札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

現実を正しく見つめる世界観の確立を

Withコロナ時代を生きる

 先日からGW(ゴールデン・ウィーク)に入り、久しぶりに特に制限のない長期休暇ということで、家族ずれで国内・海外旅行や帰省される方も多くおられると思います。コロナ禍で失われた日常を取り戻し、普段体験できないことを是非体験する機会として貴重なこの期間をお過ごしください。この間バーチャルな技術革新によって対面なしでも、人々が繋がることが出来るようになり在宅ワークやワーケーションなど場所に捉われない働き方も急激に進みました。一方で、リアルな人と人との接触の機会が減りましたが、人と人との直に会うことの有難さを改めて感じる期間でもありました。

 この度のコロナ禍で観光産業や飲食業、交通業界など人の移動や集まりが制限される中で深刻な影響を受けた分野も多くありました。お隣の中国では、習近平政権の極端なゼロ・コロナ政策で多くの人々が返って悲惨な状況に追い込まれているという報道もあります。この数年間で人類はコロナとの付き合い方を学んで来ました。そして移動の制限やロックダウンだけでは感染症との闘いに勝利することはできないことを学びました。一方で人々が日常生活をできるだけ当たり前に送りながら、常にオープンな情報を共有して強制的な対策に頼らずとも感染リスクを抑えて、集団免疫を作ってコロナと共生していくことが求められていると感じます。そのためには、あらゆる情報をできるだけ開示して、人々が自らの判断でリスクを回避できるようにすることが政府や行政機関の役割ではないかと思います。

現実を多角的に理解し、正しい選択をする

 一方世界に目を向けるとロシアによるウクライナ侵攻から2ヶ月が経過し、時々刻々と状況が変化する中で、先回のブログでも書かせていただいたように1945年以来の戦後国際秩序、更に1991年の東西冷戦終結後の国際秩序に大きな変化が押し寄せていることを多くの方々が認識し始めています。そして世界は共産主義も含むグローバリズム反グローバリズム地政学的には中露対米欧日という対立構図が鮮明になって来ました。前者のグローバリズム反グローバリズムの構図では同じ国の中でも対立構図が次第に表面化し、2020年の米国大統領選挙はその象徴的な出来事として表面化しました。不正選挙までして反グローバリズムのトランプを落選させて登場したバイデン政権は正に第3次オバマ政権といえるもので、ネオコン新保守主義)と呼ばれる一部の勢力が政権の中枢部を占めており、この度のウクライナ危機にも暗い影を落としています。ロシアによる軍事侵攻は善良な多くのウクライナ国民の命を奪ったという意味では決して許されるものではありませんが、その背後で戦争の脅威をあおり世界を混乱に陥れるディープステイトとも呼ばれる彼らの動きも私たちは注視して行かなければなりません。

真の独立国としての日本の在り方

 こうした国際秩序の激変に対して日本はどのように対処していくべきでしょうか?第2次世界大戦後に米国占領下で作成された今日の日本国憲法は、1946年の11月3日に公布され、国民主権基本的人権の尊重、平和主義を基本としたもので、今日の日本国民の行動の指針となっています。この中で〈第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。〉という条文は、当時の無条件降伏という状況を鑑みれば、致し方ない内容であったかもしれませんが、今日の日本を取り巻く状況の変化を見れば現状に即してないと考えざるを得ません。第2次世界大戦後、日本は日米安全保障条約と世界最強の米軍の駐留という条件下で、自国の安全保障に対してはあまり注力しなくても、他国から攻められることはありませんでした。米国がかつてのような世界の警察官という立場を離れ、集団安全保障という枠組みはあるものの、力による現状変更に対してこれまでのような甘えが許されない状況下では、自らの国の安全保障は自らの意思と力で守るという世界では当たり前の現状を日本も当たり前に議論することが急務になっています。

 特に米国のプレゼンスの低下と相対的に特にアジア・太平洋における中国の脅威は日増しに高まっています。この度のウクライナ戦争で、中露が接近すれば北朝鮮も含めて、日本の安全保障上の脅威はこれまで以上に高まっていると言えます。こうした現状を正しく理解し、自国の平和と安全は自国民で守るという主権国家としては当たり前の価値観を早く確立することがまず肝要です。そしてグローバリズムという名を借りた国際共産主義の脅威から自国を守り、真の利他愛に基づく利他主義を政治・経済・文化などあらゆる面で現実に即した形で展開していくことが求められていると思います。平和憲法の精神を真に生かすためには、国際政治のリアリズムを正しく理解した上での国家の戦略が必要です。今こそ日本人は、他国の思惑によって左右されない真の独立国として、自らの芯を持った上で他国との共生を掲げて歩んでゆくべきなのだと思います。

霊的真理に基づく正しい世界観の確立を

  東西冷戦の終結後、国境を越えた経済交流は、GAFAMなどビックテックという超巨大なIT企業を生み出し、新自由主義の潮流は格差を是正するどころか、格差の増大を加速させ一部の人々への富の集中化を招きました。一方でロシアや中国のような国では、共産党や一部の独裁者による権力の集中化が進み、言論統制や情報統制が行われています。自由主義世界では富の集中化が、一方で共産主義独裁国家では権力の集中化が行われているように感じます。そして、このような富や権力を求める人間、その集合体である国家の根本的な問題点は、目に見えるモノ(国家であれば領土)に絶対的な価値観を置く物質中心の価値観であり、人間を物質の塊としか見ない偏った人生観、人間観にその原因を求めることができます。

 スピリチュアリズムの示す人間観は、人間の本質を目に見えない霊性にその中心を置き、目に見える肉体はその本質ではないとします。そして私達が現実だと思っている世界は、人の人生の一部に過ぎず、肉体が滅んだ後も本質である霊は永遠に存在し続けるという価値観です。私達が現実と思っている世界が実は真実の世界の一部を形成しているに過ぎず、死んだら何も残らないと思っている世界こそが本質の世界であるとしたらどうでしょう。そして、そこでの永遠に続く世界に至るための訓練の場が地上人生であるというスピリチュアリズムの示す人生観、人間観こそが真実の世界の実相を顕す価値観であるとしたら、人々の生き方はどのようになるでしょう。それでも人々は目に見える世界の富や権力にしがみつこうとするでしょうか。戦争によって土地を奪い、人々を強制的に従わせたとしても、一体どんな意味があるというのでしょうか。

 人類は今、重大な岐路に立たされています。目に見える物質世界を価値の中心に置いて生きるのか、目にはみえなくても存在する内面の世界、永遠に存在する霊的世界に価値の中心を置いて生きるのかを自ら選択していかなくてはなりません。外界からの刺激によってではなく、深く内省することで本心の声に耳を傾け自ら判断する力をしっかりと身につけていかなくてはなりません。私達一人一人に備わった善を志向する心、他者のために自己犠牲をもいとわない崇高な高い霊性を求める本心の願いに自らを委ねることが出来たら、そこにこそ永遠に朽ちることのない深い満足感と安寧の境地が待っているのではないでしょうか。死の恐怖を乗り越え、人類を破滅の危機から救う道は、時間はかかりますが、一人一人が内面の探究を通して霊的真理に至る道を歩みだす以外にはないと確信しています。一人でも多くの魂が霊的真理の素晴らしさに触れて人生の真の意義に目覚めて価値ある生き方を歩み出すことでできるよう願わざるを得ません。