札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

今日の世界の抱える本質的な危機とは

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米国大統領選挙と民主主義の危機
 米国大統領選挙が終了して1ケ月近く経過していますが、未だに次期大統領は決まっていません。米国の主要マスコミは、次期大統領はバイデン氏に決定したと報道しています。次々と選挙不正が明るみに出て来ているのにそのことはあまり大きく取り上げられず、トランプ大統領が負けを認めないので、不服を申し立てているに過ぎないかのように報道を続けています。更に大手マスコミだけでなく、無国籍的な巨大IT企業(グローバル企業)や大手SNSまでが、情報検閲をしているという報道もあります。この度の選挙の過程を通して私達が注目しなければならないのは、民主主義の牙城とも言える米国で、その最も象徴とも言える大統領選挙で大規模な国家レベルでの不正が行われていたかもしれないということであり、もしそれが真実であれば民主主義への重大な危機であるということです。
  今回の選挙に関して米国で著名なシドニー・パウエル弁護士は民主党であれ、共和党であれ選挙の不正に対しては処罰するという姿勢でその言動が注目されています。そして11月25日にジョージア州ミシガン州で訴訟を開始しました。その中の一つはドミニオンという投票システムそのものが不正に操作され、選挙結果を改ざんしたというものです。もしこうしたことが事実であれば、現在の結果だけをみて次期大統領が誰であるかを判断することは現時点では出来ないということです。そして今回の選挙で最も重要な点は、民主党共和党のどちらが勝利したかではなく、民主主義の根幹をなす選挙システムそのものが脅威にさらされているということです。この度の選挙が例え僅差であっても、正当な選挙結果を反映したものであれば、その結果選ばれた大統領を祝福すべきでしょう。その意味で、シドニー・パウエル弁護士の起こした裁判の行方を注目したいと思います。

香港国家安全維持法による人権弾圧 
    私達は、2020年に入って新型コロナウィルスの脅威に晒されてきました。その脅威は今も増幅を続け、世界ではこの危機を乗り越えるためにワクチンの開発や治療薬の開発も急ピッチで進められています。感染拡大を防ぎながら経済危機を乗り越えるための様々な行政の施策や企業側の努力、また個々人の努力も続けられて来ました。ただこの間にこのウィルスの発生源である中国が、今年に入って行ってきた問題の一つに香港における香港国家安全維持法の施行による基本的人権の弾圧や言論弾圧があります。香港返還の条件であった1国2制度の根幹を揺るがす法律として多くの識者が懸念を表明しています。そして香港で昨年6月に違法集会を扇動したとして、公安条例違反罪に問われた著名な民主派活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏、林朗彦(アイヴァン・ラム)氏、日本でも著名な周庭(アグネス・チョウ)氏の3人の公判が11月23日に行われ、それぞれ起訴内容を認めたようです。そして保釈の継続は認められず、3人は即日収監されたといいます。この問題については、世界各国から抗議の声が上がっていますが、もはや1国2制度は形骸化してしまい、自由の火は消えかけています。

国際法を無視した中国の膨張主義
 更に南シナ海東シナ海における強大な軍事力を背景とした国際法を無視した領海侵犯はその勢いが止まらず尖閣諸島の領海内に中国船が長期間留まり続け実効支配の最終段階に入っていると指摘する向きもあります。香港の次は尖閣諸島や台湾に対してもその実効支配を目指しているのは明らかで、新型コロナ問題や米国の政治的空白につけ込んで軍事的な侵攻を虎視眈々と狙っているようにも見えます。私達はこれまで、中国政府による新疆での人権侵害(ウイグル問題)やチベット族に対する人権弾圧(チベット問題)を中国国内の問題としてあまり注意を向けて来ませんでした。しかし、とどまることを知らない中国の軍拡路線は唯物共産主義思想を背景として信教の自由や言論の自由を認めずに一つの思想によって世界支配を目指すもので、その脅威が目前に迫っていることを認めざるを得ない状況になってきています。ここで、私達がもう一度考えなくてはならないことは、民主主義や基本的人権はこれまで人類が長い闘争の歴史をかけて、勝ち取って来た制度であり共産主義一党独裁体制とは相容れないものであるということです。

歴史の教訓を生かすには
 ちょうど今から100年程前の第一次世界大戦の最中の1918年-1919年にかけて人類はスペイン風邪と言われるインフルエンザの大流行により当時の世界人口(18億-19億)のおよそ27%にあたる5億人が感染し、一説には5000万人から1億人の死者を出したと言われます。その後1929年から始まった世界大恐慌、更に1939年からの第2次世界大戦の勃発という最悪の事態に至りました。今日の世界の状況を大局的に見ると様々な面で当時の世界との共通点を見出すことができます。戦史研究家の林千勝氏は「日米戦争を画策したのは誰だ」の著作の中で国際金融資本家・ロックフェラーと好戦家・ルーズベルト、そこにつけこむスターリンコミンテルンなどの国際共産主義運動の策謀という構図で日米戦争が仕組まれたものであること、その危険性を見抜き、彼らと対峙したフーバーについて様々な資料を駆使して解説しています。もちろん、こうした見解は私達が歴史の教科書で学んだ史実とは大きく異なっており、何が真実なのかは、多くの検証作業が必要でしょう。
真実を見極める目を
     ただ一つ言えることは、今日の高度情報化社会にあっても、真実を見極めることが如何に困難を極めるかということです。大手マスコミの報道すること、多くの人々が正しいと思っていることが真実であるかどうかは、多くの反証や真実が何かを追求する強い意志がなければ容易に判断することは出来ません。私自身、様々な情報に触れる中で何が最も真実に近いかを最終的には自分の感性や理性の声に耳を傾けて判断するしかありません。一つの判断材料としてトランプ政権の批判をする識者の方も多くいますが、現実問題として北朝鮮の脅威は現在のところ沈静化しており、中東においてはイスラエルアラブ諸国の関係が好転し、中国共産党に対する明確なメッセージによって現時点でのアジア諸国に対する軍事侵攻は防がれているという事実です。独立国家としての最低限の法整備や他国から侵略されることに対する備えを持たない我が国にとって、米国の政治動向は他人事ではありません。いずれにせよ今日の混迷に満ちた時代に真実はどこにあるのかを常に冷静な目で見つめることが今何より問われているのではないでしょうか。

