札幌スピリチュアリスト・ブログ

スピリチュアリストとして日々感じたことや、考えたこと、書籍の紹介などを徒然なるままに記します。

【Fukushima50】の真実と今私達が考えるべきこと

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 【Fukushima50】が私達に問いかけるもの
 2019年も、もうすぐ終わりを迎えようとしています。年末年始は私達にとって過ぎ去ろうとする1年を振り返ると共に新しい年をどのような年として迎えていくかを家族とともに、また一人の人間として深く考える貴重な時でもあります。このブログを初めてもうすぐ2年が過ぎようとしていますが、改めてこの1年を振り返ると様々な出会いや、その時々に感じたことが昨日のことのように蘇って参ります。そのような思いでいた時に、映画の予告編で福島原発の真実を伝える【Fukushima50】(フクシマフィフティ)が2020年の3月に上映されることを知りました。2011年3月11日に発生した東日本大震災は、マグニチュード9.0という世界的にも近年類を見ない規模の超巨大地震であり、この地震による大津波によって東日本全体に未曾有の被害がもたらされるとともに、10メートルを超える想定外の津波福島第一原子力発電所を襲いました。

 そして浸水により全電源を喪失した福島第一原発は最悪のシナリオとしてメルトダウンによって想像を絶する被害(最悪5000万人に被害が及ぶ)をもたらすことさえも予測される正に国家存亡の危機でありました。この時、首都圏を含む東日本全体の崩壊の危機を救ったのは政府関係者でも、企業のトップでも、国会議員でもなく当時福島第一原発の所長であった吉田昌郎氏(2013年7月9日 - 食道癌のため慶應義塾大学病院で死去)と最後まで諦めることなく壮絶な闘いを展開し海外メディアが「Fukushima50」と呼んだ名もなき現場の人々でした。この映画の原作はノンフィクションライターの門田隆将氏著の『吉田昌郎福島第一原発』ですが、早速本も取り寄せて読むことにしました。門田氏は「はじめに」の中で、「本書は、原発の是非を問うものではない。・・私はただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。・・本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人たちの物語である」と述べています。私自身最も関心を持ったのも、名もなき人々の心の軌跡でした。

 小説の中身は是非皆様に読んでいただきたいのですが、スピリチュアリストとしての私がこの小説を読み、実際に東日本大震災後に宮城県の被災地を訪れた経験から今のこの時に思うことを書かせていただきます。東日本大震災は、長い日本の歴史の中でも特に自然災害という点では過去に経験したことのない大災害でした。直接の地震津波による死者・行方不明者は1万8429人(2019年7月時点)と大変な数に上りますが、今なお5万人以上の方々が避難生活を強いられています。その最大の原因が大量の放射性物質の漏洩を伴う福島原発事故による被害となっています。ただ、この時メルトダウンによる原子炉格納容器爆発による放射能飛散という最悪の事態は回避されました。それは、この著書で記された「Fukushima50」という事故現場にいた名もなき方々の尊い犠牲精神があって私達が今も生かされているということでもあります。

今求められる先人達への感謝と利他愛の実践の道
 今振り返って見ると私自身がスピリチュアリズムシルバーバーチの霊訓に触れてそれを人生の指針とすることになったのも、この未曾有の大災害と無関係ではありませんでした。また多くの方々が生かされていることの意味、愛する方々との別れを通して死とはなにかについて考えるきっかけになったことも確かなのではないでしょうか。シルバーバーチの言葉に「我欲を捨て他人のために自分を犠牲にするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外に向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。・・愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、温かすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。その段階に至った時は神の働きと同じです」(シルバーバーチの霊訓1巻8章「愛の力」より)

