札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

混迷する世界秩序と歴史の危機の先にあるもの

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ロシアによるウクライナ侵攻

 去る2月24日、ロシアによるウクライナの軍事侵攻が展開され、ウクライナの軍事施設へのピンポイントの攻撃が行われ、世界に衝撃が走りました。既にロシア中の軍隊が軍事演習という名目でウクライナ周辺に配備されていましたが、北京オリンピックが終わるタイミングで実行されたのです。この事態を受けて、G7 を始め世界の多くの国々の政府やマスコミは一斉にプーチン大統領やロシア軍に非難声明を出し、また我が国も含めてロシアに対する経済制裁を発動する動きが加速しています。どのような経緯があるにせよ、軍事的な手段による現状の変更は決して許されることではありませんし、それに対して一日も早く、こうした状況を打破しようとする世界の人々と同じ思いです。
 ただ、この度のウクライナ侵攻の背景に一体何があるのかを冷静に分析し、これからの日本の進むべき道について考えることも今私達が考えなくてはならないことです。第二次世界大戦終了後に、戦勝国を中心に作られた国際連合United Nations)常任理事国国際法違反をした場合には、安全保障理事会が機能せず何の力も発揮できません。そして米国を中心とした安全保障体制も大きな岐路に立たされていることが、この度の事態を受けて、より明確になって来ました。
 1945年、第2次世界大戦終了から既に80年近くが経ちました。第2次世界大戦後の負の遺産として自由民主主義と共産主義の価値観の対立が表面化し米ソを中心とした東西冷戦が44年続き、1989年のマルタ会談で東西冷戦が終結し、その後ソ連邦が崩壊しました。そして経済システムとしては、資本主義が共産国家である中国も含めて、ほぼすべての国が参加するシステムとなりました。ただその後も地域紛争は止むことなく、イラク戦争湾岸戦争)やアフガン戦争、2001年の米国同時多発テロ、近年は米中新冷戦とも言われるように世界の覇権をめぐる戦いは形を変えながら今日まで続いて来ています。    

 世界の警察官としての強いアメリカは既に存在せず、国連には紛争解決の力がもはや存在していない以上、新型コロナ・パンデミックを経て、100年前の世界の状況と重なるような不安定な時代に入ったと見ることもできます。そして自国民の生命と財産は自国で守るという意志がなければ、他国に依存しきっているだけでは国の存続すら危ぶまれる時代に入ったということがこの度のことで明確にされました。平和を維持するにはそのための応分の負担と不断の努力、そして強い意志が欠かせないことを、私達はこの度の事態を通して学ばなくてはならないのだと思います。
 ただ今日世界が混迷を極めて、不安定化している要因を表面的な出来事だけをみていても本当の意味では理解できません。