混迷の時代に道を拓く“スピリチュアリズムの人生観”

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先が見えない時代と葛藤する人々

 2020年も残り2ケ月あまりとなりました。この1年を振り返ってみて、年初から新型コロナウィルスの問題で、精神的にも現実の生活も大きく影響を受けた期間でした。多くの方々が、これまで当たり前に過ごしてきた日常が当たり前でなくなり、これまで行きたい時に行きたい場所にいったり、会いたい時に会いたい人と会えるということが決して当たり前でないことを学ぶことが出来たとも言えます。これまで人が自由に往来することが前提で成り立っていた飲食店、観光施設、交通機関に携わる方々にとっては、移動が制限される環境の中で、事業の継続すら危ぶまれる方々もおられます。一方で、ステイホームとなって、在宅ワーク、リモートアクセスによるバーチャルに限定された人と人との関係の中で、仕事の面だけでなくメンタルな面でも葛藤や問題を抱えている方々も増えていると察します。こうした状況がこの時期までには改善するという明確な未来が見ないまま来年に延期された東京オリンピックパラリンピックも開催に関しては、まだ未知数の要因が多くあります。
 このような先が見えない混沌とした状況の中、多くの人々はそれでも未来に何かしら希望を見出そうと日々努力を積み重ね、困難に立ち向かって歩まれています。それは、どんなに困難に思える状況であっても、未来に対する希望を諦めずに日々を歩み続けるならば、いつか明るい未来が拓かれるに違いないと信じているからです。人が何かを信じるという時、それは客観的な事実に基づく証拠がある場合は信じるとは言いません。未来に何が待ち構えているか明確なことはわかりませんが、こうあってほしい、こうなりたいという願望があって、その願望が実現するに違ないないと確信が持てた時に人は信じるという言葉を使うのだと思います。仮に願った通りに未来が現実にならなかったとしても、希望を持ってその実現に向かって努力をし続けた期間は決して無駄にはなりません。その意味では、今起こっているこの瞬間の現実が如何なる現実であれ、未来をこのような未来にしていきたいと願い、そのために日々積み重ねていこうと決意した人にとっては、毎日が貴重なかけがえのない時間となります。

スピリチュアリズムを通して得られた希望に満ちた人生観

 スピリチュアリズムでは、私という存在の本質は目に見える肉体を持った私ではなく地上生活を送るためには不可欠な肉体の主人であり、肉体という道具を用いて何か目的を実現しようとする意志を持った心であり、その最も本質としての霊であるとします。その自分の最も本質をなす霊的な感性は、日常のありふれた生活の中では殆ど意識しませんが、何か困難な状況に遭遇した時、危機的な状況に陥った時にふと時別な感覚を伴って顕在化することがあります。そして常日頃から私たちは、自分の本質である霊的な要素とそれを取り囲むように存在する見には見えない存在に見守られながら、日々を歩んでいるのです。現実社会では、順風満帆と思えることは時にあっても、日々多くの困難に遭遇し、時には乗り越え難く思えるような逆境とも思える状況が目の前に立ちはだかります。スピリチュアリズムでは、人生の究極的な目的が霊的成長(霊性の向上)と定義づけますが、時には苦しみや困難を伴う逆境と思えるような環境に身を置いたときこそが、人生の究極的な目的である霊性の向上に向かうチャンスであり、過去のカルマの精算に繋がる歩みであると教えています。そのような意味で、一見すると様々な困難が生じる今日の状況も、捉え方によってはプラスに転じて人生の究極的な目的である霊的成長に向かうチャンスでもあると言えます。“艱難汝を玉にすということわざがありますが、今人生の困難に直面している方がおられたら、今こそが人生を切り拓くチャンスだと思うのです。

忍耐と感謝の心で困難に立ち向かう

 80年から長くて100年の地上生活は、永遠という時を旅する私達の本質としての霊としての人生、霊的人生から見れば、本の瞬く一時に過ぎません。その一瞬を生きている私達は、他界して高い霊性のレベルに達した高級霊から与えられた霊的真理を携えながら訪れる困難を自分を成長に導く糧として感謝することができたら、自分の心を蝕む利己心から生ずる不安や恐怖から心が開放されて、目の前の現実が全く別のもに見えて来ます。自分はより高次の存在から常に見守られ導かれていて、起こる全ての現実には意味があり、一見すると不運な出来事であったり、困難に思える出来事であっても、それを乗り越えていけば必ず未来に希望が見いだせることを信じて歩んで見て下さい。その結果が、願う通りの現実そのものではなかったとしても、信じて歩んだその期間は決して無駄になりません。永遠の中の今という視点に立てば、意味のない現実は一つもありません。困難に思えることも、そこに必死で立ち向かい、日々を積み重ねることによって、自分の想像を越えた道が拓かれる体験を一度でもしたら、その人はその困難から逃げなくなるに違いありません。そして、自ら切り開いた道であるからこそ、自信を持って堂々と人生の主役として自分の人生を歩んでいくことができるのです。今、現実に押し潰されると感じておられる方がいたら、まずはスピリチュアリズムの示す人生観を学んで見られることをお勧めします。そして希望に満ちた毎日を歩んで行っていただきたいと強く思います。

