札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

「人間 この未知なるもの」と人間への考察

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人間とは何かについての考察

 ここ2回ほど渡部昇一氏著の『魂は、あるか?』~「死ぬこと」についての考察~の内容を中心に感想などを書かせていただきました。今回は、この本の中にも登場するフランス人でノーベル生理学・医学賞を受賞されたアレクシル・カレル氏著の『人間 この未知なるもの』の紹介と感想を書かせていただきます。実はこの本の訳者も渡部昇一氏です。この本の初版は1935年で、私自身もう随分前にこの本を読んだ記憶があります。ただ、今回は渡部氏の『魂は、あるか』でも推奨されていたこともあり、ウォレスについての本も購入したこともあり、2020年に改訂版も出ていたので、新たに購入して読み直しました。渡部氏も書かれていますが、カレルの本は、自然科学の発見を含む人類空前の大文明を作った西洋人が人間というものを十分知らなかったことから崩壊の危機に瀕しているという危機感から書かれています。
 第1章「人間とは何か-その多様な資質の未来」でカレルは物質(無生物)の科学と生物を扱う科学はひどいアンバランスにあると指摘します。物質の世界を扱う物理学や化学によって物質の組成や性質を学ぶことにより、人は将来どんなことがあるかを予測したり支配することができたと言います。一方、生物、特に人間を研究する科学は遅れていてまだ観察、描写の段階にとどまっていると述べています。更に生理学者でもあるカレルは、第3章「行動する身体と生理的活動」で身体機能と生理的活動については専門家としてユニークな表現で人体の構造や機能について解説しています。一つ一つの章には科学者としてのカレルの深い洞察力に基づく人間存在に関する理解が今日でも全く色褪せない内容として伝わってまいります。ただここでは本の解説をすることが目的ではないので、スピリチュアリストとしての視点から興味を持った内容について考察していきます。

ルルドの泉での奇跡との遭遇

 渡部氏がカレルに興味を持ち、『魂は、あるか?』でも取り上げた理由の一つは以下の内容です。カレルが若き青年医師であった時に、末期の結核性腹膜炎の患者のたっての願いで、その頃奇跡が起こると評判のあったルルドの泉にその患者を連れていき、泉につけたところ見る間に患者の腫れが引けて回復するという体験をします。この神秘的な体験が後のカレルの人生観、人間観に多大な影響を与えたことは想像に難くありません。そして『人間 この未知なるもの』の第8章「人間再興の条件」の中でカレルは「私達は大都市生活の粗野な状態、工場や会社の無理な要求、経済的利益のために道徳的品位を犠牲にし、お金のために精神を犠牲にすることを、もうこれ以上現代文明の恩恵として受け入れるべきではない。・・・人間を物への信仰から解放することで、人間の生存状態の非常に多くの面が変わることは明らかである」と述べています。つまり、経済や物質を至上のものとして突き進むことに警鐘を鳴らしています。これは、現代社会にも当てはまります。
 私達は、物質的なものや経済的なものに対してより大きな価値を置き、特に生命の神秘のような、理詰めでわからない問題に対しては、その価値を認めようとしません。カレルが当時の西洋文明の崩壊に対して抱いた危機感は、私達も人新世という言葉が出てきたように、人が作り出した物質文明が地球全体の環境の激変を招き大規模な気候変動という形で地球環境全体に対する脅威となっていることを自覚し始めました。更にバイオテクノロジー遺伝子工学など高い倫理観が求められる問題に対して、物質的な価値観を優先させて、とても危険な方向に向かっているように感じます。つまり未熟な精神性では制御出来ないアンバランスな科学技術の急激な進歩は、文明崩壊を招くことを人々は肌で感じ初めているのです。

真の人間観に至ることの重要性

 ただ、注目すべきなのはカレルは物質主義への反動としての精神主義に陥ることにもその危険性を指摘しています。つまり自然科学が私達に与えた様々な恩恵を正しく享受した上で、物質と精神の調和を図ることことが重要であると主張するのです。つまり、西洋の中世のようなキリスト教による支配のような合理的な精神に基づかない偏った価値化にも警鐘を鳴らしているのです。そして有能な「総合者」を育成することを推奨しています。専門家にすべてを委ねるのではなくすべての科学を包括する人を育成し、総合的な判断をすることが重要であると述べています。カレルは人間とは何かという探求を通して、人間は肉体という物質としての構成要素からなるとともに、意識や精神といった目に見えなくても明確に存在しているものを総合的に捉えることの重要性を訴えます。スピリチュアリズムにおいても、部分的な理解ではなく全体像を体系的に理解することの重要性が強調されます。総合的に理解するためには、細部の知識や情報だけに意識を集中するのではなく、全体の中でその部分はどのような意味を持つのかということを絶えず意識して、その部分を理解することが大切になります。
 そしてカレルは「医学は人間の真の姿を考慮に入れなければ、人が必要としているような健康を与えることは出来ない」と述べて、これまでの西洋中心の物質的な面に偏った見方では真の健康は得られないとも述べています。スピリチュアリズムでは、肉体と精神というだけでなく霊という存在が人間を構成する要素として存在し、人間の本質は目に見えない霊であるとします。だとしたら、人間という存在を正しく認識していない現代医学には、解決できない問題が内包しており、真の健康を達成することは出来ないということになります。まだまだ、そのことを人々が理解するに至るには多くの時間を要すると思いますが、その時が訪れることを願わずにはいられません。アレクシル・カレルの辿った人生に思いを馳せるとともに、今日の人類が直面している問題の本質は何かを多くの人が全体像を深く洞察するという立場から再考されることを願ってやみません。

「魂は、あるか?」~「死ぬこと」についての考察~を読んで(2)ー進化論とA・R・ウォレスー

 

