札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

歴史の大転換にあたって ~私たちは、今何を学びそして何を実践すべきか~

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170年以上に及ぶスピリチュアリズムの歴史

 現代世界をどのように見るかは何にフォーカスを当てて見るかによって人によって認識はそれぞれ異なりますが、スピリチュアリズムという視点から俯瞰してみると少なくても、霊的真理を地上に降ろすために霊界側の働きかけで起こった1848年のハイズビル事件(物理的心霊現象)から170年以上が経過しました。1850年代には、フランス人のアラン・カルディックが「霊の書」を発行し、1870年代から80年代にかけて英国人牧師のステイントン・モーゼスがインぺレー霊団より受信した内容を「霊訓」として出版し、霊界からの集中的な働きかけが始まりました。1900年代にはフレデリック・マイヤースがSPR(心霊研究協会)の会長に就任した後に他界し、その後、霊媒であるジュラルデン・カミンズ女史に通信を送り、『永遠の大道』『個人的存在の彼方』が出版されます。更に1920年代には、ジョージ・ヴェイル・オーエン牧師の『ベールの彼方の生活』が出版され、更にアーサー・コナン・ドイルが1930年に他界するまでスピリチュアリストとして晩年世界講演旅行を行いました。ドイルは、他界した後、霊媒のグレース・クック女史を通して霊界通信を送り、クック女史の夫のアイヴァン・クック氏により『人類へのスーパーメッセージ』が出版されました。

 1940年代からはハリー・エドワーズの心霊治療が開始されました。そして1920年代から1981年に霊媒のモーリス・バーバネルが他界するまで続けられた交霊会の内容を編纂した『シルバーバーチの霊訓』は、それまでの霊界通信の中でも最高の叡智として人類に届けられ、今日に至っています。その後、シルバーバーチの霊訓は近藤千雄氏によって日本語訳され、日本におけるスピリチュアリズム運動が展開されていくための大きな役割を果たして来ました。

日本におけるスピリチュアリズム普及の歩み

 そして、そのシルバーバーチの霊訓が人類史上最高の教えであり、最高の叡智であるという確信の中で日本国内の普及啓蒙を行ってきたのが、スピリチュアリズム普及会の皆様です。私自身、普及会の皆様から多くのことを学ばせていただき、毎月の読書会に生かさせていただいています。日本におけるスピリチュアリズム運動を牽引してきたともいえるスピリチュアリズム普及会は、霊的真理の普及活動を地道に行うとともに、公式サイトでは、シルバーバーチの霊訓等の霊的真理を多くの方々に無料で読んでいただくことを目的に下記のスピリチュアリズムブックス

spiritualism-books.jp

という第2公式サイトを提供し、またメンバーによるスピリチュアル・ヒーリングを行ってきました。こうした活動を続けて来たスピリチュアリズム普及会に昨年頃から高級霊からの通信が多く届けられるようになり、その内容は現在下記のインフォメーションを通して多くが公開されています。

www5a.biglobe.ne.jp

 スピリチュアリズムの運動は、これまでの既存の宗教活動とは一線を画した運動です。それは、前々回のブログでも書かせていただいたように、地上のこれまで宗教組織のように教祖や教義、教団という形式が一切なく、霊界の高級霊の主導によってもたらされた霊的真理に基づく人類救済計画であるという点です。その始まりが物理的心霊現象から始まったのも、その内容が地上人ではなく、明確に霊界の霊人からのものであることを実証するためのものでした。またオカルトとして恐怖心を与えるような低俗な地上人の興味を引く現象とも異なり、肉体を持った地上人には及ばない高い霊性を備えた高級霊団からの通信を計画的、組織的に送ってきているということが歴史的に明らかになっています。そしてそのスピリチュアリズム運動の最高指導者こそが、約2000年前に地上に誕生して、当時の人類の無知故に十字架上で処刑されたイエスその人であるというのです。それはシルバーバーチを始めとした多くの高級霊が同様のことを証言しています。

 現代を生きる私達は、死後の世界は漠然とあると思っている人が多いとは言え、正しい意味で死後の世界の事実、霊界と地上界の関係について理解している人は殆どいません。地上には多くの宗教団体が存在していますが、誰もが納得できる形で説明できる教義は殆どありません。何故なら、霊界からの働きかけがあったとはいえ、それが高級霊からのものであるかどうかは確かめようがなく、また一旦教団組織ができると誤った教義であっても洗脳が行われたり、地縁、血縁によって真理か否かではなく、何かためになる教えと捉えて漠然と何となく入っているという場合が圧倒的に多いからです。

霊的真理の普及による地上人類救済の道

 もちろんキリスト教イスラム教、そして仏教など多くの宗教は歴史的に多大な影響を人類に与えて来ました。多くの宗教は、人として人生を歩む上での共通の真理を伝えようとしてきました。しかし、その影響は必ずしも人々の霊性の向上に役立つものばかりでなく、返って霊界の事実を正しく伝えていないことにより、死後霊界に入ってからの生活に混乱を与えたり、間違った教義を信じて他界することで中々正しく目覚めることが出来ずに長く幽界の下層に留まって地縛霊になってしまうなど良くない影響が多々ありました。それは、多くの宗教の教えが霊的真理の全体像からみると部分的であったり、人工的な人間の意図が後世の人々によって混入してしまったためでした。こうして霊的無知に陥り、自分の本質が霊的存在であることが分からなくなり、その結果物質中心の価値観や利己主義によって、正しい人生観や価値観から外れてしまった人類に対して、正しい霊的知識を与え、人生の真の意味を伝えようという霊界側からの働きかけによって起こされたのが、スピリチュアリズム運動なのです。

 今、多くの人々は幾多の困難な状況を抱え、霊的真理が分からないが故に苦しみを乗り越える術が分からずに、真の希望を持つことが出来ずに日々を送っています。苦しみや困難は、それ自体を乗り越えることによってカルマの清算や霊的成長につながる恩恵という肯定的な面があるのですが、霊的真理に対する無知からただ逃れようとしたり、苦しみに対して不平や不満をいだくことによって返ってカルマを作ってしまう場合が多いのです。こうした霊的真理を知らないが故の不幸を少しでもなくし、正しい人生観、価値観を持って一人でも多くの人に幸福な人生を歩んでほしい、そのような思いで、日々高級霊の指導のもとでスピリチュアリストは歩んでいます。一人でも、多くの方が霊的真理に触れることで神が願い、自ら求めて来た人生を歩んでいただけるように願ってやみません。