『資本主義の終焉と歴史の危機』に見る世界観

 最近、法政大学法学部教授の水野和夫氏が「次なる100年」~歴史の危機から学ぶこと~という750ページに及ぶ著書を発刊されました。水野氏は三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフエコノミストを経て内閣官房内閣審議官(国家戦略室)にも在籍されていた方で、2014年に「資本主義の終焉と歴史の危機」、2017年には「閉じてゆく帝国と21世紀経済」を刊行されています。この3冊の著書の中で水野氏は一貫して「世界史とは蒐集(コレクション)の歴史である」と主張します。「蒐集」する対象は最初は、土地でしたが、13世紀の初頭に資本の概念が誕生したことで、その対象は「資本」に変わっていったといいます。軍事力を通じて土地を「蒐集」するよりも、市場を通じて資本を蒐集したほうがコストがかからないからといいます。
 そしてその資本の象徴が利子率であり、その視点から見るとこれまで5000年の金利の歴史の中で2.0%という水準を複数年にわたって切ったことは、過去1度しかないといいます。それが、1611年~1621年のイタリアのジェノバのみで、日本の10年国債の利回りは1997年に2.0%を下回り、20年以上を経過しています。そしてドイツも2012年から追随しています。2.0%を下回った状態では、資本を投下しても利潤を獲得することはできません。そして資本の蒐集が困難になったことは、資本主義というシステムの終焉を意味していると水野氏はいいます。そしてブレグジッドや米国におけるトランプ政権の誕生は、グローバリズムから自国民ファーストへの転換であり、この後、世界は複数の「閉じた帝国」へ100年近くかけて移行していくと水野氏は主張しています。そして今日、経済成長を追求すると企業は巨大な損失を被り、国家は秩序を失う時代になったのだといいます。
 トマ・ピケティが『21世紀の資本』で分析したように、1910年から1970年までは国家が資本をコントロール化に置くことができましたが、その時代にはもう戻れないといいます。この時代は福祉国家の時代であり、資本主義と民主主義が両立できた特殊な時代であり、それを継続するためにはパイの拡大(経済成長)が必須となります。しかし1970年代以降、実物投資空間(地理的・物的空間)の膨張が止まり、アメリカなどの先進国は新自由主義の旗印のもと、新しい蒐集先はグローバルな「電子・金融空間」に移行していきます。そしてそこでとんでもない格差が拡大され、2016年の時点では世界の上位富豪8人の資産総額が下位36億人の財産に匹敵するという異常事態に突入します。ここ数年、マルクスを見直す経済学者が増えているのは、資本主義というシステムの持つ構造的な矛盾が誰の目から見てもはっきりわかるようになって来たからだと私も思います。
 水野氏はゼロ金利で成長の時代は終わっているのに、それを取り戻そうとして日本政府はあらゆる政策を総動員してきましたが、それは一時的な延命にすぎずその努力は徒労に終わるとしています。水野氏は日本が近代=成長に拘泥していると21世紀の新しいシステムに乗り遅れて、数世紀にわたって歴史の表舞台から消える運命が待っているといいます。

物質中心の価値観から利他的価値観への転換の必要性

 これからの「長い21世紀」を通して、世界は資本主義の終焉という危機の中にあって、価値観の大転換と新しいシステムへの移行という時代を迎えています。その表れが戦後の国際秩序の崩壊であり、象徴的な出来事がロシアによるウクライナ侵攻という出来事であるとも言えます。利潤の追求を言い換えると物質中心主義となります。あらゆるものを蒐集しようとする価値観は、飽くことなき欲望の充足を求め個人としては利己主義、国家としてはナショナリズムに向かわざるを得ません。かつて世界はナショナリズムを越えて、グローバリズムという理想郷に向かっているという幻想がありました。 
 
それが幻想になってしまったのは、その価値観の根本に他者とともに生きる(共生)という不偏の価値観が存在していなかったからです。宇宙の根本原理が利他の精神であるとすると、他者から収奪して自分だけ、自分の周りだけの利益を追求するという物質中心の価値観では、真の幸福は得られません。真の幸福とは、自分の周りの人々の幸福な姿を見て初めて得られるものであり、この世のあらゆるものを手に入れようと資本を蒐集しても得られるものではありません。少し飛躍があるかもしれませんが、本質的な幸福とは利他愛の実践による霊性の向上、他者の喜びを自己の幸福とする価値観への転換によってはじめて実現できるのだと改めて思います。
 これから日本が大きな歴史の転換点で裂け目に陥って埋もれてしまわないためには、歴史の教訓に学ぶともに資本主義の次に来る新しいシステムの構築に向けて、ある意味でトップランナーとして歩んでいく道が示されています。それは、共生の思想、利他の精神に基づく、信頼のネットワークと共同体の形成です。資本主義の終焉というメッセージを世界で最初に経験しつつある日本が、その苦しみの中から次の時代を切り開く新しい価値観を提示できれば、日本の未来にも世界の未来にも大きな希望を持つことができます。世界が危機に瀕している今だからこそ、そのことを願って止みません。