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魂の存在を否定した19世紀型進化論

 19世紀の中頃まで、西洋文明においては最も完全なものは神であり、神に依存して人間や自然は生まれてきたという考えはキリスト教圏では常識でした。そこへ登場したのが1859年にチャールズ・ダーウィンによって書かれた『種の起源』(The Origin of Species)でした。『種の起源』の何が問題だったかというと通俗的に人間はサルから進化して生まれてきたととらえたことだと渡部氏は述べます。そうすると神の子としての人間という考え方が否定され、その後社会進化論や言語進化論というものが登場し、それが特に白人とそれ以外の人種は進化のレベルが違うという人種差別の考えの元凶となっていったといいます。こうした考えが19世紀後半以降の帝国主義的な植民地政策の根拠となっていったと氏はいいます。ダーウィンその人とは全く関係のない歪曲された進化論という考え方が白人にとって都合の良いように解釈されて拡散してしまったのです。今日の医学、生物学の考えの根底には、この19世紀型の唯物的な進化論の考えが根底に流れていると思いますが、その考えだけでは説明できない問題が今日、様々な点で表面化しつつあります。自然科学やテクノロジーは、多くの恩恵を私たちに与えてくれました。しかし、地球環境の激変や災害リスクの増大、医原病の問題など唯物的な自然淘汰的な考えだけでは説明できないことが多く存在していることを多くの人々は認識しつつあるのです。

2001年の上智大学の最終講義

 イギリスの生物学者博物学者、そして探検家、人類学者でもあるアルフレッド・ラッセル・ウオレスはダーウィンに比べれば知名度はありませんが、分布境界線(ウォレス線)の発見者であり、生物地理学の父とも呼ばれている人です。渡部氏は、このウォレスという人物に大変な興味を持ち、2001年の上智大学の最終講義でもこのウォレスについて紹介し、ご子息の手によって氏の死後に発見された1,157枚の遺稿をもとに出版された『幸福なる人生-ウォレス伝』は一人称の形で記されていますが、そこには私達日本人への深いメッセージが込められています。この本の巻末に掲載された2001年1月20日に行われた上智大学における最終講義「科学からオカルトへ」ーA・R・ウォレスーの中で、虫の採集から「適者生存」の法則を発見し、更に『種の起源』を完成に導いた「分岐の原理」を見出したとされるウォレスですが、ダーウィンとの関係は最後まで良好だったと氏は述べています。ところが人間の進化をめぐっては両者は鋭く対立するようになります。

ダーウィンとウオレスの相違点
 両者が対立した点は、ダーウィンの主張は最後まですべての進化は人間の場合も含めて自然淘汰であり、これは生き延びるためには少しでも優位であれば良いという功利的な考えです。一方ウォレスの主張は、人間の体の進化は早い時期に止まってそれ以降は全く変化がない、つまり安定的であり、脳だけが進化したのだとします。そしてその段階に至った時に、自然淘汰で言っていることが全部あてはまらないというのです。そして、人間の脳、特に言語というのは自然淘汰でいうこところの必要とそれが発達に結びつくということが全然なく、その概念にあてはまらないといいます。そしてそのような脳ができた時に、そこにどう考えても死なない霊魂が出来た、あるいは非常に高いインテリジェンス(不死の霊魂)が神から入ってきたとしか説明できないというのです。

 1912年にイギリスのビルドダウンで見つかった人骨はダーウィンの進化論を裏付けるようなサルと人間の中間的な生物がいた、つまりミッシングリンクが見つかったとして当時大変話題になったそうです。多くの人々がこの発見を通してダーウィンの説は正しかったと考えたのですが、ウォレスだけはこの骨の発見は何も証明していないとして否定します。そして1955年にオックスフォード大学のワイナーが完璧なまでにビルドダウン人がインチキであることを発見します。こうしてウォレスの正しさが証明されたことになり、霊魂は不滅であるというウォレスの考えの正しさを明らかにしました。人間と他の動物の基本的な差は不滅的な要素(霊魂)があるかないかであり、ウォレスは不滅の霊魂の存在は心霊現象によっても証明されるとして、その人間の霊魂の不滅性の現れが言語なのだとします。

ウォレスのスピリチュアリズムとの出会い

 ウォレスが霊魂の不滅性を主張するようになった背景には、当時の英国におけるスピリチュアリズムとの出会いがあります。シャーロック・ホームズの著者としても有名なコナン・ドイルや真空放電の実験で知られる一級の化学者であるウィリアム・クルックスもスピリチュアリストでしたが、ウォレスもその一人だったのです。彼は自宅や友人の家で霊媒について様々な実験を行い、霊は確実に存在し、霊媒さえ良ければこの世に出現するという確信を持つに至ります。それまで目に見えない存在、現実とは異なった世界へのアプローチは宗教的なものに限られていて、教義による押し付けに過ぎないものでした。ウォレスは人間の脳が進化論の法則とは合わないことを発見し、人間の脳は、根本的には類人猿や猿人から発達したにものではなく、脳そのものの中に変化が生じたのだと考えたのです。つまり、進化の法則には合わないと考えたのです。渡部氏は古典力学では物は連続して変化すると考えるのに対して量子力学では変化は不連続だと考える点に着目して量子力学的飛躍(クォンタム・リープ)の例を出して、ウォレスが人間に不滅の霊魂が存在するという結論に至ったのはクォンタム・リープがあったからだと考えると述べています。そして渡部氏自身は言語こそが、霊魂の存在を証明するものだと確信するに至るのですが、その霊魂を人間の脳との関係で導きだしたのがウォレスであったと述べています。渡部氏にとってウオレスが特別な存在となったのは、若き日にカトリックの信仰を持った氏が、それでも神や不滅への霊魂に対する確信が持てなかった葛藤の中で、ウオレスの学者としての経験や真理探究への道程から導き出された神や霊魂の存在に対する確信に共感したからではないかと想像します。

 スピリチュアリズムでは、人間の本質は霊を備えた肉体ではなくて、肉体を備えた霊であるとしています。渡部氏が最後までウォレスにこだわり続けたのは自身の死を前にして、氏が死後の霊魂の存在に絶対的な確信を持つに至った一つの過程として、どこまでも科学的な立場で、考古学的なアプローチからも納得できる形で私達に伝えようとしたウォレスに生き様に共感を感じ、惹かれるものがあったのではないでしょうか。そして文明人や未開人を問わず、人間の魂には道徳観が予め備わっていることを見出したウォレスが神への信仰に至ったように、渡部氏もまた一人の人として真理の探求を生涯続けられて、最も人生観の確立に影響を受けた人物としてウォレスを取り上げたのだと思います。そしてそれが、私達日本人へのメッセージにもなっているように感じます。