 

※参考資料

スピリチュアリズム普及会 公式チャンネル

 宗教の観点から見たスピリチュアリズムの全体像

www.youtube.com

 

                                                                                                                                                                                                                                                          

「コロナの暗号」と村上和雄氏の最後のメッセージ

 

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サムシング・グレートと遺伝子の暗号

 9月に入って長期出張の機会があり生前、一度だけ面識のあった本年4月に逝去された筑波大学名誉教授村上和雄氏の著書「コロナの暗号」~人間はどこまで生存可能か~を拝読しました。村上氏には、筑波大学教授を務めておられた当時に講演を依頼したことがありその講演の際に受けた感銘と、その後出版された「生命の暗号」~あなたの遺伝子が目覚めるとき~など、著書によっても大きな影響を受けた方です。村上氏は高血圧の黒幕である「レニン」の遺伝子解読に成功し、世界的な評価を受けた高名な生物学者であり、1996年には日本学士院賞も受賞されています。

 今回の著書は2021年7月5日に発刊されていることから、遺作であったと思われます。著者は、この著書の中で「謙虚でつつしみ深い態度があれば、科学と技術は人間の心の成長に見合った形で適正に進歩し、持続可能な共存社会をつくるために役立つはずです。・・・つつしむ力こそが新型コロナが暗示するメッセージであり、異常気象や大災害、新たな感染症など、地球の危機状況から私たちが読み取るべき重要な教訓なのです」と述べられ、著者が「サムシング・グレート」という宇宙を創造された存在、遺伝子に暗号を書き込んだ存在に思いを寄せるとともに、遺伝子は助け合って利他的に活動しているという「利他的遺伝子」という考えを提唱されています。

利他的遺伝子をオンにする生き方

 遺伝子工学の世界ではリチャード・ドーキンス氏がその著書「利己的な遺伝子」で強調している「遺伝子の利己的な性質であり、それこそが人間の本質であり、生物の本質である」という認識が世界の潮流となっています。このことに、村上氏は異論を唱え、もし利己的な行動ばかりしていたら、生物は生存できないと述べています。リチャード・ドーキンスは「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」という比喩的な表現で遺伝子中心主義を提唱し、熱烈な無神論者、科学的合理主義の推進者であり、ダーウィンの思想的後継者の一人と目されている科学者です。今日、このドーキンス氏のような考えを持った科学者や知識人、言論人が数多く存在しています。しかし、このような考え方は現象面だけをみて、物事の本質をより深く理解していないように思います。ドーキンス氏は著書の最終章で「純粋で、私欲のない、本当の利他主義の能力が、人間のもう一つの独自的な性質だという可能性もある」と述べ、結局のところ、利己的な遺伝子というものを証明しきれなかったと村上氏は指摘します。

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 村上氏は、「個は全体の中での役割を果たす中での個であり、個が集まって全体をつくり、全体は個を支えているともいえます。・・・いまこそ人は地球生命全体の中での自らの役割を考え、天の理(ことわり)に適う生き方をすべきではないでしょうか」と述べ、優れた科学法則の発見も、もともと自然にあったものを見つけたに過ぎないこと、科学者は謙虚な心で研究すべきと語ります。そして、つつしむ力こそが新型コロナが暗示するメッセージであり、地球の危機状況から人類が読み取るべき重要な教訓であると指摘します。著者は、更にゲノム全てを解き明かしても、生命の本質は明らかにならないとして、魂の存在については、現代科学の範疇を超えた問題として、その存在証明は出来ないものの、がんを自然に治す心の免疫力を実話を通して、信ずる心や信念の力が遺伝子にも影響を与えることを語っています。

 その実話とは、末期の子宮がんに侵されて入院治療を受けていたある主婦の実話です。その主婦は村上氏の書いた『生命の暗号』の中で「人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか5%程度で、まだオフになっている遺伝子が多いこと」を知り、まだ眠っている遺伝子のスイッチを入れることができたら、今より元気になるかもしれないと思ったそうです。そして、「人間は生まれてきただけでも大変な偉業を成し遂げたのであり、生きているだけで奇跡中の奇跡なのだ」という箇所を読み、人間として生まれてきたことが嬉しくて仕方がなくなったというのです。自分が生かされていると実感した彼女は自分を支えてくれている細胞の中にある遺伝子一つ一つに「ありがとう」と言い続けたそうです。最終的にはがん細胞が跡形もなく消えていたそうです。

つつしみと畏敬の念を持って人生を生きる

 今日、コロナパンデミックという未曾有の災害に晒されている人類が、危機の本質を正しい視野で理解し、どのような心構えで対処していくべきかを考える上で、村上氏のような深い洞察力を持った真の科学者と言える人物の最後に残したメッセージは心に迫るものがあります。私達は、どうしても物質的な目に見える範囲の事柄にのみ目を奪われがちです。しかし、目に見える現実の背後にある目には見えなくても、宇宙を支配する普遍的な法則を読み解き、そしてサムシング・グレートと村上氏が表現した宇宙の創造者からの遺伝子という暗号によって人類に示されたメッセージをどのように受け止めていくべきかを今、私達は問われています。

 人の遺伝子暗号は約32億の文字から成り立っているそうです。そして、1グラムの2000億分の1という途方もなく狭い空間に大百科辞典3200冊分の情報を書き込み、人体にある37兆個の細胞の核の中で一刻の休みもなく働かせている存在、それはもちろん人間ではありません。著者は人知を超える精巧を極めた生命の設計図をヒトに書き込み、生かしてる大自然の偉大な存在を畏敬の念をもって「サムシング・グレート」(Something Great:偉大なるなにものか)と表現するようになったといいます。

