札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

スピリチュアリズムの系譜について(1)

 

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スピリチュアリズム世界史年表より(グレース・クック女史)

 最近、ホワイト・イーグルの教え「アメリカ大陸の太陽人たち」(グレース・クック著)を拝読し、特に訳者の加藤明氏のあとがきを読んで、改めてスピリチュアリズムの誕生と歴史的意義を考える機会がありました。今回は、この加藤氏のあとがきを参考にして私見も含めて書かせていただきます。 

ーーーーーーーー以下本文より一部抜粋

 著者のグレース・クック女史(1892~1979)はイギリス生まれの心霊主義者で、自身の指導霊であったホワイト・イーグルのメッセンジャーとして霊的真理の普及のために重大な責務を果たされた方です。1936年には、ホワイト・イーグルの教えに共鳴した人々の協力の下にホワイト・イーグルの教えを実証するホワイト・イーグル・ロッジをロンドンに開設し、ハンプシャーのニューランズにセンターを創設され、その活動は今日まで続いています。

スピリチュアリズムの誕生と発展

 霊魂の死後存続を信じる心霊主義スピリチュアリズム)は、1848年3月31日のニューヨーク州ハイズビル事件に端を発し、その後またたく間に世界の一大潮流となってゆきました。ハイズビル事件以後、その当事者であったフォックス家の姉妹(ケイト、マーガレット、リー)を初めたとした職業霊媒が輩出し、心霊実験会が各地で開催されました。イギリスでは、心霊現象の調査・収集を目的とする心霊研究協会(1882)大小の心霊主義団体が結束した心霊主義者連盟(1890)が誕生します。日本では、1923年に心霊研究家の浅野和三郎氏(1874~1937)によって心霊科学研究会が設立され、本格的な心霊研究がなされるようになります。

 ここで注目すべきなのは、1848年という年です。興味深いことにハイズビル事件と同時期にカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスが協同して『共産党宣言』を発表していることです。マルクスヘーゲル弁証法フォイエルバッハ機械的唯物論を受けついで、唯物弁証法唯物史観を打ち立て、人間の成長も世界の発展も物質の運動に過ぎないと主張しました。この唯物史観の出現と同時にその対極に立つ霊的な人生観、歴史観を唱えるスピリチュアリズムが出現したことは偶然の出来事だったのでしょうか?

スピリチュアリズムと同時期の精神主義運動

 1800年代には、産業革命があり交通・通信手段が発展し、唯物的な傾向が現れたことは事実ですが、スピリチュアリズムと並んで、精神主義的傾向の思想を唱える人物も多数現れました。主な人物には超絶主義者と呼ばれたエマソン(1803~82)、クリスチャン・サイエンスを創始したエディ夫人(1821~1910)、トルストイ主義として一世を風靡したトルストイ(1828~1910)、神智学を説いたブラバッキー夫人(1931~91)は、その後ルドルフ・シュタイナー人智学の土台となりました。こうした一連の思想によって神の分霊としての個人の尊厳、物質に勝る精神の優位性、信念の力、因果の法則(カルマの法則)などが力説されました。「眠れる巨人」として今なお話題の絶えないエドガー・ケイシー(1877~1945)も、少し遅れてですが、この時期に生まれています。

 これらの思想によって古代からの伝統的なキリスト教と新進の唯物思想の2つとも揺さぶりを受けることになりました。

ーーーーーーここまで

 加藤氏のあとがきを読むと、訳者ということもあってスピリチュアリズムの流れ全体にかなり造詣が深い方であることがわかります。監訳の桑原啓善氏は、近藤千雄氏より前に日本にスピリチュアリズムを伝えた先駆者でありますが、加藤氏は桑原氏の強い影響を受けてスピリチュアリストになられたと書かれています。

 1848年がカール・マルクスの「共産党宣言」が出された年で、同じ年にはハイズビル事件を契機に霊的真理が地上に降ろされるきっかけとなった年というのは何か大きな意味があるとしか思えません。グレース・クック女史は、アーサー・コナン・ドイルが他界した後に地上にメッセージを伝えた時の霊媒でもあり、生涯に亘って「ホワイト・イーグル」の教えを地上にもたらした方です。シルバーバーチ霊媒のモーリス・バーバネルとは別の意味で重大な使命を持った霊媒だと思います。ホワイト・イーグルもシルバーバーチ同様、霊界の霊媒がインディアンであるという共通点があり、また他界したのも、モーリス・バーバネルが1981年であったのに対し、グレース・クック女史は1979年で、ほぼ同時代を生きています。