希望のある人生を歩むには
 この度の渡部昇一氏の『魂はあるか?』や関連書として『幸福なる人生』ウォレス伝を読ませていただいて、最近の世相を見ながら感じることが多くあります。この1年半以上に及ぶ新型コロナウィルスが私達につきつけているものの正体です。コロナの発生については、当初より自然発生説に対してもともと人工的な生物実験から生じたという研究所由来説が存在しました。そして今、多くの人々は感染の恐怖を感じながら自粛生活を余儀なくされています。そこで今人々の心の中には先が見えないことへの不安や恐怖の感情が渦巻いています。私は、現実的な感染症の問題よりもっと大きな問題は、はっきりとした答えが見つからないことへのいらだちや不安ではないかと思います。それこそが、私達に突きつけられている問題の本質ではないかと感じています。

 これまでの人類の歴史は細菌やウィルスとの戦いの歴史であり、14世紀のヨーロッパを襲った黒死病や20世紀始めのスペイン風邪など、多くの死者を出しながら、その都度その戦いから多くの教訓を私達は得て来ました。自然発生であれ、人工的なものであれ、今日の世界的なパンデミックには人類は総力を上げて戦わなくてはなりません。既に感染症による身体的な脅威だけでなく、精神的な面でも、また経済的な面でも人々は脅威に晒されています。私自身、こうした状況をどのように捉えるべきか考察して来ました。そこで、一番支えとなったのがスピリチュアリズムの示す霊魂の不滅という考えと、既存の宗教とは異なる神への絶対的な信仰でした。死後の世界が明確に存在し、神の摂理があらゆる存在に働いているという確信は穏やかな日常を生きていく上で大きな支えとなります。パスカルの賭けの理論ではありませんが、神と神の創造された摂理に対する絶対的な信頼と確信は、この度のパンデミックや避けて通れない自然災害や様々な問題を乗り越えるべき試練として考えさせてくれます。そして渡部氏が幸福なる人生を全うされたように、私達もまた確かなものを心の中に持つもことが、希望のある人生を歩むために不可欠な信念ではないかと日々実感しています。是非、多くの皆様が漠然とした不安から開放されて穏やかな希望のあふれた人生を歩まれるよう願ってやみません。

 

 

渡部昇一氏の『魂はあるか?』~「死ぬこと」についての考察~を読んで〈1〉

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人間とはどういう存在なのか

 週末を利用して、日本の代表的知識人として「知的生活の方法」等の数多くの著者として知られる渡部昇一氏が2017年の逝去される前にご子息からのロングインタビューを基にして映像制作したものを本にまとめた『魂はあるか?』~「死ぬこと」についての考察~を拝読しました。これまでの渡部氏のどの著書とも異なる、神の存在や、死後の世界について問う深遠な内容となっています。渡部氏に影響を与えたフレーズ・パスカルの『パンセ』やアレクシス・カレルの『人間この未知なるもの』、そして進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの『種の起源』に多大な影響を与えたアルフレッド・ラッセル・ウオレス(後年スピリチュアリストとなる)の著作やその足跡を通して、渡部氏自身が死後の世界とどう向き合い、カトリックの信仰とはまた別の意味でスピリチュアリズムの精神に共鳴して確信を持つようになったのか、その思考の過程が丁寧に書かれています。

 渡部氏は真の心の安らぎを得るには、「人間とはどういう存在なのか」という、人間の存在そのものを問わねばならないと述べます。人間の存在を問うとき、「魂の存在」「死後の世界」「宗教」の3つの原点について問わざるを得ないといいます。そしてパスカルやウオレス、アレクシル・カレルなどの古今の偉人の生き方や言葉から、そして渡部氏の言語学者としての見地から数十年に及ぶ思索を重ねた中でその問いに対する答えを導き出しました。それは、「魂はある」「死後の世界は存在する」「信仰は弱い人間の心の支えになる」というものでした。氏はご自身の80有余年の体験と、その間に学んできたことの中から、ご自身が3つの原点の内容を納得して心の安らぎや、魂の安らぎを得るに至ったというのです。今日、世界は新型コロナウィルスの脅威に晒されて、自分自身も含めて身近な人々が、死と隣合わせであると感じる時代を生きています。2011年の東日本大震災のような巨大災害に遭遇した時もそうですが、これまで当たり前であった日常生活が非日常となり、生死の危機にさらされた時、それまでは遠いことのように思えた死後の世界の問題が、大きなテーマとなってまいります。死は何の前触れもなく突然襲ってくることを知った時、人々は自らの死について深く考えざるを得なくなります。そして死について考えることは、魂の存在について考えることにつながるとも、渡部氏は述べています。
パスカルの賭けの精神
 
渡部氏は、信仰へと至るその思考遍歴の中でパスカルの『パンセ』に出会います。パスカルはフランスの哲学者、実験物理学者であり、数学者、思想家、そして宗教家でもあった天才でした。『パンセ』の中でパスカルは、「賭けの精神」の必要性について述べています。「神は、あるいは死後の世界はあるか、ないか」と問いかけられたとき、すでに「あるかないか」を決める「船に乗り込んでしまっている」とパスカルは主張します。そして「あるかないか」選ばなければならないのなら、どちらのほうが私たちにとって利益が多いかを考えてみようというのです。「神は存在しない、死後の世界はない」のほうに賭けて死んでみて、神も死後の世界もないとしたらそれだけのことです。しかし、死んでみて神も死後の世界もあったとしたら、賭けに負けたことになり、その時は大変な後悔が待っています。

 一方、「神も死後の世界もある」に賭けて勝負に勝ったら、私たちはまるもうけするといいます。もし負けて神と死後の世界がなかったとしても、何の損もないのだといいます。つまり神の存在や霊魂の不滅、死後の世界への信仰を持つことによって、私たちは失うものは何もなく、それどころか何の信仰も持たずに生きるということは死の恐怖にとらわれて精神的な充足感のない人生を送ることになります。そうであれば、神の存在を信じ、魂の不滅を信じることによって、充実した人生を送ることができるようになったほうが良いのは自明の理であるといいます。多くの哲学者や賢人の努力にもかかわらず、理性や論理に頼っても結局神の存在や霊魂の不滅は最終的に証明はできません。それは、こうした問題が自然科学や数学の世界とは次元の異なる問題だからです。パスカルは神は存在する、霊魂は不滅である、死後の世界も存在するというほうに賭けるほうがリスクが少ないと説いているといいます。