 宇宙の神秘に思いを寄せるとき、そして生命の神秘に感動を覚える時、私達は人知を超えた存在に対する畏敬の念をいだきます。そして、人が出来ることの限界を感じるとともに、その偉大な存在からの様々な形のメッセージに謙虚に耳を傾け、自らの姿勢を正していかなくてはなりません。科学者として人生を全うされた村上氏が最後に残された人類への遺言に耳を傾けて行きたいと思います。

 

スピリチュアリズムの目指す霊界主導の地上人類救済計画

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人類を襲う自然災害とコロナパンデミックの脅威

  8月の中旬に入り、よくやく暑さが和らいで過ごしやすくなって来ました。近年気候変動の影響かどうかははっきりしませんが、欧州などの熱波のニュースや森林火災のニュースを聞くと、気候の面からも地球環境が変化してきていると感じます。カーボンニュートラルという政策目標が掲げられ、国や地域の枠を越えて人類共通の課題として浮上していることは確かなようです。新型コロナの感染状況は変異株の増大で収まる気配がなく、日本国内においても緊急事態宣言が各地で出される状況です。2018年までの世界と新型コロナパンデミック後の世界は大きく様相が変化し、もとに戻るというよりこの状況をどのように乗り越えていくかを人類全体の問題として考えざるを得ない状況になっています。
 人類はこれまで何度も感染症の脅威に晒されてきましたが、この度のパンデミックは、情報化、グローバル化が進み世界人口の増加とともに相互依存が強まる中で起こった災害であり、これまでとは違った災害であると言えます。ワクチン接種、治療薬の開発など懸命にこの事態を乗り越えるために医療関係者をはじめ、行政機関や企業、そして全ての人々が必死で努力されています。試行錯誤しながらも、いつか暗闇の中に光が見いだされることを祈らざるを得ません。

対立と混乱の中で問われる真のリーダーシップ

 一方で21世紀に入って相いれない価値観の違いから特に米国の大統領選挙に見られるように超大国アメリカは、国家の分断と相対的な影響力の低下が顕著になって来ています。また、米中対立や中東情勢の悪化など国際紛争がこれまで以上に激化しています。最近、林千勝氏著の「ザ・ロスチャイルド」という本を読みました。国際金融資本とも言われ、金融の世界だけでなく政財界に深い影響を与え、各国の政治・経済に絶大なる影響力を持つロスチャイルドやロックフェラー、近年ではジョージ・ソロスなどが世界の歴史にどれほど関与し、今日の世界の混乱にも関与しているのかを知る上でとても参考になりました。今日中国共産党習近平独裁政権の及ぼす影響力は世界に暗い影を落とし、新疆ウイグル自治区でのジェノサイドは、ヒットラーナチスを超える蛮行ですが、それを生み出したのはアメリカや欧州のこれまでの姿勢であり、背後に暗躍しているディープステイトとも言われる彼らの影響も大きいと言えます。

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 この国際金融資本家達は、ロシア革命以来国際共産主義運動を支援し、中国におけるCCP(中国共産党)の勢力拡大に力を貸して来ました。米国のFRBを通して金融による世界支配を続けて来たのも彼らです。21世紀に入ってからはビックテック企業に対しても影響力を行使し、大手マスコミに対しても真実の報道の封鎖と言論弾圧にも力を貸しています。共産主義者と彼らの共通点は一部の支配者階級による国家や世界の支配であり、多くの国際機関にも彼らの影響力は浸透しています。ただ林氏のように歴史を詳細に調べて公表することで、今日の私たちが生きている世界の真実が多くの人々に明らかになっていき、人類の未来に少しでも光明が見いだされることを願ってやみません。

物質中心主義、利己主義の克服と人々の霊性の向上

 こうした暗黒の地上世界にあって、人類救済を掲げてこれまで多くの宗教が地上に誕生して来ました。しかし、キリスト教イスラム教、ヒンズー教、仏教など多くの宗教が平和を訴え、活動を行ってきましたが却って多くの対立を助長し、問題を解決するどころか、悪化させてしまう原因ともなって来ました。特に産業革命以降人々が自然科学や工業技術の恩恵を被り、物質的な価値観が浸透するとともに、従来の宗教は人工の教義によって霊的無知の状態を脱却できずに宇宙や世界の正しいあり方を説明できずに影響力を失いつつあります。既存の宗教組織は人間として何よりも大切な霊性の進化向上に力を発揮できずに今日の物質的な価値観が支配する世界が現出しました。

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 スピリチュアリズム運動は従来の宗教が地上生活を送る人間(教祖)の教えを教義として体系化して組織を形成していったのとは根本的に異なり、肉体の寿命が来て霊界に長く生き続ける高級霊からの通信を地上の霊媒が受信して、それを整理して霊訓という形でまとめられた霊界主導の地上人類救済運動です。地上に生きている人間が如何に天啓を受けたとしても、それは肉体というフィルターを通してのものであり、地上を去って実際に霊界で生活している霊界の人々との感性は天地の開きがあります。如何に教祖といえどもその感性には限界があり、おぼろげな真理の一部しか表すことができず、しかもその僅かな真理のかけらも後世の人々によって歪められ、まったく異なるものになってしまったといえます。霊界の真実は一つしかありませんが、これまで正しくそれを解明することができなかったので、世界は常に混乱と混沌の中にあったというのです。
 科学技術は一方で神が創造された世界の仕組みを解き明かすことが出来た分だけ人々の生活の向上に寄与して来ました。それは、宇宙を支配する法則(神の摂理)に適合した内容が含まれていたからです。ただ、今求められているのは、物質的な次元を超えた霊的真理の正しい理解とその実践です。シルバーバーチの霊訓を始めとしたスピリチュアリズムの思想を体系的に正しく学び、それを実践に結びつけてこそ、今日世界が抱えている諸問題に解決の道が見いだせます。一人でも多くの皆様が真理の光に触れて、価値ある人生を歩まれること、そして暗黒の地上世界に希望の光が灯ることを願ってやみません。

◯参考動画 スピリチュアリズム普及会公式チャンネル

救済の観点から見たスピリチュアリズムの全体像

www.youtube.com

 

何故、今正しい霊的真理を学ぶ必要があるのか?