 

スピリチュアリズム普及会の公式チャンネルより

スピリチュアリズムの思想体系Ⅰ「人生観」

www.youtube.com

 

 

 

 

困難な時こそ希望に満ちた人生への大転換のチャンス

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新型コロナ禍の中で訪れる精神的な危機

 9月の特に後半は、日常の生活が怒涛のように過ぎ去っていく毎日で、本日久しぶりに1ケ月を振り返りつつ、ブログの記事を作成しています。先回のブログで因果律の問題と人々の意識の変化について考察しました。今回は、大局的な視点というより、個の内面の視点から最近感じていることを書かせていただきたいと思います。新型コロナウィルスがもたらした変化は、国際情勢や経済面だけにとどまらず、知らず知らずの間に個人の内面に大きな変化をもたらしつつあることを、このところ強く感じています。
 これまで、当たり前にように接してきた家族や身近な人との交流が緊急事態宣言後は不要不急の外出を避けるということで制限されて、精神的に孤立する人が多くなってきています。一方でこれまでは外部との適度な接触があることによって保たれてきた家族の中やパートナーとの関係が在宅勤務が増えることで軋轢が生まれたりと精神的なストレスが増大しているケースも増大しているように感じます。いずれの場合も、私達の日常が如何に繊細なバランスの上で成り立っていたかを示しています。ある意味でコロナ禍が始まる前から潜在的に抱えていた問題が表面化したとも言えます。これまでは、大きな問題として感じなかったことが人生観を変えてしまうような大きな出来事になってしまった方もおられるのではないでしょうか。
 私自身を振り返ってみると「スピリチュアリズム」に出会ったタイミングは、外部環境の急激な変化とそれに伴う精神的なプレッシャーに心の安定が損なわれそうになった時期と重なります。それまでは、漠然と考えていた日々の歩みの拠り所となるその時までの人生観、価値観だけでは乗り越えがたい試練に遭遇して、より普遍的な真理や価値観を求めざるを得なくなったのです。目に見える現実だけが全てではなく、その現実の背後には目には見えなくても、普遍的な法則(摂理)が存在していること、そしてどんなに困難に見える現実問題にも必ず乗り越える道があることをシルバーバーチの霊訓を始めとした「スピリチュアリズム」と出会うことによって確信に至ることが出来ました。その意味では、苦しみを伴う現実も自分の人生を転換し、次のステップに成長させてくれるかけがえのない体験であったと、後になって実感しました。

物質中心の世界観の限界
 人類史を俯瞰してみると特に霊的真理が集中的に人類にもたらされた19世紀後半から1980年頃までの期間は霊界主導の地球人類救済計画の中でも2000年前のナザレのイエスの存命の期間に匹敵する重要な期間であったと思います。その間、2度の世界大戦を経て、多くの困難と苦しみを人類は体験しました。それから40年を経た今日、私達人類は次のステップに向けた産みの苦しみの中に置かれているように感じています。これまでこのブログでも述べて来たように、科学技術の発達に伴う経済成長の負の遺産でもある地球規模の気候変動の脅威、情報通信技術の高度化による利便性の向上や経済のグローバル化負の遺産でもある格差の増大や、国家間の対立や人々の分断、プライバシーの侵害の問題など数多くの課題が私達の身の回りには存在しています。
 こうした問題の根源を探ってみると究極的には大多数の人々の持つ物質偏重の世界観に行き着きます。現実社会の中で生きていく以上、自分の人生を豊かなものにするためには経済的な裏付けが必要であり、そのための努力が不可欠であるのは当然のことです。問題は、今歩んでいる地上人生の究極的な目的は霊性の進化・向上にあるという霊的真理に基づく人生観への転換です。日々の慌ただしい毎日の中で、目の前の現実が大きく見えてしまうのは致し方ないことです。私自身、ほぼこの1ケ月の間、内面を深める時間が中々とれずに、少し精神的なゆとりを失ってしまっていました。ただ結果として、どんなに現実問題に意識を集中して問題の解決を図ろうしても、壁にぶつかることが多々あります。そのような時に、事態を打開する道は、究極の真理に基づく人生観、価値観を土台とした生き方に行き着きます。

霊的真理との出会いと人生観の大転換

 これまでの人生を振り返ってみて、劇的な環境の変化や通常の努力だけでは乗り越えがたい大きな試練に遭遇した時に究極の真理としてのスピリチュアリズムに出会うことが出来ました。何とか眼前に立ちはだかる困難を乗り越えようとして、試行錯誤を繰り返し、時には絶望するような状況の中で一筋の光を求めて彷徨う中でスピリチュアリズムに出会い、シルバーバーチの言葉に救われた自分がありました。これまで多くの思想や宗教との出会いがありましたが、心の底から納得できない、腑に落ちないと感じて来ました。それが、高級霊からの深遠なメッセージに触れた時に、身体に電流が流れるような衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。それは、永遠に続く神の摂理に基づく悠久な宇宙の流れと現実の地上生活を歩む自分の人生が交差した瞬間でした。どんなに乗り越えがたい困難が立ちはだかっているように思えても、神の摂理の中で歩んでいる自分がその道を正しく歩んで行くならば必ず道が開かれるに違いないと確信が持てたのです。その時を境に自分の人生観、価値観は大転換し、真っ暗に見えた現実が未来への希望の道に変わって行きました。それは、まさに天から一筋の光が暗闇の中で彷徨う魂に注がれた瞬間でした。その時から私にとって新しい霊的人生が始まったのです。