「Fukushima50」に登場する名もなき人々は、未曾有の危機の中にあって愛する家族や故郷を守るために自らの生命を賭けて全電源の喪失という最悪の環境の中で、最善の結果を求めて困難に挑んで行かれました。その時彼らがどのような覚悟で、その闘いに挑んでいったかを知ることによって私達はそうした犠牲精神が今日の日本の存続と繁栄の礎となっているという事実を改めて知ることが出来ました。彼らは、自ら進んでそのような事態に直面したわけではありません。日頃は私達と変わらず日常生活を送るごく平凡な人々であったと思います。しかし、その時、その瞬間に数多くの人々の運命や未来が彼らの覚悟や行動に委ねられました。そして彼らの自己犠牲の精神と冷静な判断による行為によって多くの生命が救われました。2019年を終えるにあたって、もう一度9年近く前の出来事に思いを馳せると共に、人としてどのような内面のあり方が、最も大切なものであるかを改めて考えるきっかけにしたいと思います。皆様もどうぞ、新しい年を迎えるに際して今生かされていることへの感謝と利他の心を持って迎えられますよう祈念して今年最後のメッセージに代えさせていただきます。

※「Fukushima50」の公式サイトは以下
https://www.fukushima50.jp/
 

 

持続可能な世界の実現~地球倫理からスピリチュアリズムへ~

 

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デイヴィッド・クリスチャン著『オリジン・ストーリー』138億年全史

オリジン・ストーリーに見る地球人類のルーツ 
 先回のブログを書くことと前後してこれからの自分のミッションとも関係してきそうないくつかの書籍に出会いました。一つは先回のブログでも紹介したユバル・ノア・ハラリ氏の最新刊の『21Lessons』です。そして今回紹介するのはオーストラリアのマッコーリ大学教授(同大学ビッグヒストリー研究所所長)のデイヴィッド・クリスチャン氏の『オリジン・ストーリー 138億年全史』です。『21Lessons』に関しては一部先回のブログで述べさせていただきました。いずれの著者も現代を代表する知の巨人ですが、共通しているのは現在の科学技術によって明らかにされた宇宙史、地球史、人類史という共通認識を基盤として、これからの人類の或いは世界の方向性について様々な視点から俯瞰して書かれている点です。
 中でもスピリチュアリストとして最も影響を受けたのは今回紹介する『オリジン・ストーリー』です。これまでの私が書かせていただいたブログを読んでいただければ、おわかりと思いますが、私がスピリチュアリズムに興味を惹かれ、今では人生を生きていく上での指針となったのは、事実として死後の世界が存在し、人間の想像上の存在としてではなく、現代人の理性や知性を持ってしても多くの点で矛盾をきたすことなく納得の行く普遍の真理として明らかにされたその思想体系にありました。高級霊からの通信内容を読み進め、それを行動原理として日々の人生を歩んでいく中でそれは徐々に確信に変わって行きました。今回読ませていただいた『オリジン・ストーリー』は現在の科学技術や文化人類学、考古学などの蓄積された人類の英知を集めて明らかにされつつある宇宙誕生から今日私達が生きる現代までの宇宙史、地球史、人類史を人類全体の共通認識(一つのビッグヒストリー)としてまとめられた書物です。
 シルバーバーチの霊訓を始めとして高級霊からの霊界通信を体系的に整理して分かりやすい形でまとめられたスピリチュアリズムの思想体系は、それ自体が人類史の中で至高の価値をもったものですが、『オリジン・ストーリー』は客観的な事実として宇宙の誕生から現代までを一貫した納得の行く知見として私達に与えてくれます。人類はこれまで、自分たちのルーツについて科学的な方法論から、また一方では人文科学や宗教的なアプローチなど様々な方法論で、世界の真の姿を探求して参りました。ここ100年間で科学技術の普及によって人類は急激な人口の増加によって膨大な化石燃料を始めとして地球上に蓄積されて来たエネルギーを消費して、地球生態系に不可逆的な影響を与え、このままの勢いでの成長発展が不可能な臨界点を迎えました。1970年代にローマ・クラブが『成長の限界』というリポートを出して、其の頃から持続可能な世界の実現ということが言われて来ました。また以前のブログで紹介したバックミンスター・フラーは1963年に『宇宙船地球号の操縦マニュアル』を世に出して、宇宙から地球を見るという視点、グローバルという視点を与えてくれました。

