も大切なことであるかは理解されている方が殆どだと思いますが、日常生活の中で自然とその内面が霊主肉従の状態を継続して保ち続けられる方はまだそれほど多くはないと推察されます。

 スピリチュアリズム普及会のHPのスピリチュアリズム思想[Ⅲ]の6.より高次の霊的人生を歩むための秘訣を再度拝読してみました。その中で道具意識(自らを神と高級霊の道具として捧げ、積極的な自己滅私によって奉仕に専念しようとする姿勢)、犠牲精神(人類の幸福のため、あるいは大義のために自分自身を喜んで犠牲にする姿勢)、霊的視野(霊的真理に立った見方・考え方)の3つの秘訣について書かれています。

 もちろん霊的真理を多くの方々にお伝えすることは、スピリチュアリストとしての最大の責務であり、地上人生の目的でもあります。ただ地上人生を歩んで行く中では、日常多くの方々と接し、家庭においても仕事においても様々な局面で自らの役割を果たしていかなくてはならないことも事実です。3つの秘訣の中で、特にどのような局面においても自分の内面を占める思いが霊的視野にたっているかどうかを確認するすることは比較的実践しやすいように思います。

 それは自分も含めて人の本質は霊であり、霊的成長、霊性の向上進化こそがどのような人間にとっても地上人生の最大の目的であるということを意識して接することだと思います。そのような意識を持つことによって、ともすれば利害関係や表面的な合う合わないといった感情に陥りそうになった時にふと立ち止まることができるようになって来ます。それは、多くの方と接する機会が多い人でも努力することによって少しづつ身についていくのではないでしょうか。何か特別なことをするというのではなく、当たり前に毎日人と接する日常の営みの中でも霊的人生を歩む自分に気づくことは出来るように思います。

 霊性の進化・向上というのは、地上人生はもちろん、霊的世界に入ってからも永遠に続いていく人としての歩みですが、日常生活の一つ一つの出会いや、出来事を大切に捉えて自分の発する言葉や行いの中に僅かでもそのことに繋がる生き方ができるような自分となるべく、これからも学びを深めてまいりたいと思います。

 

 

 

 


 

 



東京スピリチュアリズムサークル主催の第1回読書会に参加して

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 4月14日これまで札幌の地でスピチュアリズムの普及のために人生の全てを捧げて歩んで来られた川端様とご一緒に日本の首都東京で本物のスピリチュアリストが集って開催された東京スピリチュアリズムサークルの第1回読書会に参加することが出来ました。特に川端様は、スピリチュアリズム普及会の代表世話人である小池里予様とは、お手紙では何度もやりとりされていたのですが、健康上のこともあってお会いする機会がなかったのです。8年以上に亘って毎月1~2度ご自宅を読書会のために改造されて、霊的真理を一人でも多くの方々に届けようと全身全霊を傾けて来られました。

 私は人生上の大きな悩みを抱え、「もはや地上のどこにも頼るべきものが見出せず、絶対絶命と思えた時こそ、魂が霊的真理の光に照らし出される用意が整ったのですシルバーバーチの霊訓にありますが、まさにそのような心境の中で普及会のHPに出会い、身近な札幌の地に人生をかけて霊的真理の普及のために歩まれている川端様のもとを訪ねたのです。川端様は、ご自宅そのものがまるで読書会をされるための作りにされこれまで多くの北海道在住の方々がそのお住いを訪ねて来られました。私自身一度はご自宅を訪ねて読書会に参加したものの、ちょうど読書会の開催日と仕事の日が重なることもあって、1年近く読書会に参加できずにいました。

 今から1年半程前に読書会のある土日の仕事を別の日に変えて、毎月参加できるようになり、少人数ではありましたが、毎月新しい学びの機会を得て充実した日々を送ることが出来ました。そのような中で昨年6月頃から川端様の体調がすぐれないこともあり、これからも継続して札幌の地、北海道の地に霊的真理を伝える灯台の役割を果たしてほしいとの願いを受けて昨年7月頃から、札幌シルバーバーチの会を受け継ぐことになりました。

 そんな中で4月14日に東京スピリチュアリズムサークルの第1回読書会に小池様が来られることを知り、川端様と相談し、ご一緒に参加しようという事になりました。私が付き添いであれば安心して参加できるということでご一緒出来たのです。東京の会場に着いて、もう生きて出会うことはないとお互いに思っていたという小池様と川端様の感動の出会いの瞬間に立ち会うことが出来ました。お互いに出会いを心から喜んでおられる姿を見た時にこれまで川端様が暑さの中でも冬の厳しい寒さの中でも、孤独な戦いを乗り越えて来られたことをよく知っていたので、感動のあまり涙が出そうになるのをこらえていました。