パスカルの説いた「繊細なる精神」の重要性

 パスカルは科学者として、論理的精神や科学的な精神の重要性を誰よりも知っていました。それに加えて「繊細なる精神」があるとと鋭く指摘します。人間には、複雑な事象を論証に頼らず、直観的・全体的に把握する柔軟性に富む認識能力があると指摘します。これが「直観的な精神」ともいえます。近代が始まる前のヨーロッパは大雑把にみると神や霊魂を信じることは当たり前のことでした。トマス・アキナスの『神学大全』などの中世の哲学がそれを支えていました。そこにデカルトが登場します。デカルトの「われ思う、故に我あり」という言葉は、「身体」とは区別された「精神」の存在を指し示しているといいます。デカルト物心二元論を説き、数学の真理は神に由来すると確信し、その確信はニュートンに受け継がれて西欧に自然科学が発達し、その後幾何学的精神ばかりが一人歩きして、科学一辺倒の近代社会になったとしています。一方同時代に生きたパスカルは、こうしたデカルトの考えに人間らしさのない危険な思想を感じ取ったと渡部氏は指摘します。パスカルは人間精神には、「幾何学的な精神」も重要だが、それ以上に「繊細なる精神」も重要で、片一方にこだわると知らず知らずに落とし穴に嵌まることを直感的に知っていたのだと述べます。
 今日、科学技術万能主義の影響は至るところに見られます。確かに物質文明の恩恵を私たちは日々実感しています。先回のブログでも紹介させていただきましたが、様々な社会課題の解決に対して科学技術の果たす役割が大きいことは誰もが認めています。しかし、一方でもう少し、視野を広げてみれば特に産業革命以後、人々は大量生産、大量消費によって科学技術の恩恵をこうむると同時にその陰の部分として地球環境全体に取り返しのつかない変化をもたらすことによって、気候変動や生物多様性の喪失など私たちは科学技術万能主義では解決できない、文明の転換期に生きていることも事実です。東日本大震災では、津波の被害だけでなく物質文明の象徴ともいえる原子力発電所に事故が起き、今なお福島原発事故の影響は日本の未来に深刻な影響を与えています。

人間は考える葦である

 パスカルは『パンセ』の中で、人間は考える葦であるという言葉とともに「だから、われわれの尊厳のすべては、考えることの中にある。・・・だから考えることから努めよう。ここに道徳の原理がある」とも述べています。科学万能主義によって、人間は自然を思い通りにしようとしてきました。その傲慢さが東日本大震災によって、そして今日のパンデミックによって一気に打ち砕かれてしまいました。渡部氏は、私たちへの遺言ともいえるこの著書の中で、神の存在、魂の不滅の問題、死後の世界の存在を私たちが確信することによって、こうした科学万能主義を克服して希望のある未来を見出すことができるのだと語っているように感じます。次回は、アルフレッド・ラッセル・ウオレスやアレクシル・カレルに対する考察に触れて、神の存在、魂の問題、そして死後の世界の問題についてより深めてまいりたいと思います。

 

『2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ』を読んで

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エクスポーネンシャル・テクノロジーのコンバージェンス(融合)が未来を変える

 ゴールデンウィークの期間を使い、普段日常生活の中ではなかなかじっくり読むことができない書物を何冊か読むことができました。その中で、ここ3日間で読んだ「2030年 すべてが加速する世界に備えよ」は読みごたえがあると同時にこれからの社会がテクノロジーの進歩によってどのような方向になっていこうとしているのかを改めて考えさせられる本でした。著者のピーター・ディアマンデス氏は、イーロンマスクの盟友であり、MITで分子生物学と航空工学の学位、ハーバード・メディカルスクールで医学の学位を取得した俊英で現在Xプライス財団CEOであり、シリコンバレーにシンギュラリティ大学を創立し、エグゼクティブチェアマンに就任するなど技術の進化がこれからの世界に与えるインパクトを語るのに最もふさわしい人物だといえます。
 著者は、これからの世界を根本的に変えていく技術を「エクスポネンシャル・テクノロジー」と表現し、こうした進化したテクノノロジーと他のテクノロジーが合わさった時に変化が加速するとしています。このテクノロノロジー同士の融合をコンバージェンスと表現しこれから2030年ころまでに、この変化の波はあらゆる産業や生活様式、また人の生き方や価値観にまで及ぶとしています。日本でもこうした変化をDX(デジタルトランスフォーメーション)と表現して官民を挙げて推進しようとしています。もちろんこうした変化を手放しで推奨することには違和感を感じますし、マイナス面も当然考える必要があるでしょう。そして、これまでのライフスタイルそのものを変えて行こうとしているこの変化に着いていけないと考える人が多くいることも事実です。ただ現在私たちは、インターネットのなかった時代のことを想像できない世界に住んでいることを考えると、これから進んでいこうとしている進化するテクノロジーと他のテクノロジーの融合によって起ころうとしている未来を避けることも逃れることもできないとしたら、著者のディアマンデス氏やイーロンマスク氏のような水先案内人の描くビジョンに触れることで、変化する世界の青写真を自らの中に描き、来るべき時代に備えることもこの世界を生きていく上で必要なスキルではないかと感じます。