スピリチュアリズムによる精神革命と科学的思考の接点
 2015年9月の国連サミットで採択されたSDGs(Sustainable Development Goals)「持続可能な開発のための2030アジェンダにて記載された2016年から2030年までの国際目標」は国連だけでなく国や企業や個人にとっても共通の課題となっています。つまり人類は物質的な成長・発展モデルの限界を知って、今日持続可能な世界を実現するために地球レベルでの真のゆるやかな共同体モデルを模索せざるを得ない状況に来ているのです。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)などもそうした一連の動きの一つです。また資本主義という経済システムも様々な矛盾を呈し、神の見えざる手だけに頼っているだけでは事態は解決できないことに多くに人々は気づきつつあります。
 『オリジン・ストーリー』を読んでみて、改めて今人々はトータルな意味での人類(ホモサピエンス)の歴史を現代の最先端の科学が明らかにした知見を基に再認識するとともに、3次元の物質的な枠を超えて死後の世界も含めた深い精神性に基づくトータルな世界観、人生観を再構築する時期に来ているのではないかと感じました。1848年から始まったスピリチュアリズム運動は、死後長い時間を霊界で過ごして来た高級霊達が危機に陥っている人類の未来に希望の灯火(ともしび)を与えんとして地上の霊媒を通して伝えてきた最高の英知(叡智)です。地上人類は科学的思考という武器を手にして、これまで先祖から受け継がれて来た知識をDNAという形式だけでなく客観的事実として、宇宙を正しく認識しようと努力を傾けて来ました。それが現代科学の礎であり、人文科学の礎です。スピリチュアリズム運動によってもたらされた霊的真理は他界しても尚生き続ける高級霊がある意味で私達の大先輩として人類全体に贈ってくれた最大のギフトです。私達は危機の時代を生きると同時に、最大の恩恵に預かることができる時代にも生きていると言えます。是非、多くの皆様が今回紹介した『オリジン・ストーリー』を読まれるとともにスピリチュアリズム普及会のまとめられた『スピリチュアリズムの思想体系』に触れる機会を持っていただければ幸いです。 

◯オリジン・ストーリー 138年全史 (下記御覧ください)
https://www.chikumashobo.co.jp/special/origin_story/

スピリチュアリズムとは (スピリチュアリズム普及会のHPより)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/index.htm

 

 

 

「無知の知」と今日における真理を探求することの重要性

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 1787年、ジャック=ルイ・ダヴィッドによって描かれたソクラテス

ソクラテスの説いた不知の知の自覚とフェイクニュース
無知の知」とは、古代ギリシアの哲学者であるソクラテス(紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)の「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を表現した言葉です。「無知」ではなく「不知」の方が適切であるという論もあります。それは、無知とは知識が欠けることや愚かなことを意味していますが、ソクラテスが自覚しているのは「知らないこと=不知」であるためです。インターネットの流通によって世界中で起こったであろう出来事が比較的短時間にニュースとして多くの方が触れる機会が増えて来ました。このようなブログやSNSを通して、私達はテレビや新聞で流れている報道というある種のフィルターがかかった情報だけでなく編集という作業を通さずに個人が発信する情報に触れる機会も多くなっています。
 一方で先回の米国の大統領選挙ではフェイクニュースという言葉が多く使われましたが、何者かが意図的に情報を操作してそれによって事実が捻じ曲げられて伝わるということが頻繁に起こっているとを多くの人が感じ始めています。ベストセラーになった「サピエンス全史」で知の巨人として世に知られるユヴァル・ノア・ハラリ氏は最新刊の「21Lessons」の中で、「ポスト・トゥルース」の章でこうしたフェイクニュースは現代に特化した特色ではなく何十億の人が2000年以上信じたものは例え虚構であってもフェイクニュースとは言わず、宗教となる場合もあると大胆な表現を用いています。ハラリ氏は、宗教の果たしてきた人類への多大な貢献という事実を決して過小評価しているわけではありませんが、事実に照らしてその功罪についても客観的に述べているのです。ハラリ氏は1976年に生まれたイスラエルに在住するユダヤ人ですが、ユダヤ教も含めて他の一神教全体を歴史の中で客観的に位置づけて、その功罪について冷静な目で明らかにして参ります。それは、宗教に限らずマルクス主義スターリニズムについてもそれによってどれほど多くの人類が犠牲になっていったかを歴史的な事実を通して明らかにしているのです。