 小池様とお会いするのは2度目でしたがお話を伺うのは始めてで、これまで日本のスピリチュアリズム普及会の皆様が人生の全てを捧げて霊的真理の普及という高級霊の願いに答えて歩んで来られた結果として、日本の地にハイレベルスピリチュアリストが集う本物の読書会が誕生し、今やスピリチュアリズムの発祥の地であるイギリスにも影響を与えていること、シルバーバーチの霊訓を霊媒のモーリス・バーバネルの存命中に一緒に学んで来られたトニー・オーツセンとの交流と様々な支援の話も伺い、現実的に日本のスピリチュアリズム運動は世界の範となりつつあるのだと理解出来ました。

 日本は今、少子化が進行し急激な人口減少社会に入りつつあります。かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた経済大国に再び戻ることはもはや期待出来ません。また東日本大震災やそれに伴う福島の原発事故など多くの課題を抱えた課題先進国でもあります。こうした日本がこれから世界に貢献して行く道は一体如何なる道なのでしょうか。それはハイレベル・スピリチュアリストを数多く排出し、霊的真理の普及に世界のどの国にも増して取組むスピリチュアリズム大国となっていくことが何より求められているのではないでしょうか。

 各地で開催されている読書会は、霊界主導のスピリチュアリズム運動において高級霊が地上に働きかけることができる橋頭堡であり、そこで毎月開催される読書会で培われる人と人との絆は、まさに霊的真理を知って高級霊の道具として実践する者同士の理想の人間関係に他なりません。地上人生の真の目的に目覚めたスピリチュアリストとして永遠の絆を深め、先駆けて霊的真理を知った者として残された地上人生を駆け抜けていく決意を固めた貴重な読書会でした。北海道にはかつて、WSクラークの教えを受けて北海道開拓と精神復興運動を行った札幌農学校の方々が築いて来られた伝統精神があります。これからも札幌の地で皆様とともに霊的真理の普及と実践の足場を固めていきたいと思っています。このブログを読んで興味を持たれた方は是非、各地の読書会やスピリチュアリズム普及会のHPをご覧下さい。

 

 

「コナン・ドイル 人類へのスーパーメッセージ」を読んで

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そのとき、人間の肉体はもはや死の横顔に屈することはなくなるでしょう。

 昨日、同書を読み終えました。霊媒であるグレース・クックがシャーロック・ホームズシリーズの著者として有名なアーサー・コナン・ドイルが死後ほぼ2年間に渡って霊界通信として伝えたメッセージをまとめたものが本書です。

 

 コナン・ドイルは20代の時から心霊学に関心を抱き、1918年から亡くなる1930年まで心霊主義者として執筆、講演などに活躍した人物です。

 

 生前のコナン・ドイルの特に後半生の心霊主義者としての活躍は、生前書かれた「コナン・ドイルの心霊学」に詳しく述べられていますが、死後霊界通信を通して送ってきたメッセージをまとめた本書は、霊媒のグレースクックがどのような人物であったか、そしてどのような経緯でこの霊界通信を届けることになったかがPART1「コナン・ドイルの出現」に詳しく述べられており、コナン・ドイル夫人の証言や語られた内容が本人でなければわからないことが数多くあり説得力を持っています。

 

 PRAT2「コナン・ドイルは語る」は、霊界通信によるメッセージの内容ですが、シルバー・バーチの霊訓の内容までは及ばないものの、魂に訴えてくる内容にあふれており生前、特に晩年にスピリチュアリズムの普及のために生涯を捧げて生きたドイルであればこそ、伝えたかった内容だと感じました。

 

以下一文だけ抜粋します。

 「人間の魂の、これまで考えられていたより豊かな生命は、これまで死んだ後にだけ存在すると間違って考えられてきましたが、じつはそれは人間の過去、現在、未来にわたる生命なのです。人間がその中で生きている、永遠の生命の一部です。それはすべての魂が生きている生命であり、瞬間、瞬間に接触している生命体です。魂が肉体の中に宿っていようと、霊的な世界のどこかの局面にいようと、それは変わりません。

 この人間の内なる霊的な生命体がいつの日か認識されて、人間の心を捉えている様々な哲学や宗教に調和をもたらし、それらを統一することになるでしょう。これこそ、本当の“普遍的な福音”です。」