 最後に人生を希望に変えたシルバーバーチの言葉の一部を下記に引用させていただきます。

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スピリチュアリズム普及会発行の「スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ」

第8章 霊的真理は不変です より引用

「生半可な知識は危険であるとよく言われますが、時として知識が多すぎても危険であることがあります。その知識が間違っている場合はとくにそうです。

ある種の知識が脳を占領してしまうと、知性がその脳を通して自由に思考するゆとりが無くなります。その意味で、学び直すべきことや捨てなければならないことが沢山ある“聖職者”を、わたしは気の毒に思います。その思想は人工の砂を基盤としているために、霊的真理の攻勢を受けて、今、揺らぎはじめたその砂上の楼閣を守ろうと必死になっております。

建て方を間違っているのです。ナザレ人イエスのまわりに作り話を寄せ集め、ついに生命の大霊の座に祭り上げてしまいました。しかし、基盤そのものが間違っておりますから、いつかはそれを改めなければならない事態に至ります。が、イザ改めようとすると恐怖心が湧いて出ます。そこで、彼らはキリスト教の教義には何一つ改めるべきものは残されていない――そんなものは有り得ないと言い張っているのですが、それは“事実”ないしは“自然の法則”を基盤としている場合にのみ言えることです。

わたしたちが、地上へ舞い戻ってきた理由はそこにあります。すなわち、いかなる人物であろうと、いかなる書物であろうと、いかなる教会であろうと、いかなる指導者であろうと――それが地上の存在であっても霊界の存在であっても――たった一つのものに盲従してはいけないこと、それよりも大霊が定められた大自然の摂理に従いなさい――これだけは絶対に誤ることがなく、絶対に正しいから、ということを説くためです。

わたしたちが大自然の摂理、それのみを説く理はそこにあります。それをスピリチュアリズムとお呼びになるのは結構です。ただし、あくまでもそれが大霊の定められたものであること、その働きは地上の物的生命も死後の霊的生命も含めた宇宙のあらゆる界層に及んでいることを理解した上ならば、ということです。

地上人類は指導者(リーダー)というものを必要以上に重んじすぎます。そしてその真価を超えた誇張をしてしまいます。そこから神学という厄介なもの――科学者にとって、思想家にとって、そして又、本来ならば自由闊達で理性が承知しないものは受け入れたくない誠実な人にとって、大変厄介なものをこしらえてしまったのです。

わたしたちが大霊の摂理を強調する理由はそこにあります。それを正しく理解することによって、すべての知識が生かされるのです。それだけは決して科学者や哲学者や自由思想家、その他いかなる分野の人の知性も反発させることはありません。永遠にして不変・不易の大霊の働きを基盤としているからです。

皆さんは今、霊界での審議会で用意された叡智がこのわたしを通して届けられるのをお聞きになっていらっしゃるのです。それを広めることによって地上人類の叡智と理解力とが増すにつれて、生活が大霊の御心にそったものとなるでしょう。摂理にのっとったものとなるでしょう。地上世界の悲劇と飢餓、苦労と心痛は、すべてその摂理に従った生き方をしていないところから生じていることを悟るようになるでしょう。その理解が深まるにつれて大霊の庭の美しさを見えなくしている醜い雑草が無くなっていくことでしょう。

それを目標としてわたしたちは、人類の魂を解放し、精神を自由闊達にするだけでなく、物的身体も自然の法則と調和した健康を享受(エンジョイ)できるようにしてあげようと努力しているのです」

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少し、長い引用となりましたが、より詳しい内容をお読みになりたい方は、スピリチュアリズム普及会の第2公式サイト(スピリチュアリズム・ブックス)をご覧下さい。高級霊から、地上人に送られたメッセージをそのまま読むことが出来ます。人生における様々な試練や苦しみの中で、歩まれている皆様が霊的真理に触れることによって、今抱えている問題を乗り越えて行かれるヒントになれば幸いです。

 

スピリチュアリズム普及会 第2公式サイト スピリチュアリズム・ブックス

spiritualism-books.jp


 

※本年9月22日にスピリチュアリズム普及会のユーチューブの公式チャンネルが公開されましたので下記をご紹介します。

www.youtube.com

 

 

 


 

神の摂理としての因果律と世界の人々の意識の変化

 

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私達の人生と「因果律

 スピリチュアリズムを深く学び、日々の生活の中で霊的真理の実践を繰り返していく中において私達は、多くの困難や時には苦しみの体験をします。そのような時にまず思うことは、自分自身が生まれてから今日に至るまで、更には再生する前の人生において自分自身が作った神の造られた摂理(法則)に反した行為(罪)を行ったことに対する罰としての苦しみに今遭遇しているのだと自覚できることです。その苦しみを感謝して乗り越えることを通して、悪いカルマの精算を行う機会なのだと思えれば、その苦しみは軽減されるだけでなく、霊性の向上への道に繋がっていくのです。スピリチュアリズムでは、私達が歩んでいるそれぞれの人生は再生する前から、自らの意志で悪いカルマの精算と霊的成長のためには苦しみの体験が必要であることを理解した上で、自ら願い出て今の人生を歩んでいるのだと説きます。その意味で、人生で生じる一見すると不幸な出来事や、理不尽に思えることも決して気休めではなく、積極的に立ち向かって克服することによって、神の造った摂理である「因果の法則」を通して苦しみを善因に転換することによって、善なる結果としての悪いカルマの精算と霊的成長という人として、最も願ってきた善果を得ることが出来るのです。