何が真実かを見極める目の重要性
 最近観た映画でも「バイス」というハリウッド映画が正にこのフェイクニュースによってもたらせられた悲劇を扱った映画でした。それは米国における9.11同時多発テロからイラク戦争に至る過程で、テロの首謀者はウサーマ・ビンラディン率いるアルカイダであるが、フセイン時代のイラクテロ支援国家であり、大量破壊兵器を製造して米国をはじめとした西側諸国を攻撃しようとしているという根拠のないフェイクニュースがその原因であったことを暴露しています。当時のマスコミは米国の当時の権力者の意図的なフェイク情報を流し続け、結果としてイラク戦争が起きてバクダッドが陥落し、公衆衛生専門家が行った2013年の調査ではイラクでは約50万人の命が直接的、間接的に奪われたと言われています。
 マスメディアだけでなく、個人が情報発信するブログに至るまで私達が目にする情報は多岐に亘っています。例えば地球環境の変動という事実は多くの人々が共有していますが、地球が温暖化に向かっているのかどうか、その主要な原因が人間社会で発生した二酸化炭素が主要な原因であるのかについては、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)などの多くの国際機関が警鐘を鳴らしていますが、もう少し長い目で見れば現在は間氷期であり、氷河期に向かっているという識者もいます。つまり同じ地球上に生きていても、寄って立つ基盤や学説によって全く違った結論に至ることもあるのです。
 私達は全知全能ではない以上、限られた情報の中からできるだけ意図的なフェイクに流されずに自らの理性と持てる知識や知恵によって真実はどこにあるのかを追求せざるを得ません。皆が同じ方向を向いている時には特に注意が必要です。私達は今になって2度の世界大戦、日本にとっては特に太平洋戦争は如何に愚かな戦争であったかを訴えることに殆どの人は反対しないでしょう。では1930年代に日本で生活していた人々の中でどれだけの人が米国との戦争に正しい根拠を持って反対することが出来たでしょう。

人類史を俯瞰して見る目と霊的視野の必要性
 全てのことがわからなくても私達には、一つだけ確かなことがあります。それはソクラテスの言葉を借りれば、自分が不知=「知らないことを自覚する」ということです。その上で、今世界で起こっていること、自分の身の回りで起こっていることは果たして如何なることかを高いアンテナを持って、冷静に極力感情を交えずに理解しようと務めることが重要です。ハラリ氏は、「サピエンス全史」では、人類の過去を見渡し、ハラリ氏の言葉を借りれば、ヒトという取るに足らない霊長類が地球という惑星の支配者となる過程を考察しました。また「ホモデウスーテクノロジーとサピエンスの未来」では、生命の遠い将来を探求し、未来の人類の姿を考察しました。そして、最新刊の「21Lessons」では今、ここ(現代)にズームインしたと述べています。
 まだ著者の三部作全てを読めてはいませんが、実に客観的に今日の人類の姿を偏見を交えずに叙述している点は素晴らしいと思いました。スピリチュアリストの自分として、一つだけ考慮して欲しい点は、今見えている現実という世界が全てではなく、人間は人生を終えた後も永世する存在であり、肉体の死後も霊的世界で永遠に行き続けるという事実です。科学的に証明できない部分もまだまだ多く存在しているとはいえ、誰も否定する根拠も存在しないこの問題も是非考察していただきたいと思います。ただ現代人として世界をどのように見つめるかについては共感することの多い著書でした。現実世界に生きる私達は、様々な情報が絶え間なく行き交う今日の世界にあって、何が真実であるのか、そして宇宙を支配する真理(法則や摂理)とは如何なるものであるかをこれからも謙虚に求め続ける必要があります。私自身、これからも真理を探求し続け、常に謙虚に自分の不知を自覚しながら、理性と今の段階での霊的視野で世界を俯瞰できるように努めていきたいと感じています。
 

 

現代人が抱える精神的危機とスピリチュアリズム

 