あらゆる分野に及ぶ波及と変化

 この本の第2部の「すべてが生まれ変わる」の中で著者は、買い物、広告、エンターテインメント、教育、医療、寿命延長、保険・金融・不動産、食料の各分野の未来について現在起こっている変化とこれから10年以内に起こるであろう変化について解説しています。各分野をみていくとこれから10年以内に起こる急激な変化によって、その産業の形態そのものが変わってしまう未来を著者は、一つ一つ予測していきます。これほど広汎な分野に亘って変化の波が押し寄せて来ると、その影響を受けない分野を探すことはほとんど不可能です。その変化や移行のスピードは分野によって異なることは間違いありませんが、人の移動が制限される現在のコロナ禍は、その変化のスピードを加速するであろうことは間違いありません。
 全体を通して、悲観論というよりも楽観論であり、現在シリコンバレーをはじめとしたテック企業のドンの一人である著者の世界観を余すとこなろなく表現しています。AIについては以前マックス・デマゴーグ著の「LIFE3.0」を読んだ際に、汎用人工知能の出現に対する悲観論でも楽観論でもない現実的な対処法として「アシロマAI原則」を打ち出し、ロボット3原則のように脅威を減らしていくための現実的に可能な処方箋を出そうとしたことに対して共感したのですが、この度のディアマンデス氏の著書も、単なる楽観論ではなく現実論として変化をどのように捉えるかという視点で共感を覚える内容もありました。そして、その現実論の中でこの著書で多く出てくる概念が非物質化、非収益化、大衆化です。つまり高度なテクノロジーが安価に多くの人々が手にすることができる未来を示しているのです。
 実際のところ私たちはすでに、生活の多岐に亘ってこうした恩恵を受けています。例えばキャッシュレス化やサブスクリクションモデルの登場と進化によって買い物や移動、また映画やゲームなどのエンタメなど、これまで多くの人手や業者を通して成り立っていた事業が簡素化して無駄が省かれるだけでなく、これまでこうした先進国では当たり前に受けてきたサービスが大多数の後進国と言われてきた国々の人々にも行き渡る途上にあります。例えば金融における劇的な変化として、これまで銀行口座を持つことができなかった人々がマイクロファイナンスの登場で、資金移動や預金、借り入れが可能になりつつあることも、こうしたテクノロジーの恩恵といえるでしょう。ビジネスプロセスが速く、安くなり、仲介役がなくなって、様々な機会が多くの人に開かれるようになりつつあるともいえます。食料の未来に関しても、共感できる箇所がありました。高層ビルで食料を育てようとする垂直農法の発展や、バイオテックとアグリテックの融合によって、生きた動物の代わりに動物から抽出した幹細胞を栄養分豊かな培養液に浸し、それによって肉を作る技術などです。この方法だと動物の犠牲という倫理面での課題解決というだけでなく、人間が使っている土地を有効利用することによって温室効果ガスの削減による地球温暖化への影響の軽減など環境面でも期待が大きい技術です。

5つのリスクに対する解決策と課題解決の処方箋

 この本の中で、注目に値するのは現在地球が直面している待ったなしのリスクにも言及している点です。第3部「加速する未来」の中で脅威と解決策を示しています。5つの脅威(リスク)とは水危機、生物多様性の喪失、異常気象、気候変動、環境汚染に関してです。著者はテクノユートピアを唱えているわけではなく、こうした脅威に対してテクノロジーの面から具体的な解決策を提示しています。再生可能エネルギーの開発や蓄電技術の飛躍的向上、EV開発やAIによるスマートグリッドの管理など課題解決に向けたテクノロジーの利活用促進は多くの示唆に富んでいます。ここでもエクスポーネンシャル・テクノロジーのコンバージェンスがエコロジカルな課題解決に向けて大きな役割を果たしていることが示されています。こうした環境問題への対処というだけでなく、技術的な失業という課題に対しても、新たな雇用創出と再教育コストや時間の短縮によって課題解決は可能だとしています。多くのリスクが迫っていることは間違いないのですが、決して絶望的な状況ではないと著者は様々なデータを駆使して説明します。
 新型コロナウィルスの感染拡大によって、私たちの日常は大きく影響を受けています。見えないウィルスへの実際の脅威と大手マスコミ等によるフェイクニュースの増殖など、これまでこのブログでも、今の社会が抱える矛盾や脅威について述べて来ました。ただ、今起こっている変化は、こうした社会現象の負の側面からだけ見ていても、解決の道を見出すことは出来ません。また変化を恐れてばかりいても、前に進むことは出来ません。もちろん、テクノロジーは使用する側の人間の倫理観(別の言い方をすれば霊性進化のレベル)によって、課題解決の方向へもデストピアに向かう道にも使われることは疑問の余地はありません。そうした正の側面、負の側面を認識しつつ、私たちは、正の側面としてテクノロジーの進歩は、これまで一部の力を持った人々に独占されていた科学技術の恩恵を非物質化、非収益化、大衆化に向かうプロセスを経て、大多数の人々に解放される時代に生きているともいえます。楽観論ではなく、今起こっている事実を正しく見極めることによって正しい選択をすべき時代が今ではないかとこの本を読んで感じました。是非、一読をお勧めします。

近代スピリチュアリズムの歴史と今日を生きる私達

「近代スピリチュアリズム百年史」を読んで

 3月に入ってから、でくのぼう出版から出されているアーネスト・トンプソン著、桑原啓善訳の「近代スピリチュアリズム百年史」を読む機会がありました。この書でいう100年とは1848年から1948年を指します。この本が書かれたのは1950年で、訳者あとがきが書かれたのは1989年、発行されたのは2011年になります。これまで断片的にはスピリチュアリズム普及会のHPやその他関連書籍の中でスピリチュアリズムの歴史に触れたものはありましたが、体系的に整理されたものとしては始めて読ませていただきました。最近今という時代をどう捉えているかについて触れることが多かったのですが、今回は時代を200年近く前にタイムスリップしてそこから今の時代に連なる系譜を読み解いてみることに致しました。この書ではスピリチュアリズム以前の時代として、2人の偉大な先覚者についても触れています。
 その一人がエマヌエル・スウェーデンボルグ(1688-1772)であり、もう一人がアンドリュー・ジャクソン・デービス(1826 - 1910)です。スウェーデンボルグについては改めて触れるまでもなく、霊の世界に関心を持つ方ならどなたでも「天国と地獄」や「霊界日記」などを紐解かれたことがあることと思います。私自身40年程前に著書に触れました。一般的に近代スピリチュアリズムの誕生は1848年のフォックス家(ハイズビル)事件を発端とした叩音現象を米国の調査委員会が認定するということから始まったとされていますが、2人の先覚者の功績も大きいといえます。アンドリュー・ジャクソン・デービスは高度な霊能も持っていましたが、1847年に出版された「自然の原理」や「自然の黙示」ではスピリチュアリズムの出現を予言しているといいます。翌年はハイズビル事件が起こったことも、この予言が見事に実現したと言えましょう。
 この書物では、その後19世紀の霊媒としてダニエル・ダグラス・ホームやヘンリー・スレイド博士、フローレンス・クック、レオノア・E・ハイパーなどを紹介しています。また科学者によるスピリチュアリズムの採用という章では、ウイリアム・クルックス卿やW・F・バレット卿などの果たした役割が書かれ、更にフレデリック・マイヤースやリチャード・ホジソン博士らによる英国心霊協会の成立と発展についても書かれています。個々の人物の業績については、情報検索すれば出て参りますが相互の人物同士の関係性や役割などの体系的な理解という意味では大変興味深く読ませていただきました。