 スピリチュアリズムに出会う前は「何故自分はこんなに苦しまなければならないのだろうか」とか「世の中は、どうしてこんなに理不尽で不公平なのだろうか」とつい不満やマイナスの思いが襲ってくる状況がありました。そうした出来事も、スピリチュアリズムの指し示す霊的真理に照らしてみると、苦しみの体験を通して自分の罪の精算とさらなる霊的成長のチャンスであるという思いに転換できて乗り越えることが出来ました。そして自分の生きている地上人生を永遠という時の中のほんの僅かな、かけがいのない瞬間だと立体的に俯瞰することによって、ものごとを少し離れたところから冷静に見つめることが出来るようになりました。

新型コロナウィルス禍と得られた教訓

 今世の中は、新型コロナウィルスの問題や、気候変動、経済危機など物質的な価値観だけで見れば、不安や混沌が満ちています。しかし、見方を変えて、個人のカルマの精算と同じことが全人類次元で起こっているとしたら、それを甘受して個々人が自らの人生観、価値観を神の造った摂理に合致した利他の生き方に転換出来たら、それは個々人のカルマの精算と霊性の向上に繋がる大きなチャンスとも言えるのです。先回、先々回のブログで新型コロナの発生後、世界を敵に回したような中国共産党の記述をしましたが、どんなに力で言論封殺や人言侵害を行って、一時的に人々を支配しているように見えても、神の造った摂理に違反している以上、その罪に対する罰としての国家的カルマの精算を迫られることは、これまでの歴史を見ても明らかです。これまで地上に現れた独裁政権が最終的には、様々な原因で崩壊していったのは長い目で見たら因果律で説明ができます。ただそれは、今日の一見成功しているように見える1990年代以降のグローバル資本主義にも、同様のことが言えます。格差の増大による国家の分断や民族対立など、物質中心の古い資本主義経済システムも今大きな危機に瀕しています。

SDGsに見られる人々の意識の変化と未来への希望

 こうした状況の中で、世界的に一つ大きな潮流が生まれて来ています。それは2015年に国連総会で全会一致で決議されたSDGsに見られるような地球全体の持続可能な開発目標として17の目標(Goal)を定めて、更に169のターゲットに細分化して2030年までに達成しようとする動きです。これまでの国連の目標と異なっているのは、国だけでなく多くの企業や、自治体、個々人に至るまで多くの団体や個人がこの運動の趣旨に賛同して、その目標を共有化していることです。投資家の間でもESG投資といって、SDGsが掲げるような課題解決型の企業に積極的に投資しようという動きが活発化して、ある統計によると世界の1/3程の投資がESG投資になりつつあるというのです。

 多くの人々が、これまでの利己的な価値観では世界は近い将来持続可能でないこと、つまり気候変動や紛争の拡大、不幸の連鎖は必ず自分にもその結果が帰ってくることを実感し始めているのです。長い目で見れば、自分や自分の家族だけでなく、周りの人々、周りの国々が安定して共存出来なければ、未来に希望が持てないことを多くの人々が感じているのだと思います。つまり、自分の世代だけでなく未来の世代にまで思いを馳せなければ真の幸福に至れないこと、利他的に生きなければ未来に希望が持てないことを多くの人々が感じ初めているのです。スピリチュアリズムは、霊的真理という宇宙の法則について明らかにした高級霊からの通信をまとめて実践を促す運動であり、これまでの宗教とは全く異なるものです。人類は今産みの苦しみの中にあって、それでも少しづつ光明に向かって歩みを進めているのだと思います。1848年から地上に展開されてきたスピリチュアリズム運動は、今日多くの国々の多くの人々に浸透しつつあります。そのナザレのイエスを頂点として高級霊団を中心とした地上人類救済計画に世界中の霊性に目覚めた人々とともに参画して、物質中心の霊的に見れば真っ暗で陰鬱な今日の地上世界を利他愛に満ちた幸福な世界に転換して参りましょう。

“人新世“の時代を生きる人類の責務と求められる真の霊性革命

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“人新世”を生きる現代人

 21世紀に入って20年が経過し、私達は時代の激変を身近で感じながら生きています。現代人は科学技術の進歩による恩恵は、これまでのどの時代にも増して受けていると言えます。一方で、46億年の地球史の地質時代の中で現在は1万1700年前に始まった新生代第四紀完新世の時代というのがこれまでの定説でしたが、人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えていることを示す“人新世“ 「Anthropocene」(アントロポセン)の時代に入ったという学説が登場し、1950年前後からこの人新世が始まっているという説が有力視されています。20世紀後半における人間活動の爆発的増大を「グレート・アクセラレーション」(Great Acceleration)といいますが、第二次世界大戦後に急速に進んだ人口の増加、グローバリゼーション、工業における大量生産、農業の大規模化、大規模ダムの建設、都市の巨大化、テクノロジーの進歩による社会経済における大変化は二酸化炭素やメタンガスの大気中濃度、成層圏のオゾン濃度、地球の表面温度や海洋の酸性化、海の資源や熱帯林の減少といったかたちで地球環境に甚大な影響を及ぼして来ました。都市化も急激に進み、2050年までには世界人口の68%が都市部に暮らすようになるとも予測されています。