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科学技術の急激な進歩に戸惑う現代人

 21世紀の約20年を経過した今日、科学技術の発展は急激なカーブを描きながら私たちの生活に大きな変化をもたらしつつあります。高度に発達したICT技術やバイオテクノロジー遺伝子工学などの生物学的な技術はこれまでの人類歴史のどの時代においても実現しなかった人と人がオンラインでつながるという世界を実現し、そうした外部環境の変化だけでなく人体の生物学的な環境をも一変させようとしています。こうした科学技術の発展に伴う急激な変化は、内面の精神的な発展や成長という裏付けがあっての変化であれば、歓迎すべきことですが本来備わっているはずの内面の成長による心の豊かさや幸福感という視点から見るならば私達の内面は決して満足できる状況とは言えません。外部環境の急激な変化に対応できないまま多くの人々が将来に対する漠然とした不安や現実に差し迫った様々な危機に対処できないでいます。地球環境全体に及ぶ生態系の危機や資本主義という経済的なシステム全体の危機、人々の相互不信や物欲を根底においた紛争や戦争、テロリズムの横行など日常生活を送りながらも、危機の本質を理解できないまま時代の変化に翻弄されているというのが私達の実情ではないでしょうか。
 現在急激に進行している高度な情報革命、AI革命は労働市場にもかつてないインパクトを与えようとしています。オンラインに繋がったのは、人間だけでなく全てのモノや情報、そして高度に発達した人工知能です。私達は、ものごとを考えるという極めて人間らしい行為においてすら、例えばグーグルなどの検索エンジンというある種のAIのアルゴリズムの力を借りることが当たり前となっています。今こうして私自身ブログで情報発信をしようとしていますが、こうした行為自体が高度なICT技術の恩恵を受けて安価に実現しているのです。今のAIブームは機械学習やその中でも深層学習(デープラーニング)に支えられていますが、全脳アーキテクチャという段階に至らなくても、この分野の社会実装がこのままの勢いで進んでいくだけで、多くの職業が人を介在しなくてもある程度出来てしまう時代が迫っています。モノとモノとがインターネットにつながるIoT(インターネット・オブ・シングス)とAIが結びつくことで、製造業では無人化が進んで来ましたが、この変化はあらゆる産業に及んでいき、人とコンピューター、人とAIの共存という時代を経て、近い将来これまでの人の労働によって成り立っていた生産活動が人がいなくても全自動で行われていくということが夢ではなくなるでしょう。社会制度や人々の価値観が今のままでは、その変化は人類の幸福に結びつかないと警鐘を鳴らす識者も多くいます。

高度物質文明の危機とスピリチュアリズムによる精神革命の進展の兆し
 こうした急激な時代の変化の中で私たちは果たして生きがいのある充実した人生を送っていけるのでしょうか。人生100年時代と言われますが、果たして将来に何の不安もなく急減な変化の時代を生きていけるのでしょうか。もし不安の方が多いのであれば、その処方箋はどこに求めれば良いのでしょうか。もちろん処方箋は決して単純なものではありません。様々なものが複雑化した今という時代、絶えず変化し続ける現実の世界だけにその答えを求めても、誰もが納得できる答えを見出すことは出来ません。人々は今日、古来から探し求めて来た自分自身が理性においても、感性においても納得できる普遍の人生観、価値観をこれまで以上に必要としているのではないでしょうか。人間とは何か、何故人は生まれて来たのか、肉体の寿命を終えた後(死後)はどのようになっているのか、自分だと思っているものの本質は何か、神は存在するのか、存在するとすれば如何なる存在か、宇宙が神によって創造されたとしたらその目的は何か、人が人を愛するとは如何なることか、こうした内面の目には見えなくても、普遍的に存在する真理を私達は何よりも求めているのではないでしょうか。今から10年近く前に、人生における最大の試練に直面して、こうした根本的な疑問を持って人生行路を彷徨っていた私は、スピリチュアリズムに辿り着き、そしてシルバーバーチの霊訓に出会うことが出来ました。そして深い絶望の底から引き上げられて、絶対的な確信をもって他の誰のものでもない自分の人生を歩み始めることが出来ました。
 人生において何を成し遂げなければならないか、それはもちろん各人異なるわけですが、普遍の真理に立脚して今与えられている環境の中で、精一杯歩むことはどなたでもできることです。私自身、残された地上での人生を価値あるものにしていくために日々積み重ねて行きたいと思います。今人生で課題を抱えている多くの方々に是非高級霊であるシルバーバーチの無限の叡智と絶対的な利他愛に触れる機会が訪れて、希望と喜びの人生を歩んでいただけることを願ってやみません。