スピリチュアリズムの思想の歴史

 後編の「スピリチュアリズム思想の歴史」では、前述のスウェーデンボルグアンドリュー・ジャクソン・デービスを始め、アラン・カルディック、ブラバツキー、ステイントン・モーゼス、ヴェイル・オーエン、W・H・エバンス、アーサー・フェインドレーの人物像や残した思想について触れています。特にこの思想に関しては、最終的にはシルバーバーチの霊訓を中心に据えて体系化されたスピリチュアリズム普及会のHPのスピリチュアリズムの思想1~4「http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/index.htm」において最新の知見をもとに紹介されていますが、そこに至る経緯を知るためにはこうした過去の歴史を紐解くことも貴重な情報源になります。
 特に世界3大霊訓と言われるフランスの思想家アラン・カルディックの「霊の書」、イギリスの敬虔なクリスチャンであるステイントン・モーゼスによる「霊訓」そして、3000年程前に他界した高級霊霊媒モーリス・バーバネルを通して語られた「シルバーバーチの霊訓」が誕生した背景にはどのような思想の系譜があり、またこうしたスピリチュアリズムの運動が地上においてはどのような人物を通してまたどのような組織を通して伝えられて来たのかを深く知ることによって、今置かれている状況を客観視できるとも考えました。
 これまでの人生でいくつかの宗教的な遍歴を経てきて感じることは、何かの信念を持ったり特に宗教的な体験から信仰の世界に入った後でも、継続して今信じているものの土台となったものはどのようなものであり、それは本当に理性で納得できるのかについては追求する姿勢が重要だと感じているからです。人はこれこそ自分が求めていた教えであるとか、教義であると一旦信じてしまうとその教義を検証したり、他の思想と比較することを止めてしまうことがあります。その批判精神、真理探求の耐えざる努力こそが、私達を真理に近づけていく道だと今は確信しています。その意味でスピリチュアリストでもあった著者の故アーネスト・トンプソン氏のような立場の方は貴重な存在だと思います。

今日の混迷に満ちた時代を生きる私達

 現代に生きる私達、特に20世紀末から21世紀初頭にかけて現代人はこれまでの人類史のなかでも特別な時代を行きていると思います。特にインターネットなどの情報通信技術の進歩は、玉石混交のネットの世界がGoogleなどの検索エンジンのおかげで世界中の知識や情報がまるで図書館のように整理された形でしかも無料で手にいれることが出来、さらにテキスト情報だけでなく動的な情報にも及び、更にはSNSの進化によって世界の人々がまるで隣人であるかのように繋がり、翻訳ソフトを介して言語の壁まで越えつつあります。特に私のようにネット以前の世界を知っている者から見るとまるで幼少期はSFの世界でしか存在しなかった世界が目の前に存在しています。ただ一つ懸念してるのは、今日のデジタルネイティブの世代が、こうした恩恵を当たり前のように感じて、この恩恵を十分に活用しきれていないように感じることです。もちろん我々の世代よりも遥かに多くの知識にアクセスできる術を知っていると思いますが、それをもっと価値あることに活用していただきたいとも思います。
 そして究極的にはもはや日常生活と切り離せなくなったAIが部分的には人間の能力を超えつつあり、これまで人間が行って来た知的労働の分野にまでその活用範囲が広がりつつあるという状況です。喜ばしい面が多く、利便性を多く享受しているので、その恩恵は十分享受しているものの、一方でその急速な進歩には今日の人間の知性と霊性では制御しきれないことへの不安も広がっています。近代スピリチュアリズムの発展の歴史を振り返ると科学技術の急速な進歩によって、それまでの時代の道徳的な規範となっていたキリスト教などの既存の宗教による人工的な教義では神の存在や宇宙の根本とは何か、死後の世界はどうなっているのかという根本的な疑問には答えきれなくなり、多くの人々が唯物的な価値観に陥りそうになった時に突如霊界からの働きかけで燎原の火の如く広がってきたことがわかります。そして今日、特に20世紀の前半にアインシュタインが解き明かした相対性理論とともに発展してきた量子論によって多次元宇宙の存在が暗示される中で、これまで迷信の世界と思われてきたスピリチュアルな存在が身近な存在となりつつあります。
 こうした人類史の中でも特殊な時代に私達は生を受け、そして地上を去ってなお存在し続ける霊的世界の人々からの働きかけを知る機会にも恵まれている時代に生きています。同時に混迷に満ちた時代にも私達は生きているわけですが、これまでの常識だと考えていた土台となる価値観が崩れつつある時だからこそ、より内面の声に耳を傾けて真実の宇宙の姿、人間とは何かについて霊的真理の存在を知って多くの方々が真の幸福に至る道を見出していただきたいと心から願っています。

 