 このような時代の急激な変化は人々の意識にも大きな変化を与えつつあります。特に1990年代以降特に顕著になりつつある気候変動の影響は既に多くの国々で顕在化し、国連の持続可能な開発目標であるSDGsの13番目の「気候変動に具体的な対策を」になるほど、人類全体にとって解決しなくてはならない大きな問題となっています。地質時代を“人新世“と呼ばざるを得ない程の地球環境への影響を人類は与えるようになったのです。こうした危機の中にあって、本来なら全人類が足並みを揃えて立ち向かっていかなくてはならない課題に対して現状は国や地域によって大きなばらつきがあります。人々は差し迫っているこの危機に対して、災害が起こる度に対症療法を繰り返すだけで抜本的な解決を進めていくためのコンセンサスを得ることができないのが現状です。

私達が乗り越えるべき真の課題と霊性革命

 新型コロナウィルスによる世界規模のパンデミックは、こうした状況の中で発生しました。これまでの人類の歴史を振り返っても、時代の大きな変化が訪れる前後には世界規模の戦争や疫病が人々を苦しめて参りました。ちょうど100年ほど前にスペイン風邪が世界に広がり、第一次世界大戦世界大恐慌、第2次世界大戦が勃発しました。第2次世界大戦後、国際連合が出来て戦後秩序が築かれましたが、それは不十分なものでした。スピリチュアリズムの歴史を見ても、1920年前後は霊媒であるモーリス・バーバネルを通して人類最高の叡智である「シルバーバーチの霊訓」が人類に与えられ始めた時期でもありました。それから100年を経て人類は今、地球に存在する全ての生命に対する責務を果たさなくてはならない時代を迎えて、物質的・経済的な手段だけでは解決できない大きな危機に直面しています。それは個人から社会、国家、世界に至るまでの利己性を克服して、真の利他愛に基づく精神革命、霊性革命を起こすべき時期が到来したということです。先回のブログで中国共産党の目指す世界共産革命の愚かさについて書かせていただきました。その誤った思想と中華思想に基づく誤った価値観を防ぐには、自由主義、民主主義を国是とする国々は一致協力して戦争を未然に防ぐ安全保障の努力を怠ってはいけません。ただ、こうした共産主義に対して武力で戦ったとしても、その先には世界的破局が待ち構えているだけです。

 では私達が今克服しなくてはならない課題とはいかなる課題なのでしょうか。それは悠久なる歴史を通して、様々な聖賢達がその霊の輝きによって少しづつその霧を晴らそうとしても中々実現出来なかった“霊的真理”の光を多くの人々が心の中に取り入れて、行動の変容にまで繋げていくことに尽きるのではないでしょうか。

シルバーバーチは以下のように述べています。

「私たちが地上の人々にもたらすことができる最高の霊的知識は、人生が“死”をもって終了するのではないこと、したがって苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も、あるいは屈辱の人生を送った人も、みんなもう一度やり直すことができるということ、言いかえれば、悔(くや)し涙を拭(ぬぐ)うチャンスが必ず与えられるということです。」『地上人類への最高の福音』P154

「私はいつも、昨日や今日の出来事によってすぐに揺らぐことのない永遠不変の原理を説いております。永遠の実在ー不変の摂理の働きに基礎を持つ実在の一部なのです。この知識を活用することによって、決断に際して不安も恐れもなく、自分がたずさえている真理はかならずや勝利をおさめるのだという確信をもつことができます。」
シルバーバーチの霊訓(7巻)115P

 人生が“死”を持って終了すると説く唯物論は根本的に間違っているのであり、今は思想統制と武力によって権力をほしいままにしている中国共産党の幹部も、いずれ訪れる肉体の“死”から逃れることは出来ず、誤った思想や価値観を多くの人々に強制して弾圧して来たカルマは自ら必ず精算しなくてはならないこと、そしてどんな人間も生命も絶対的な神の摂理から離れて存在し得ないことを知った時に、初めて再出発できるのだと思います。ただ、それは地上に生活する私達全員に当てはまることでもあります。行き過ぎた物質中心の資本主義経済にも陰りが見えて来ています。その意味でどのような政治体制、経済体制に中にあっても抱えている課題は同じであり、人類の真の救いは、19世紀の後半からナザレのイエスを中心として霊界の高級霊の総意として開始された地上人類救済計画であるスピリチュアリズム運動によってもたらされたシルバーバーチの霊訓を中心とした霊的真理を学び、身につけ、日々利他愛を実践することによってしか訪れないことを改めて実感する日々です。

 

 

 
 
 