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急速な科学技術の発達と生活の質の向上

 西暦2021年を迎えた今日、最先端のテクノロジーや自然科学の知見は加速度的に私たちの生活環境を変えつつあります。今私たちは、普通に生活をしていてもその恩恵を受けて快適な暮らしを送ることが出来ます。特に1990年代のインターネットの登場は、その中でも人々の生活環境を劇的に変えた大きな出来事でした。私は1950年代に生を受けていますので、まさにビフォーデジタルからアフターデジタルのちょうど真ん中を生きて来ました。もう少し先の世代は、リアルの現実世界とバーチャルな仮想世界の境界がもっと曖昧となり、ある意味では2つの世界の融合化が進んでいくように思います。現在あらゆる産業にその流れは浸透しております。デジタル化からデジタル・トランスフォーメーション(DX)への流れが進み、ライフスタイルやワークスタイルにも劇的な変化が加速しています。新型コロナ感染症によるWithコロナの後に訪れるであろうアフターコロナの世界は、アフターデジタルの世界に更に突き進んでいくように感じています。
 私自身の日頃接している身近な企業の皆様からも現実世界が急激に進んできていることを感じています。今や個々人の趣味・趣向や行動をビッグデータによって予測し、先回りして欲しているものやコトが手に入ったり実現してしまうという時代になりつつあります。AIや量子コンピュータの進化によって、この流れはさらに加速され2030年代には、街中を空飛ぶクルマやドローンが飛び回り、自動運転のクルマが走り回る少し前のSFの世界が現実のものとなっていると予想されます。こうした技術は医学や食料生産の分野でも急速に進んでいて今や遺伝子治療やスマート農林水産業も当たり前になって来ています。身近な生活面だけを見たら、少しづつ快適な生活環境が実現してきたようにも思います。ただ、手放しで喜べないのは自然と触れる機会が極端に減っていくことによって、人間にとって大切なものを失っているのではないかという危惧です。そして、現代医学に限っていうと真の病気の原因がわからないまま、治療を行うことによって医原病(医療行為が病気の原因となっている)が増加して、根本的な治療となっていないという問題もあります。

増大する社会課題と資本主義の限界

 一方で、科学技術の進展とは裏腹に視野を地球全体に広げてみるとこれまで、後回しにしてきた課題が蓄積されて、臨界点に近づいて来ているように感じます。その一つが気候変動による災害の増大であり、国の内外における経済格差の拡大(貧富の差の拡大)と経済のグローバル化の弊害、覇権国同士の対立、そして社会不安の増大による精神疾患の増大など科学技術の進展だけでは、克服できない課題の表面化と新しい価値観の必要性です。特に人間とは何か、人生において最も何が最も価値あるものなのについての正しい共通認識の確立が今何より求められているのです。今日、世界の多くの国は一部の独裁国家を除いて経済システムとしては資本主義、政治体制としては民主主義の形態を取っています。独裁的と言われる共産主義国家でさえ、一部この仕組みを取り入れざるを得ないのが現実です。その資本主義の欠陥が特に21世紀に入って顕著に表れて来ていると感じます。特に欧米諸国において1990年代頃から盛んになった新自由主義や株主の利益を企業価値の第一におく株主利益を第一義とした市場経済至上主義は多くの矛盾を露呈して来ています。そうした行き過ぎた利益偏重の流れがここ10年くらいで、少しづつ変化して来ています。2015年に国連サミットで採択されたSDGsは、持続可能な社会の実現を第一義とする世界共通の目標として企業経営にも取り入れられつつあり、明確なゴールを設定してそこに向けて各企業が経営戦略を進化発展させようとする動きとして注目されています。

社会課題の解決こそ企業の存在価値という考え

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マイケル・ポーター教授

 こうした動きが始まる前から、ネスレスターバックス、アップル、ノボ・ノルデイックスなど世界的に著名や企業や国内でも花王YKK竹中工務店などは企業理念として、長期的な視点で社会課題の解決と企業価値の創造を両立してきたと言えます。マイケル・ポーターハーバードビジネスレビューで提唱したCSV(Creating Shared Value)=共創価値の創造=は、従来経済効果と社会的価値の創出は相いれないものだとされてきたのですが、両者の両立、ひいてはお互いがお互いを高め合う状況を目指す価値観として注目されています。
 実は、日本資本主義の父と言われた渋沢栄一が提唱した合本主義もこの考えに近く著書の『論語と算盤』では、まさに日本古来の武士道の道徳を論語として表現しています。つまり利益よりも前に道徳的な価値観が先に来るという考え方です。持続可能な社会を実現するためには、しっかりとした適正な利益を出し続けることも必要条件ではありますが、それは企業の目的(Purpose)ではなく企業の目的は社会課題の解決であったり、地球環境の維持であったり、人々の幸福の実現に寄与することであるということです。資本主義というと資本が主体と捉えられてしまい誤解を受けますが、合本主義や日本流にいえば経済学者の名和高司氏の提唱する志本主義と言い換えると、これからの経営システムが見えて来るのかもしれません。ただ、それでも物質的な価値観を主体として考えている限りは、いずれ限界に突き当たります。

スピリチュアリズムの登場と新しい価値観の創出

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アルバート・アインシュタイン

 私は19世紀半ばに登場した心霊主義スピリチュアリズム)がこれからの世界を考える上で決定的な役割を果たすと考えています。今日科学技術の発展が何故、私達の生活の向上を促すことに貢献してこれたのか、それは私たちを取り巻く自然環境や私達自身の物資的な側面を科学的な視点でより正確に理解し、それを技術開発によって現実課題の解決に役立てるように工夫してそれを実現させてきたからです。しかし、それは物質次元のことであって、世界を構成する要素の一部に過ぎません。自然科学の分野でも、相対性理論量子論の登場によって私たちの肉体が存在している3次元世界(物質世界)は、存在の一部を占めているに過ぎないことが分かって来ました。アインシュタインは、ニュートン運動方程式は地球上の特殊な場でのみ成り立つものであり、宇宙という次元では時間は相対的なものであり、観測する人の状態によっては変化するものであることを発見しました。さらに量子論では量子が存在する世界では、私たちが物質と定義している存在そのものが確率論的に存在しているに過ぎず、人間が認識できる範囲はごく限られた世界の一部であることを明らかにしました。