 

 シャーロック・ホームズの愛読者も、そうでない方も是非一読をお勧めします。人間とはいかなる存在かについて、一層理解が深まることと思います。

 

関連ブログ・書籍の紹介

翻訳書「故郷に帰る道」|Hiroshi's World

霊性進化の道―ホワイト・イーグルの霊示

 

 

 

 

“仏教のいのち法華経”を読んで

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  仏教徒の知人から勧められて立正佼成会の開祖として知られる庭野日敬氏の書かれた「仏教のいのち法華経」を拝読しました。庭野氏は一代で立正佼成会を創立し、一時期は信者公称約170万世帯700万人以上を擁する大教団に育てた人物であり、1979年「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞の日本人初の受賞者でもあります。この本の素晴らしいところは、1)なぜ宗教の信仰が必要か、2)仏教の起こりから法華経まで、3)仏教とはどんな教えかの3部構成からなり、難解な教義を事細かに述べるというよりも、仏教用語を現代人にも分かる形で書かれている点でとても優れた仏教書と言えます。私自身これまでの人生で一時期知人の紹介で仏教の教えを学び、実践しようと努力した経緯もあって、世界3大宗教と言われ、今尚多くの方々が学ばれている教えの本質は如何なるものか、以前から深い関心を持っていました。今日、瞑想やマインドフルネスなどが多くの人々や企業人にも関心を持たれていますが、元を正せば釈尊の教えに行くつくことを思えば、その本質を少しでも理解することはスピリチュアリストとしても、必要なことと考えました。

 暫く本棚に眠っていた書物でしたが、こうしたものは一気に読んでみないと本質が理解できないと思い4~5日で読み終えました。3)の仏教とはどんな教えかの部分は霊的真理という観点からは内容の一部に違和感を覚える部分もありましたが、教義をわかりやすく述べていて内容は理解することが出来ました。

 仏教の教えの中で一つ参考になったのが、苦諦についての庭野氏の解説です。庭野氏は歴史が始まってからこのかた、一貫して人間が行ってきたことは、苦から逃れる努力だったと述べます。天変地異の苦しみ、飢饉や疫病の苦しみ、老いの苦しみ、死の苦しみ、貧困の苦しみ、人間関係の苦しみに至るまで、あらゆる苦しみから逃れよう、あるいはそれを追放しようという戦いが、人類のいちばん基本的な努力であったといいます。しかし、今後も未来永劫にわたって一切の苦しみから逃れきれることはないと主張します。

 どうすればよいのか、それは苦を苦と感じないようにすれば、すでに苦は消滅したことになるというのです。苦を苦と感じない精神的革命を試みたらどうかと主張します。苦を苦と感じなくなる第一の道として教えられたのが〈苦諦〉すなわち人生は苦であると悟ることだと述べています。人生において楽が常態であって、苦が異常事態と考えていると苦を非常に強く感ずる。そして苦から逃れたいとあくせくするようになります。この心の持ち方を変えて苦が常態なのであると悟れば肚がすわってきます。理性の悟りによって逃げずに苦しみと対処していくこと、これを苦諦と表現しているのです。

 霊的真理を知った私達も人生における苦しみや悲しみがなぜ尽きないのかについて、理解できずに苦しみの体験を数多くして来ました。その意味で人生が苦であり、ある意味で苦しみが生じることは必然であると霊的真理を通して知ることが出来ました。この部分においては仏教の教えと通ずるものがあります。ただ決定的な違いが一つあります。それは、スピリチュアリズムでは、人間の本質が霊であり、その本質は大霊(神)の子としてその神性を受け継いでおり、その本質である霊は永遠に生き続けて成長し続けて行く存在であること。そして苦しみは自らの本質を悟り、その苦しみに正しく対処していくことを通して鍛えられ成長するために必要なプロセスであり、苦しみの意味を理解し、地上生活という限られた時間の中で、その全体像を把握することによって初めて克服できるものであることです。

 これまで多くの人々を励まし、苦しみから解放しようとしてきた宗教者の努力の土台の上に今私達は、霊界の高級霊からもたらされた最高の叡智に触れて、短い限られた人生に何を悟り、何を行うことが大切であるかを教えられました。そのことが如何に価値あるものであるかを実感し、その本質を生き、その上で庭野氏が仏教の教えをわかりやすく表現したように本質を多くの人々にお伝えしていくこと、主体性と道具意識を持って実践していくことが問われていると感じました。