コロナ禍によって暴かれた真実と人類の未来

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新型コロナ問題によって浮き彫りにされた事実

 新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。我が国においては、首都東京を中心に感染者の数が連日過去最高を更新しています。そして世界の感染者数は1500万人を越え、死者は60万人以上となっています。ワクチン開発や治療薬の開発が急ピッチで進められているとはいえ、まだまだ収束への道程は見えていません。この度のコロナ禍は、中国の湖北省武漢から発生しました。この間、新型コロナウィルスが社会に与える影響については、様々な文献を読み、情報を得ました。その中でも、ノンフィクションライターの門田隆将氏の『疫病2020』は秀逸でした。丁寧な取材に基づいて真実の一つ一つをその時々の筆者のツイッターでの発信も掲載しながら、解き明かしていてこの度のコロナ問題の本質に迫った内容でした。その中で下記の内容が特に気になりました。
 2019年12月16日に最初の患者が武漢市中心病院に搬送され、その後の中国共産党当局の隠蔽工作についても克明に明かした救急科主任のアイ・フェン医師の手記が文芸春秋の5月号に全文掲載されています。そのインタビュー記事は中国共産党系人民出版社傘下の月刊誌『人物』に掲載されましたが、発売と同時に回収され、インターネット掲載記事も2時間後に削除されて転載が禁じられたと言います。当局は、人として当たり前の行動を取ったアイ・フェン医師にデマを流すなと言って口封じして、この貴重な情報が広がることを阻止しようとしたのです。そしてこの情報を拡散したとして同病院の眼科医の李文亮医師ら7名の医師は地元警察から訓戒処分を受け、李医師はその後新型肺炎で亡くなってしまいます。その後世界中にパンデミックを引き起こしたのはご存知の通りです。
 このブログではこれまであまり特定の国家やその体制について、明確な批判は控えて参りました。ただその後明らかになった様々な事実を前にして現在の中国共産党政権がこれまで行って来たこと、そしてこれから行おうとしていることが人類の未来に暗い影を落としていることが明確になりつつあることを敢えて皆様と共有させていただきたいと考えました。新型コロナウィルスの感染拡大による生命の危機という事態になって初めて世界は改めて現在の中国という国の本質に目覚めつつあります。

共産主義独裁体制が生み出す災厄
 もし仮に中国共産党の掲げる理念が共産党幹部という一部の特権階級の利益だけでなく、地球人類全体の幸福を追求するものであれば誰も懸念を抱かないでしょう。共産主義ヘーゲル左派の流れを汲んだ弁証法唯物論とそれを階級闘争という歴史観として確立した唯物史観などの思想を背景に19世紀に誕生し、1917年のロシア革命によって社会主義国家が誕生した後に第2次世界大戦を経て世界を2分した全体主義思想体系です。今の中国は東西冷戦の最中、歴史的なニクソン訪中によってその壁がこじ開けられ、1978年以降の鄧小平体制のもと改革解放路線を推進して1991年のソ連崩壊後も、米国を中心とした強力な西側諸国の後押しによって世界の工場として急速にその存在感を高めて今日世界第二の経済大国の地位を占めるまでになりました。これまで私達は、例え体制が違っていても経済発展して隣国の人々が豊かな生活を送るようになったことをあまり違和感を持たずにむしろ歓迎して来ました。
 しかし、その経済成長とは裏腹に現在の中国は国内にはウイグル族などの少数民族に対する壮絶な弾圧や粛清、南シナ海東シナ海などへの軍事力を背景とした実行支配の画策、香港における一国二制度を無視した国家安全保障法制の香港導入などその膨張政策は枚挙に暇がありません。特に習近平主席になってから、その独裁体制が強化され一帯一路の路線も結局は形を変えた覇権主義の影が見え隠れします。そして、この度の新型コロナの初期段階での隠蔽工作とその後の一連の国際社会に対する軍事力と経済力を背景とした威圧的な動きです。まだ真偽は定かではありませんが、武漢ウィルス研究所の関与があったのではという国際社会の疑惑に対しても全く誠意ある対応はしていません。

私達が目指すあるべき世界の姿
 私自身は、今日の自由主義、民主主義の世界にあっても社会問題が数多く存在しており、この状況がベストだとは考えていません。しかし、今日の中国共産党が目指している全体主義独裁体制は21世紀を生きる私達には全く馴染まないものであり、そこに住む多くの中国の人々にとっても、決して持続可能な理想世界ではないと思います。それは、この度のコロナ禍でも、アイ・フェン医師や李文亮医師の勇気ある発信に対して、中国の方々が示した多くの反応によってもその片鱗が伺えます。スピリチュアリズムが示している通り、全ての人類は神の神性を受け継いだ神の分霊であり、それはどのような体制や国家や宗教組織に属していようとその価値は変わりません。
 人類は今、世界的な気候変動の危機、21世紀に入って激化しつつある文明の衝突といわれる民族や宗教による対立、そしてこの度の感染症による健康被害や経済危機など数多くの危機の最中にあります。ある意味では、一人一人がその脅威の中で、何が人生のおいて最も大切なものであるかを問われているとも言えます。そしてその苦悩の中から、真の霊的覚醒を促されているとも言えます。私はこの度のコロナ禍において、私達人類がこれからも地球上に生きる多くの生命の一員として共に存在し続けていくために今何が問われているのかを皆様とともに考えて参りたいと思います。決して平坦な道程ではありませんが、その事を問い続けることこそが地上人類が共にこの危機を乗り越えていく確かな道に繋がっていると信じているからです。

  
 

 
 

「死に至る病」を抱えた現代人の病理とスピリチュアリズム

 