スピリチュアリズムの人生観

 19世紀半ばに登場したスピリチュアリズムは、死後の世界にも人は存在し続け、霊媒を媒介して地上の人間には想像できないような無限とも思える叡智に基づく霊的真理を伝えて来ました。これまでの宗教組織のように教祖や教義、教団という形式は全くなく、ただただ無限とも思える最高の叡智によるメッセージを私達人類に送ってきたのです。それは、霊的無知のために、誤った価値観によって不幸に陥ってしまった地上人類を救済しようとする高級霊の働きであるとするものです。私たちが現実世界として認識している世界は、福岡伸一氏の『動的平衡』論によれば地球上の生命の流れを形成する流れの一部に過ぎす、その誕生と死も状態の変化に過ぎないということになります。つまり、ここからはスピリチュアリズムに対する私の理解ですが、生命の本質である霊は異なる次元を行き来していて、ヒトの誕生は肉体という3次元の物質的要素に霊という別次元の意識(スピリットともいいます)が融合し、肉体という乗り物で人生という流れの中で様々な体験を行い、肉体の寿命が終了した後は、4次元以上のもとの世界(霊的な世界)に戻っていくということです。但し、地上人生を送っている間は、霊と肉は次元は異なるものの、同じ空間上に存在し人は顕幽両世界に同時に存在しているとしています。しかも私という存在は、霊を備えた肉体ではなく、肉体を備えた霊であるとします。つまり、目に見える肉体が主ではなく、目に見えない霊が主体であるとしています。そして、こうしたメカニズムを創造し運行している大本(おおもと)として宇宙の大霊(神と呼んでも良い)という存在があるということです。
 従来の宗教とスピリチュアリズムの根本的な違いは、スピリチュアリズムではこうした法則(摂理)を創造し、運行している存在(大霊)は、私たちに地上生活を自由意志に基づいて霊的成長という宝を得るために生きるように設計されたとしているところです。その根本を多くの人々が理解し、自らの人生に積極的に取り入れることによって、自らの人生の課題と共に、今世界が抱えている根本的な課題を解決し、真の幸福な理想社会を実現していこうとしているのが、スピリチュアリズム運動だと私は理解しています。まだまだ人類全体から見たら少数の価値観だと思います。しかし、宇宙を貫く永遠の摂理、すべての霊界人が共通して持っている不変の価値観であるスピリチュアリズムの本質が共通認識として広まることによって私たちの世界は確実に良くなっていくと確信しています。

 

「人間 この未知なるもの」と人間への考察

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人間とは何かについての考察

 ここ2回ほど渡部昇一氏著の『魂は、あるか?』~「死ぬこと」についての考察~の内容を中心に感想などを書かせていただきました。今回は、この本の中にも登場するフランス人でノーベル生理学・医学賞を受賞されたアレクシル・カレル氏著の『人間 この未知なるもの』の紹介と感想を書かせていただきます。実はこの本の訳者も渡部昇一氏です。この本の初版は1935年で、私自身もう随分前にこの本を読んだ記憶があります。ただ、今回は渡部氏の『魂は、あるか』でも推奨されていたこともあり、ウォレスについての本も購入したこともあり、2020年に改訂版も出ていたので、新たに購入して読み直しました。渡部氏も書かれていますが、カレルの本は、自然科学の発見を含む人類空前の大文明を作った西洋人が人間というものを十分知らなかったことから崩壊の危機に瀕しているという危機感から書かれています。
 第1章「人間とは何か-その多様な資質の未来」でカレルは物質(無生物)の科学と生物を扱う科学はひどいアンバランスにあると指摘します。物質の世界を扱う物理学や化学によって物質の組成や性質を学ぶことにより、人は将来どんなことがあるかを予測したり支配することができたと言います。一方、生物、特に人間を研究する科学は遅れていてまだ観察、描写の段階にとどまっていると述べています。更に生理学者でもあるカレルは、第3章「行動する身体と生理的活動」で身体機能と生理的活動については専門家としてユニークな表現で人体の構造や機能について解説しています。一つ一つの章には科学者としてのカレルの深い洞察力に基づく人間存在に関する理解が今日でも全く色褪せない内容として伝わってまいります。ただここでは本の解説をすることが目的ではないので、スピリチュアリストとしての視点から興味を持った内容について考察していきます。

ルルドの泉での奇跡との遭遇

 渡部氏がカレルに興味を持ち、『魂は、あるか?』でも取り上げた理由の一つは以下の内容です。カレルが若き青年医師であった時に、末期の結核性腹膜炎の患者のたっての願いで、その頃奇跡が起こると評判のあったルルドの泉にその患者を連れていき、泉につけたところ見る間に患者の腫れが引けて回復するという体験をします。この神秘的な体験が後のカレルの人生観、人間観に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。そして『人間 この未知なるもの』の第8章「人間再興の条件」の中でカレルは「私達は大都市生活の粗野な状態、工場や会社の無理な要求、経済的利益のために道徳的品位を犠牲にし、お金のために精神を犠牲にすることを、もうこれ以上現代文明の恩恵として受け入れるべきではない。・・・人間を物への信仰から解放することで、人間の生存状態の非常に多くの面が変わることは明らかである」と述べています。つまり、経済や物質を至上のものとして突き進むことに警鐘を鳴らしています。これは、現代社会にも当てはまります。
 私達は、物質的なものや経済的なものに対してより大きな価値を置き、特に生命の神秘のような、理詰めでわからない問題に対しては、その価値を認めようとしません。カレルが当時の西洋文明の崩壊に対して抱いた危機感は、私達も人新世という言葉が出てきたように、人が作り出した物質文明が地球全体の環境の激変を招き大規模な気候変動という形で地球環境全体に対する脅威となっていることを自覚し始めました。更にバイオテクノロジー遺伝子工学など高い倫理観が求められる問題に対して、物質的な価値観を優先させて、とても危険な方向に向かっているように感じます。つまり未熟な精神性では制御出来ないアンバランスな科学技術の急激な進歩は、文明崩壊を招くことを人々は肌で感じ初めているのです。