インフォデミックの要素を持つコロナ禍にどう対処すべきか

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  コロナパンデミックをどう捉えるか

 新型コロナウィルスに対する政府や大手メディアの伝えていることに対して警鐘を鳴らしている人々が今声を上げはじめています。最近のブログの記事で、米国大統領選挙をめぐる大手メディアの報道が如何に真実とかけ離れたフェイクニュースに満ちているかを書かせていただきました。そして大統領選挙の狂想曲の中で見えてきたものは、新世界秩序(ニューワールドオーダー)を目指す全人類の敵の正体が徐々に明らかにされつつあるということです。中国共産党の恐るべき企みについては、香港問題や新疆ウイグル自治区におけるジェノサイドなど次々に明らかにされてきましたが、もっと恐るべき企みが極度に誇張された新型コロナウィルス・パンデミック(インフォデミック)とワクチン接種、そしてディープステイトの中核に位置するビル・ゲイツを始めたとしたワクチンビジネスに狂奔する人々です。これまで慈善活動家として知られるビル・ゲイツが何故、世界人類の敵なのかは私自身、最近まで考えても来ませんでした。ただ2020年から今日まで日々流され続けるコロナ報道と、ちょうど時を同じくして行われた米国大統領選挙をめぐる一連の動きを見てきて、真実が何者かによって多くの人々から隠され、隠蔽させていることを実感する中で、これまで陰謀論と思われていた人々の主張こそ真実の一片を語っていたのだと考えるようになりました。

コロナワクチンの狙いとは
 その中で特に影響を受けた書物は菊川征司著の『ウィルスは[ばら撒き]の歴史』ーコロナも同じ!ワクチンビジネスの超裏側ーと船瀬俊介著の『コロナとワクチン』ー新型ウィルス騒動の真相とワクチンの本当の狙いーです。これらの著書に共通しているのは、この度のコロナ禍はWHOや各国政府、大手マスコミによるインフォデミックの側面もあり、特に製薬メーカーやディープステイトと呼ばれる闇の勢力の力が働いてワクチン幻想を煽っているのではないかという点です。特に『コロナとワクチン』の中で船瀬氏は、100年前のスペイン風邪の際も多くの人々はコロナウィルスのせいではなく、ワクチンの多用によってなくなっていると言います。(特に第一次世界大戦に出兵した米国兵士は14~25種類のワクチン摂取を受けており、それにより極端に免疫が低下し、本来人間には感染しないはずのブタインフルエンザに感染してしまったのではないかと述べています。)更にアスピリンの大量投与で死んだ人も多いとしています。

 この度の新型コロナウィルスに関していうと、組換えDNA技術を使用したDNAワクチンが使用されており、このワクチン開発に巨額の資金を投入したのはビル・ゲイツ財団、巨大製薬会社グラクソ・スミスクライン社、サノフィ社などです。このタイプのDNAワクチンはこれまで一度も人類に使用されたことはなく、船瀬氏は人体に遺伝子を注射する史上空前の人体実験と述べています。致死率僅か0.1%の新型コロナに対して、安全性の保証がないどころか、ワクチンでありませんが、コロナの治療薬とされるレムデシビルに関しては、投与を受けた163例の内、約50%の82例で有害現象が報告されたとしています。有害現象とは“「心停止」「血をはく」「呼吸困難」「失声症」「血尿」「急性心不全」「呼吸不全」「多臓器不全」「急性呼吸逼迫症候群」「貧血」「脳症」”など、ゾッとする副作用が列挙されています。

命を守るために正しい判断と行動を
 船瀬氏は天然痘のワクチンを開発したとされるエドワード・ジェンナーを例に出し、種痘によって天然痘は減少するどころか、爆発的に拡大し、予防接種が被害を拡大したと述べています。つまりワクチンによって病気が減少するというのは、幻想であると述べています。今回のコロナワクチンは国が買い上げ、ほぼ強制的に国民全体に投与が行われようとしています。ファイザーアストラゼネカ等の製薬会社は、天文学的な利益を受け、被害があっても保障は国民の血税で行われるので、全くリスクも負いません。ビル・ゲイツは、この度のコロナパンデミックを数年前から予測し、ワクチンビジネスに巨額を投じてきたといいます、彼の目的が人類救済ではなく、DS(ディープステイト)の目指す人類削減による新世界秩序にあり、グレートリセットによる全体主義体制への移行にあるとしたら我々は、どのように対処すべきなのでしょうか?こうした状況を憂慮してWeRise提言を行っている勇気ある日本の識者の皆様がいます。もちろん、こうした提言については、一つの主張として捉えるべきで新型コロナの感染拡大を防止し、自分が感染しないことによって感染拡大を少しでも減少させる努力は今後も続けていくことは大前提になります。問題は残念ながらこうした危機を利己的な目的のために利用しようとする邪悪な存在が支配者層のごく一部に存在するということです。

 最終的に判断するのは、個々人ですが、冷静に今の事態を見つめて、自分と愛する者たちの命を守るためにマスコミの一方的な偏向報道や人類支配を企む巨大な力に対して真実を見極める目を持つことが今求められていると思います。
 

○WeRise提言(新型コロナウイルス感染症はメディアが作り出した怪物)

www.werise.tokyo



○コロナとワクチン(船瀬峻介氏著)

www.kinokuniya.co.jp


○ウィルスは[ばら撒き]の歴史(菊川征司著)

www.kinokuniya.co.jp

トランプ革命の本質とスピリチュアリズム

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米国で生じたことが世界に波紋を広げた

 ここ暫くブログの更新をしていませんでした。北海道は、まだ寒さと積雪が続いていますが、久しぶりに投稿したいと思います。ここ数回は、米国の大統領選挙をめぐる動きも含めて今の世界の動きに焦点を当てて書かせていただきました。特に先回は主要メディアやソーシャルメディアによる言論検閲や言論弾圧について述べました。新聞やテレビなどの大手メディアの偏向報道は以前から言われてきたことですが、ソーシャルメディアによる言論検閲の動きは、まだ選択肢が限られているだけに深刻さを感じます。サイバー空間上のプラットフォーム企業を頭文字を取ってGAFAGoogleAppleFacebookAmazon)と呼ぶこともあり、これらの企業はビッグテック企業の代表格と言われています。言論空間という意味ではSNSではツィッターがあります。

  こうしたビッグテック企業の何が問題かというとマスメディアが偏向報道をした時に本来正常バイアスの働きをすべきサイバー空間での言論の事実上のプラットフォームを形成しているビッグテック企業の方向性が偏ってしまい言論検閲を始めると一般市民には情報操作をされた後の情報しか伝わらなくなってしまうということです。米国でいうと主要メディアと主要SNSの殆どが民主党より(反トランプ)で一致して、選挙不正があってもその情報をシャットアウトし、事実の認証をすべき司法(特に最高裁)も正常に機能していなかったと言えます。