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現代人の病理としての愛着障害 

 最近ケガで入院する機会があり、普段はあまり読まない種類の本を読む機会が与えられました。以前から著者の書籍には興味を惹かれて読む機会があったのですが、特に今回は本のタイトルにも惹きつけられました。著者は精神科医でもある作家の岡田尊司氏で「死に至る病」ーあなたを蝕む愛着障害の脅威ーという単行本です。自分にとっても他人事ではなく、今日の社会全体としても大きな問題となっている愛着障害に焦点を当てたとても考えさせられる本でした。
 「死に至る病」というタイトルですぐ思い浮かぶのが19世紀の中葉のデンマーク実存主義の哲学者セーレン・キルケゴールの同名の書です。キルケゴール死に至る病とは神を信じられないこと、すなわち“絶望”であるとし、絶望には3つのタイプがあるとして個々の人間の心理的な問題だと捉え、絶望を自覚していない人さえも、実は絶望を抱えているとしました。実生活においてもキルケゴール自身は婚約者であったレギーネオルセンと結婚直前に、結婚によって自分の世界が脅かされるという恐怖にとらわれて婚約を破棄してベルリンに逃げ出してしまったこと、その後生涯独身であったことで知られますが、そのキルケゴールが抱えていたのも深刻な愛着障害であったと岡田氏は述べます。
 では、岡田氏が死に至る病と表現した“愛着障害”とは一体どのような病なのでしょうか。自分を傷つけ自殺企画を繰り返す境界性パーソナリティ障害、過食と嘔吐を繰り返したり、死ぬほどやせてしまう摂食障害、薬物やアルコール、買い物やギャンブル、ゲーム、セックスなどへの依存症、意識や記憶が飛んだり、自分や身近な人にも違和感を覚えてしまう解離性障害、慢性のうつが続く気分変調症、急増する発達障害、不注意や衝動性による失敗ばかりを繰り返す大人のADHD現代社会で異様に増加し続けるこれらの症状には、“愛着障害”が関わっていることが明らかになっていると岡田氏は指摘しています。
 子供にとって母親という存在は、世話をしたりオッパイを与えてくれる存在というだけでなく、しがみついて、身をよせることができる存在であり、いったん執着が生まれると、他のものには代えがたい特別な存在になるといいます。この養育者との特別な結びつきを“愛着(attachment)”と呼びます。このことは生理学的にも裏付けられています。“愛着“は、オキシトシンバソプレシンというホルモンによって支えられる生物学的なメカニズムでもあるといいます。このオキシトシンは育児や世話という母性本能に関わるだけでなく、絆を維持することに必須の役割を果たすといいます。このオキシトシンがうまく働かないと、特別な結びつきは失われ、つがい関係が壊れたり、育児放棄をしたりということが起きることが解明されてきたといいます。このように“愛着”が不安定で、オキシトシンがうまく働かないと、ストレスを感じやすく、幸福度が低下するだけでなく、ストレス・ホルモンの分泌が亢進し、心身の病気にもなりやすくなります。“愛着障害”とは、幼少期に主に母親との間に十分な愛着関係が構築出来ずに育っていった子供が成長する過程で生きづらさや様々な精神疾患を抱えやすくなってしまう状態を愛情不足ということだけでなく、生理的な問題としても捉えた用語です。

死に至る病からの解放とスピリチュアリズム
 ここで高度経済成長以降の日本の姿と非婚化、少子化の問題との関連で考えてみましょう。多くの識者は日本の出生率の低下や少子化の原因を経済問題で説明しようとして来ました。確かにそのような側面もあることは事実かもしれません。ただ、戦前や戦後の経済状況と比較して経済的に決して貧困とはいえない現在の若者が結婚して子育てをする環境でないことを経済問題だけで説明することは難しいと思います。愛着とは別の言い方をすると世話をする仕組みだと岡田氏は述べています。そして経済的にはこれまでよりもずっと豊かになったはずの現代人が世話をするという行為に喜びが乏しくなり、愛着の仕組みが豊かな人にとっては苦痛と思わない子供を育てたり、人の世話をするということが義務や苦痛としか感じられない人が増えて、安心と信頼の絆が崩壊しつつあることを示しているのではないかと述べているのです。
 自分の子供の頃を振り返ってみても、幼少期は隣近所の家庭と常に往来があって貧しいながらもまるで家族のような付き合いをしていたように思います。それが自分自身が子育てをする時代になると、経済的には自分の子供時代よりは社会全体としては恵まれていたと思うのですが、それでも近所付き合いは殆ど希薄化して隣の人が何をしている人かわからないという状況が進んで来たように感じます。個人情報保護ということが強調されて、周りの人に対する関心が薄れ、家庭も大家族という形態が少なくなって最小単位になって来たようにも感じます。社会全体が愛着という人として不可欠な安心と信頼の絆をあまり重要視せずに経済成長という価値観を重視してきた結果が今日の生きづらさを感じる社会を築いてしまったと言えます。コロナ禍によって、リモートワークということが提唱され、高度情報化社会が更に進んでいくと働き方も更に多様化してくることが容易に予測できます。ただここで私達が立ち止まって考えなくてはならないのは、親子関係や隣近所、更には会社やコミュ二ティにおける人と人との信頼の絆をこれまで以上に重要視して、互いに絆を深めていく共有や共同という価値観の普及ではないでしょうか。
 スピリチュアリズムでは、その現実世界で最も大切な価値観を利他主義と表現しています。そして人間にとって地上生活はやがて訪れる肉体の死という過程を経て永遠に続いていく霊的生命に至る過程であり、そこで最も大切なのは霊性の向上であるという価値観が基本となっています。現代人が漠然と抱えている不安や生きることの意味を感じられない根本的な原因は、こうした人間観の欠如、そしてそのような私達を温かい目で見つめている目に見えない存在への絶対的な信頼の欠如ではないでしょうか。キルケゴールは自ら愛着障害を抱えながら“死に至る病”を神を信じられないことから来る絶望であると表現しました。岡田氏が述べているように現代人の抱える様々な精神的な病理の背景には“愛着障害”という問題が深く関わっていることは間違いのない事だと思います。ただもっと根本的な問題は、スピリチュアリズムの示している正しい人間観や人生観、世界観の欠如ではないでしょうか。永遠の価値を有する人間とは何かという疑問への明確な答えを人々が見出し、宇宙を貫く真理とは何かという問題を多くの人々が共有し、互いをいたわりあい、育みあう社会を実現していくことによって初めて人生に真の意味を見出すことが出来て、“死に至る病“を克服できると確信しています。私自身、まずは身近な家族の絆から見直して行きたいと思います。