札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

「死に至る病」を抱えた現代人の病理とスピリチュアリズム

 

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現代人の病理としての愛着障害 

 最近ケガで入院する機会があり、普段はあまり読まない種類の本を読む機会が与えられました。以前から著者の書籍には興味を惹かれて読む機会があったのですが、特に今回は本のタイトルにも惹きつけられました。著者は精神科医でもある作家の岡田尊司氏で「死に至る病」ーあなたを蝕む愛着障害の脅威ーという単行本です。自分にとっても他人事ではなく、今日の社会全体としても大きな問題となっている愛着障害に焦点を当てたとても考えさせられる本でした。
 「死に至る病」というタイトルですぐ思い浮かぶのが19世紀の中葉のデンマーク実存主義の哲学者セーレン・キルケゴールの同名の書です。キルケゴール死に至る病とは神を信じられないこと、すなわち“絶望”であるとし、絶望には3つのタイプがあるとして個々の人間の心理的な問題だと捉え、絶望を自覚していない人さえも、実は絶望を抱えているとしました。実生活においてもキルケゴール自身は婚約者であったレギーネオルセンと結婚直前に、結婚によって自分の世界が脅かされるという恐怖にとらわれて婚約を破棄してベルリンに逃げ出してしまったこと、その後生涯独身であったことで知られますが、そのキルケゴールが抱えていたのも深刻な愛着障害であったと岡田氏は述べます。
 では、岡田氏が死に至る病と表現した“愛着障害”とは一体どのような病なのでしょうか。自分を傷つけ自殺企画を繰り返す境界性パーソナリティ障害、過食と嘔吐を繰り返したり、死ぬほどやせてしまう摂食障害、薬物やアルコール、買い物やギャンブル、ゲーム、セックスなどへの依存症、意識や記憶が飛んだり、自分や身近な人にも違和感を覚えてしまう解離性障害、慢性のうつが続く気分変調症、急増する発達障害、不注意や衝動性による失敗ばかりを繰り返す大人のADHD現代社会で異様に増加し続けるこれらの症状には、“愛着障害”が関わっていることが明らかになっていると岡田氏は指摘しています。
 子供にとって母親という存在は、世話をしたりオッパイを与えてくれる存在というだけでなく、しがみついて、身をよせることができる存在であり、いったん執着が生まれると、他のものには代えがたい特別な存在になるといいます。この養育者との特別な結びつきを“愛着(attachment)”と呼びます。このことは生理学的にも裏付けられています。“愛着“は、オキシトシンバソプレシンというホルモンによって支えられる生物学的なメカニズムでもあるといいます。このオキシトシンは育児や世話という母性本能に関わるだけでなく、絆を維持することに必須の役割を果たすといいます。このオキシトシンがうまく働かないと、特別な結びつきは失われ、つがい関係が壊れたり、育児放棄をしたりということが起きることが解明されてきたといいます。このように“愛着”が不安定で、オキシトシンがうまく働かないと、ストレスを感じやすく、幸福度が低下するだけでなく、ストレス・ホルモンの分泌が亢進し、心身の病気にもなりやすくなります。“愛着障害”とは、幼少期に主に母親との間に十分な愛着関係が構築出来ずに育っていった子供が成長する過程で生きづらさや様々な精神疾患を抱えやすくなってしまう状態を愛情不足ということだけでなく、生理的な問題としても捉えた用語です。

死に至る病からの解放とスピリチュアリズム
 ここで高度経済成長以降の日本の姿と非婚化、少子化の問題との関連で考えてみましょう。多くの識者は日本の出生率の低下や少子化の原因を経済問題で説明しようとして来ました。確かにそのような側面もあることは事実かもしれません。ただ、戦前や戦後の経済状況と比較して経済的に決して貧困とはいえない現在の若者が結婚して子育てをする環境でないことを経済問題だけで説明することは難しいと思います。愛着とは別の言い方をすると世話をする仕組みだと岡田氏は述べています。そして経済的にはこれまでよりもずっと豊かになったはずの現代人が世話をするという行為に喜びが乏しくなり、愛着の仕組みが豊かな人にとっては苦痛と思わない子供を育てたり、人の世話をするということが義務や苦痛としか感じられない人が増えて、安心と信頼の絆が崩壊しつつあることを示しているのではないかと述べているのです。
 自分の子供の頃を振り返ってみても、幼少期は隣近所の家庭と常に往来があって貧しいながらもまるで家族のような付き合いをしていたように思います。それが自分自身が子育てをする時代になると、経済的には自分の子供時代よりは社会全体としては恵まれていたと思うのですが、それでも近所付き合いは殆ど希薄化して隣の人が何をしている人かわからないという状況が進んで来たように感じます。個人情報保護ということが強調されて、周りの人に対する関心が薄れ、家庭も大家族という形態が少なくなって最小単位になって来たようにも感じます。社会全体が愛着という人として不可欠な安心と信頼の絆をあまり重要視せずに経済成長という価値観を重視してきた結果が今日の生きづらさを感じる社会を築いてしまったと言えます。コロナ禍によって、リモートワークということが提唱され、高度情報化社会が更に進んでいくと働き方も更に多様化してくることが容易に予測できます。ただここで私達が立ち止まって考えなくてはならないのは、親子関係や隣近所、更には会社やコミュ二ティにおける人と人との信頼の絆をこれまで以上に重要視して、互いに絆を深めていく共有や共同という価値観の普及ではないでしょうか。
 スピリチュアリズムでは、その現実世界で最も大切な価値観を利他主義と表現しています。そして人間にとって地上生活はやがて訪れる肉体の死という過程を経て永遠に続いていく霊的生命に至る過程であり、そこで最も大切なのは霊性の向上であるという価値観が基本となっています。現代人が漠然と抱えている不安や生きることの意味を感じられない根本的な原因は、こうした人間観の欠如、そしてそのような私達を温かい目で見つめている目に見えない存在への絶対的な信頼の欠如ではないでしょうか。キルケゴールは自ら愛着障害を抱えながら“死に至る病”を神を信じられないことから来る絶望であると表現しました。岡田氏が述べているように現代人の抱える様々な精神的な病理の背景には“愛着障害”という問題が深く関わっていることは間違いのない事だと思います。ただもっと根本的な問題は、スピリチュアリズムの示している正しい人間観や人生観、世界観の欠如ではないでしょうか。永遠の価値を有する人間とは何かという疑問への明確な答えを人々が見出し、宇宙を貫く真理とは何かという問題を多くの人々が共有し、互いをいたわりあい、育みあう社会を実現していくことによって初めて人生に真の意味を見出すことが出来て、“死に至る病“を克服できると確信しています。私自身、まずは身近な家族の絆から見直して行きたいと思います。