真の人間観に至ることの重要性

 ただ、注目すべきなのはカレルは物質主義への反動としての精神主義に陥ることにもその危険性を指摘しています。つまり自然科学が私達に与えた様々な恩恵を正しく享受した上で、物質と精神の調和を図ることことが重要であると主張するのです。つまり、西洋の中世のようなキリスト教による支配のような合理的な精神に基づかない偏った価値化にも警鐘を鳴らしているのです。そして有能な「総合者」を育成することを推奨しています。専門家にすべてを委ねるのではなくすべての科学を包括する人を育成し、総合的な判断をすることが重要であると述べています。カレルは人間とは何かという探求を通して、人間は肉体という物質としての構成要素からなるとともに、意識や精神といった目に見えなくても明確に存在しているものを総合的に捉えることの重要性を訴えます。スピリチュアリズムにおいても、部分的な理解ではなく全体像を体系的に理解することの重要性が強調されます。総合的に理解するためには、細部の知識や情報だけに意識を集中するのではなく、全体の中でその部分はどのような意味を持つのかということを絶えず意識して、その部分を理解することが大切になります。
 そしてカレルは「医学は人間の真の姿を考慮に入れなければ、人が必要としているような健康を与えることは出来ない」と述べて、これまでの西洋中心の物質的な面に偏った見方では真の健康は得られないとも述べています。スピリチュアリズムでは、肉体と精神というだけでなく霊という存在が人間を構成する要素として存在し、人間の本質は目に見えない霊であるとします。だとしたら、人間という存在を正しく認識していない現代医学には、解決できない問題が内包しており、真の健康を達成することは出来ないということになります。まだまだ、そのことを人々が理解するに至るには多くの時間を要すると思いますが、その時が訪れることを願わずにはいられません。アレクシル・カレルの辿った人生に思いを馳せるとともに、今日の人類が直面している問題の本質は何かを多くの人が全体像を深く洞察するという立場から再考されることを願ってやみません。

「魂は、あるか?」~「死ぬこと」についての考察~を読んで(2)ー進化論とA・R・ウォレスー

 

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魂の存在を否定した19世紀型進化論

 19世紀の中頃まで、西洋文明においては最も完全なものは神であり、神に依存して人間や自然は生まれてきたという考えはキリスト教圏では常識でした。そこへ登場したのが1859年にチャールズ・ダーウィンによって書かれた『種の起源』(The Origin of Species)でした。『種の起源』の何が問題だったかというと通俗的に人間はサルから進化して生まれてきたととらえたことだと渡部氏は述べます。そうすると神の子としての人間という考え方が否定され、その後社会進化論や言語進化論というものが登場し、それが特に白人とそれ以外の人種は進化のレベルが違うという人種差別の考えの元凶となっていったといいます。こうした考えが19世紀後半以降の帝国主義的な植民地政策の根拠となっていったと氏はいいます。ダーウィンその人とは全く関係のない歪曲された進化論という考え方が白人にとって都合の良いように解釈されて拡散してしまったのです。今日の医学、生物学の考えの根底には、この19世紀型の唯物的な進化論の考えが根底に流れていると思いますが、その考えだけでは説明できない問題が今日、様々な点で表面化しつつあります。自然科学やテクノロジーは、多くの恩恵を私たちに与えてくれました。しかし、地球環境の激変や災害リスクの増大、医原病の問題など唯物的な自然淘汰的な考えだけでは説明できないことが多く存在していることを多くの人々は認識しつつあるのです。

2001年の上智大学の最終講義

 イギリスの生物学者博物学者、そして探検家、人類学者でもあるアルフレッド・ラッセル・ウオレスはダーウィンに比べれば知名度はありませんが、分布境界線(ウォレス線)の発見者であり、生物地理学の父とも呼ばれている人です。渡部氏は、このウォレスという人物に大変な興味を持ち、2001年の上智大学の最終講義でもこのウォレスについて紹介し、ご子息の手によって氏の死後に発見された1,157枚の遺稿をもとに出版された『幸福なる人生-ウォレス伝』は一人称の形で記されていますが、そこには私達日本人への深いメッセージが込められています。この本の巻末に掲載された2001年1月20日に行われた上智大学における最終講義「科学からオカルトへ」ーA・R・ウォレスーの中で、虫の採集から「適者生存」の法則を発見し、更に『種の起源』を完成に導いた「分岐の原理」を見出したとされるウォレスですが、ダーウィンとの関係は最後まで良好だったと氏は述べています。ところが人間の進化をめぐっては両者は鋭く対立するようになります。

ダーウィンとウオレスの相違点
 両者が対立した点は、ダーウィンの主張は最後まですべての進化は人間の場合も含めて自然淘汰であり、これは生き延びるためには少しでも優位であれば良いという功利的な考えです。一方ウォレスの主張は、人間の体の進化は早い時期に止まってそれ以降は全く変化がない、つまり安定的であり、脳だけが進化したのだとします。そしてその段階に至った時に、自然淘汰で言っていることが全部あてはまらないというのです。そして、人間の脳、特に言語というのは自然淘汰でいうこところの必要とそれが発達に結びつくということが全然なく、その概念にあてはまらないといいます。そしてそのような脳ができた時に、そこにどう考えても死なない霊魂が出来た、あるいは非常に高いインテリジェンス(不死の霊魂)が神から入ってきたとしか説明できないというのです。

 1912年にイギリスのビルドダウンで見つかった人骨はダーウィンの進化論を裏付けるようなサルと人間の中間的な生物がいた、つまりミッシングリンクが見つかったとして当時大変話題になったそうです。多くの人々がこの発見を通してダーウィンの説は正しかったと考えたのですが、ウォレスだけはこの骨の発見は何も証明していないとして否定します。そして1955年にオックスフォード大学のワイナーが完璧なまでにビルドダウン人がインチキであることを発見します。こうしてウォレスの正しさが証明されたことになり、霊魂は不滅であるというウォレスの考えの正しさを明らかにしました。人間と他の動物の基本的な差は不滅的な要素(霊魂)があるかないかであり、ウォレスは不滅の霊魂の存在は心霊現象によっても証明されるとして、その人間の霊魂の不滅性の現れが言語なのだとします。