 トランプ現象(トランプ革命)を別の見方をすれば、行き過ぎたグローバリズム反グローバリズムの戦いとも言えます。トランプはウォール街を中心としたワシントンのグローバリストに戦いを挑みました。一方でバイデンは大統領に就任したはずなのですが、トランプ政権時代の政策をことごとく否定する大統領令を連発した後は新しいビジョンも含めて殆ど目立った動きは見えません。外交の場に登場するのはハリス副大統領でバイデンは殆ど姿を現わせません。こうした姿をみると、無理やり強引に政権を奪取しても民衆の支持のないところでは、正当性がなくだんだんと内部崩壊が始まっていくように感じます。

 トランプ革命の本質は、単なる政治的な闘争ということではなく、正しい意味での建国の精神に基づく愛国心と自己の利益の最大化を図ろとするグローバリズムの戦いであったように思います。トランプの支持者の多くが米国の建国の精神を愛し、憲法の精神を愛する人々で構成されていることからもそれが伺えます。そして、この米国における変化は世界中に大きな変化をもたらしています。この機に乗じて、強硬姿勢に出ている中国共産党の動きも先回のブログで紹介したウィグル族へのジェノサイドの問題で世界中から非難され、2022年度の冬季北京オリンピックに対するボイコットの動きも出始めています。こうした動きを見ていると正常バイアスが世界的に働いているように感じます。

これからの世界が向かう方向性とスピリチュアリズム

 ワクチンの配布が始まりましたが、この状況が浸透していけば、今年の秋頃には世界的に落ち着いて来るように思いますが、政治的、経済的な混乱はまだ暫く続いていくように思います。アフターコロナになって、様々なものが動き始めるとこれまで以上に情報や技術の格差の問題が大きくなって来るように思います。米国における長期金利の上昇は、世界の金融経済に大きなインパクトを与えるように思います。現在株価が急激に上昇していますが、これば一時的なことでバブルはいつか弾けることは歴史が証明しています。これまでの世界経済を支えて来たシステムがコロナ禍の中で大きく変容し、一旦は痛みを伴う変革が待ち受けているかもしれませんが、乗り越える道は必ずあると確信しています。

 このように時代が大きく変化しつつある時に最も問われるのは心の内面のあり方です。最近札幌での読書会では、スピリチュアリズムの思想 [Ⅲ] ―“霊的人生論”について学び初めています。ここではスピリチュアリズムの霊的真理を実践する生き方について学んでいます。世界が劇的に大きく変わろうとしているということをスピリチュアリズムの立場から見ることが重要です。現在生じている出来事を通じて自己の内面に焦点を当てて、霊的視野で見つめる(霊的意識を肉体本能的意識の上位におく)ことによって整理していくことの重要性を学んでいます。私達は1995年の阪神淡路大地震、2011年の東日本大震災など多くの自然災害で多くの教訓を学び、今日のコロナ禍にも適切に対処して参りました。そしてこうした災害で多くの困難に出会っても、それを乗り越え、自らの内面と行動の変容をしようと尽力して参りました。そうした困難な状況と出会った時、それは大災害だけでなく個々人や個々の家庭単位の出来事であってもそうですが、内面をどのように鍛えていくかが何よりも大切であることを学んで来ました。外的には国土を強靭化しようとしたり、防災・災害対策をしっかりするということも当然大切ですが、そのことと同時に内面の深化、内面の成長も同じくらい大切です。

現実問題への対処と霊性進化への道

 このブログを始めた頃から随分と時を経過して来たように感じます。(実際には丸3年)今回で52回目の投稿にあたり、毎回様々なテーマについて書かせていただきました。このブログのコンセプトはスピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記すこととしており、日常起こる出来事をスピリチュアリストとしての目で捉え、思ったことを書かせていただきました。おかげ様でこれまで多くの皆様に読んでいただいたことを心から感謝しています。スピリチュアリズムに出会う前の私であれば、身の回りの起こる出来事や一見すると不運に感じることに対処できず、心の平静を保つことは至難の業でした。原因が自分から生じていても、そうでなくても身の回りに生ずる自分にとって好ましくないと思える出来事や状況を正しく受け止めることが出来ない心の状態がありました。そしてその理不尽に思える状況から逃れようと、そこから逃げ出したいと思ったり、溺れた者は藁をも掴むという心境でカウンセリングや宗教的な真理を求めることもありました。

 スピリチュアリズムに出会い、苦しみへの正しい対処の仕方を学び、日々シルバーバーチの霊訓を始めとした霊的真理を学ぶようになってからは、現実世界に起こる出来事を霊的視野で見つめることが少しづつ出来るようになりました。また霊的真理に対する確信が深まるようになると現実世界に生じる様々な出来事は原因世界である霊的世界の問題でもあり、霊界に存在する高い霊性レベルに達した高級霊の願いと自らの思いを近づけていくことによって解決の道が開かれていることを知るようになりました。困難と思える出来事も、その背後には神の摂理が働いていて、その摂理に沿った生き方を自ら選択することによって、現実問題にも道が開かれるという感覚です。高級霊界から私達地上人類に与えれれた最高の叡智は、それを実践することによって始めて意味をなし、現実への正しい対処をすることによって世界を真理に沿った方向に向かわせる力となります。最近世界で起こっている様々な出来事を霊的視野で見つめると、生じている出来事を人々が如何に心の奥深くにある顕在意識の中の霊的意識、更には潜在意識の中心を占める霊的意識にまで落とし込んで対処することが出来れば、解決の道が開かれると確信しています。つまり魂の浄化ということです。表面的な対処法では解決できない現実世界の矛盾が大きく広がっている今こそ皆様が霊性進化の道の扉を開かれるよう願って止みません。

(お陰様で、本日(2021年3月8日)ページアクセス数が1万件を突破しました。閲覧いただいた皆様、これからも宜しくお願い致します。)

 

スピリチュアリズムの思想[Ⅲ]霊的人生論

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