ウォレスのスピリチュアリズムとの出会い

 ウォレスが霊魂の不滅性を主張するようになった背景には、当時の英国におけるスピリチュアリズムとの出会いがあります。シャーロック・ホームズの著者としても有名なコナン・ドイルや真空放電の実験で知られる一級の化学者であるウィリアム・クルックスもスピリチュアリストでしたが、ウォレスもその一人だったのです。彼は自宅や友人の家で霊媒について様々な実験を行い、霊は確実に存在し、霊媒さえ良ければこの世に出現するという確信を持つに至ります。それまで目に見えない存在、現実とは異なった世界へのアプローチは宗教的なものに限られていて、教義による押し付けに過ぎないものでした。ウォレスは人間の脳が進化論の法則とは合わないことを発見し、人間の脳は、根本的には類人猿や猿人から発達したにものではなく、脳そのものの中に変化が生じたのだと考えたのです。つまり、進化の法則には合わないと考えたのです。渡部氏は古典力学では物は連続して変化すると考えるのに対して量子力学では変化は不連続だと考える点に着目して量子力学的飛躍(クォンタム・リープ)の例を出して、ウォレスが人間に不滅の霊魂が存在するという結論に至ったのはクォンタム・リープがあったからだと考えると述べています。そして渡部氏自身は言語こそが、霊魂の存在を証明するものだと確信するに至るのですが、その霊魂を人間の脳との関係で導きだしたのがウォレスであったと述べています。渡部氏にとってウオレスが特別な存在となったのは、若き日にカトリックの信仰を持った氏が、それでも神や不滅への霊魂に対する確信が持てなかった葛藤の中で、ウオレスの学者としての経験や真理探究への道程から導き出された神や霊魂の存在に対する確信に共感したからではないかと想像します。

 スピリチュアリズムでは、人間の本質は霊を備えた肉体ではなくて、肉体を備えた霊であるとしています。渡部氏が最後までウォレスにこだわり続けたのは自身の死を前にして、氏が死後の霊魂の存在に絶対的な確信を持つに至った一つの過程として、どこまでも科学的な立場で、考古学的なアプローチからも納得できる形で私達に伝えようとしたウォレスに生き様に共感を感じ、惹かれるものがあったのではないでしょうか。そして文明人や未開人を問わず、人間の魂には道徳観が予め備わっていることを見出したウォレスが神への信仰に至ったように、渡部氏もまた一人の人として真理の探求を生涯続けられて、最も人生観の確立に影響を受けた人物としてウォレスを取り上げたのだと思います。そしてそれが、私達日本人へのメッセージにもなっているように感じます。

希望のある人生を歩むには
 この度の渡部昇一氏の『魂はあるか?』や関連書として『幸福なる人生』ウォレス伝を読ませていただいて、最近の世相を見ながら感じることが多くあります。この1年半以上に及ぶ新型コロナウィルスが私達につきつけているものの正体です。コロナの発生については、当初より自然発生説に対してもともと人工的な生物実験から生じたという研究所由来説が存在しました。そして今、多くの人々は感染の恐怖を感じながら自粛生活を余儀なくされています。そこで今人々の心の中には先が見えないことへの不安や恐怖の感情が渦巻いています。私は、現実的な感染症の問題よりもっと大きな問題は、はっきりとした答えが見つからないことへのいらだちや不安ではないかと思います。それこそが、私達に突きつけられている問題の本質ではないかと感じています。

 これまでの人類の歴史は細菌やウィルスとの戦いの歴史であり、14世紀のヨーロッパを襲った黒死病や20世紀始めのスペイン風邪など、多くの死者を出しながら、その都度その戦いから多くの教訓を私達は得て来ました。自然発生であれ、人工的なものであれ、今日の世界的なパンデミックには人類は総力を上げて戦わなくてはなりません。既に感染症による身体的な脅威だけでなく、精神的な面でも、また経済的な面でも人々は脅威に晒されています。私自身、こうした状況をどのように捉えるべきか考察して来ました。そこで、一番支えとなったのがスピリチュアリズムの示す霊魂の不滅という考えと、既存の宗教とは異なる神への絶対的な信仰でした。死後の世界が明確に存在し、神の摂理があらゆる存在に働いているという確信は穏やかな日常を生きていく上で大きな支えとなります。パスカルの賭けの理論ではありませんが、神と神の創造された摂理に対する絶対的な信頼と確信は、この度のパンデミックや避けて通れない自然災害や様々な問題を乗り越えるべき試練として考えさせてくれます。そして渡部氏が幸福なる人生を全うされたように、私達もまた確かなものを心の中に持つもことが、希望のある人生を歩むために不可欠な信念ではないかと日々実感しています。是非、多くの皆様が漠然とした不安から開放されて穏やかな希望のあふれた人生を歩まれるよう願ってやみません。

 

 

渡部昇一氏の『魂はあるか?』~「死ぬこと」についての考察~を読んで〈1〉

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人間とはどういう存在なのか

 週末を利用して、日本の代表的知識人として「知的生活の方法」等の数多くの著者として知られる渡部昇一氏が2017年の逝去される前にご子息からのロングインタビューを基にして映像制作したものを本にまとめた『魂はあるか?』~「死ぬこと」についての考察~を拝読しました。これまでの渡部氏のどの著書とも異なる、神の存在や、死後の世界について問う深遠な内容となっています。渡部氏に影響を与えたフレーズ・パスカルの『パンセ』やアレクシス・カレルの『人間この未知なるもの』、そして進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの『種の起源』に多大な影響を与えたアルフレッド・ラッセル・ウオレス(後年スピリチュアリストとなる)の著作やその足跡を通して、渡部氏自身が死後の世界とどう向き合い、カトリックの信仰とはまた別の意味でスピリチュアリズムの精神に共鳴して確信を持つようになったのか、その思考の過程が丁寧に書かれています。

 渡部氏は真の心の安らぎを得るには、「人間とはどういう存在なのか」という、人間の存在そのものを問わねばならないと述べます。人間の存在を問うとき、「魂の存在」「死後の世界」「宗教」の3つの原点について問わざるを得ないといいます。そしてパスカルやウオレス、アレクシル・カレルなどの古今の偉人の生き方や言葉から、そして渡部氏の言語学者としての見地から数十年に及ぶ思索を重ねた中でその問いに対する答えを導き出しました。それは、「魂はある」「死後の世界は存在する」「信仰は弱い人間の心の支えになる」というものでした。氏はご自身の80有余年の体験と、その間に学んできたことの中から、ご自身が3つの原点の内容を納得して心の安らぎや、魂の安らぎを得るに至ったというのです。今日、世界は新型コロナウィルスの脅威に晒されて、自分自身も含めて身近な人々が、死と隣合わせであると感じる時代を生きています。2011年の東日本大震災のような巨大災害に遭遇した時もそうですが、これまで当たり前であった日常生活が非日常となり、生死の危機にさらされた時、それまでは遠いことのように思えた死後の世界の問題が、大きなテーマとなってまいります。死は何の前触れもなく突然襲ってくることを知った時、人々は自らの死について深く考えざるを得なくなります。そして死について考えることは、魂の存在について考えることにつながるとも、渡部氏は述べています。
パスカルの賭けの精神
 
渡部氏は、信仰へと至るその思考遍歴の中でパスカルの『パンセ』に出会います。パスカルはフランスの哲学者、実験物理学者であり、数学者、思想家、そして宗教家でもあった天才でした。『パンセ』の中でパスカルは、「賭けの精神」の必要性について述べています。「神は、あるいは死後の世界はあるか、ないか」と問いかけられたとき、すでに「あるかないか」を決める「船に乗り込んでしまっている」とパスカルは主張します。そして「あるかないか」選ばなければならないのなら、どちらのほうが私たちにとって利益が多いかを考えてみようというのです。「神は存在しない、死後の世界はない」のほうに賭けて死んでみて、神も死後の世界もないとしたらそれだけのことです。しかし、死んでみて神も死後の世界もあったとしたら、賭けに負けたことになり、その時は大変な後悔が待っています。

 一方、「神も死後の世界もある」に賭けて勝負に勝ったら、私たちはまるもうけするといいます。もし負けて神と死後の世界がなかったとしても、何の損もないのだといいます。つまり神の存在や霊魂の不滅、死後の世界への信仰を持つことによって、私たちは失うものは何もなく、それどころか何の信仰も持たずに生きるということは死の恐怖にとらわれて精神的な充足感のない人生を送ることになります。そうであれば、神の存在を信じ、魂の不滅を信じることによって、充実した人生を送ることができるようになったほうが良いのは自明の理であるといいます。多くの哲学者や賢人の努力にもかかわらず、理性や論理に頼っても結局神の存在や霊魂の不滅は最終的に証明はできません。それは、こうした問題が自然科学や数学の世界とは次元の異なる問題だからです。パスカルは神は存在する、霊魂は不滅である、死後の世界も存在するというほうに賭けるほうがリスクが少ないと説いているといいます。

パスカルの説いた「繊細なる精神」の重要性

 パスカルは科学者として、論理的精神や科学的な精神の重要性を誰よりも知っていました。それに加えて「繊細なる精神」があるとと鋭く指摘します。人間には、複雑な事象を論証に頼らず、直観的・全体的に把握する柔軟性に富む認識能力があると指摘します。これが「直観的な精神」ともいえます。近代が始まる前のヨーロッパは大雑把にみると神や霊魂を信じることは当たり前のことでした。トマス・アキナスの『神学大全』などの中世の哲学がそれを支えていました。そこにデカルトが登場します。デカルトの「われ思う、故に我あり」という言葉は、「身体」とは区別された「精神」の存在を指し示しているといいます。デカルト物心二元論を説き、数学の真理は神に由来すると確信し、その確信はニュートンに受け継がれて西欧に自然科学が発達し、その後幾何学的精神ばかりが一人歩きして、科学一辺倒の近代社会になったとしています。一方同時代に生きたパスカルは、こうしたデカルトの考えに人間らしさのない危険な思想を感じ取ったと渡部氏は指摘します。パスカルは人間精神には、「幾何学的な精神」も重要だが、それ以上に「繊細なる精神」も重要で、片一方にこだわると知らず知らずに落とし穴に嵌まることを直感的に知っていたのだと述べます。
 今日、科学技術万能主義の影響は至るところに見られます。確かに物質文明の恩恵を私たちは日々実感しています。先回のブログでも紹介させていただきましたが、様々な社会課題の解決に対して科学技術の果たす役割が大きいことは誰もが認めています。しかし、一方でもう少し、視野を広げてみれば特に産業革命以後、人々は大量生産、大量消費によって科学技術の恩恵をこうむると同時にその陰の部分として地球環境全体に取り返しのつかない変化をもたらすことによって、気候変動や生物多様性の喪失など私たちは科学技術万能主義では解決できない、文明の転換期に生きていることも事実です。東日本大震災では、津波の被害だけでなく物質文明の象徴ともいえる原子力発電所に事故が起き、今なお福島原発事故の影響は日本の未来に深刻な影響を与えています。

人間は考える葦である

 パスカルは『パンセ』の中で、人間は考える葦であるという言葉とともに「だから、われわれの尊厳のすべては、考えることの中にある。・・・だから考えることから努めよう。ここに道徳の原理がある」とも述べています。科学万能主義によって、人間は自然を思い通りにしようとしてきました。その傲慢さが東日本大震災によって、そして今日のパンデミックによって一気に打ち砕かれてしまいました。渡部氏は、私たちへの遺言ともいえるこの著書の中で、神の存在、魂の不滅の問題、死後の世界の存在を私たちが確信することによって、こうした科学万能主義を克服して希望のある未来を見出すことができるのだと語っているように感じます。次回は、アルフレッド・ラッセル・ウオレスやアレクシル・カレルに対する考察に触れて、神の存在、魂の問題、そして死後の世界の問題についてより深めてまいりたいと思います。