苦しい時、悲しい時こそ内奥の霊的資質が顕現する好機

 

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 人は、誕生してから幼年期、少年(少女)期、青年期、壮年期、そして人生の黄昏を迎えた老年期と人生行路を歩んでいく中で、様々な人との出会いや出来事を通じてその時、その瞬間でなければ経験することの出来ない多くの体験を積んで参ります。時には、楽しく暖かさに触れる体験や出会いもあるでしょうし、辛く苦しい体験や、切ない思い出、悲しい体験など其の時々に体験する思いは千差万別です。私自身これまでの人生を振り返るとこうしたかけがいのない日々の歩み一つ一つが今の自分という存在を形づくっていると感じることが多々あります。失敗したことや過ちをおかした事も含めて全てが今の自分というものを形作っていると言えましょう。問題は、その貴重な経験や体験や出会いを如何に人としての人格の成長につなげていくことが出来たのか、ある意味で霊性の向上につなげることが出来たのかが何よりも問われる内容であると今は思えます。
 そうした人生を歩む中で今思い出しても心が痛むような苦しみを伴った経験も通過してきたように思います。シルバーバーチの霊訓の中にも「進化とは、不完全なものが少しづつ完全になっていくことを意味するのですから、それは当然苦を伴う過程であるはずです。」という言葉があります。苦しみの中でもがき苦しんでいる最中には、目の前は真っ暗闇で希望の光が見えないと感じます。まして自分が信じていたものが音を立てて崩れたように感じた時、愛している存在から裏切られたと感じた時、大都会の中で自分が孤立していると感じた時、心や身体が病気に蝕まれた時、社会組織の中で理不尽な扱いを受けていると感じた時、自然災害や不慮の事故でかけがいのない人を急に失った時、愛する人が或いは自分自身が癌の宣告を受けた時、人はまるで奈落の底に突き落とされたかのような苦しみや悲しみを感じます。
 第二次世界大戦の最中で行われたある日の交霊会でシルバーバーチはこのように述べています。「真の信仰を身につける好機はすべてのことが順調に行っている時ではありません。そんな時に信仰を口にすることは誰にでもできることです。暗黒の時に身に着けたものこそ本当の信念と言えます。太陽がさんさんと輝き、何の苦労もなく、前途に何の心配もない生活を送っている時に私は神を信じますというのは容易なことです。しかし、そんな呑気な生活の中での信仰の告白には何の価値もありません。中略 風が吹こうが嵐が狂おうが世界がいかに混乱し全てが暗黒に包まれ絶望的になろうと、宇宙の全生命を創造し神性を賦与した力は決して自分をお見捨てにならないと信じる。中略 宇宙の大霊すなわち神の力はあなた方人間を通して流れるのです。もし人間が確固たる不動の冷静さを保ち得ずに怖気づいてしまえば、その力は発揮されません。あなた方一人一人が神なのです。神はあなた方から切り離された何か別の存在ではないのです。宇宙の大霊というのは何か形のない、遠い宇宙の果てにふわふわ浮いている靄のような存在ではありません。人間の内奥に宿された霊的な資質を発揮すればするほど、それだけ宇宙の大霊をこの世に顕現したことになります。これは是非学んでいただきたい教訓です。霊が進化するということはそのことを言うのです。そうやって個性が築かれていくのです。成長するというのはそういうことなのです。」(シルバーバーチの霊訓3巻 2章「悲しい時、苦しい時こそ」より抜粋)
 身近な私たちを取り巻く日常の人間関係から、地球上に住むすべての人々に至るまで思いを馳せてみると、一方で相互の信頼や真の利他愛による心あたたまる光景を目にすると同時に、他方では利己的な思いから生ずる不信や分裂や憎悪による様々な出来事が世界を覆っているようにも感じます。私たちが住む母国である日本も例外ではありません。20世紀は2度の世界大戦を経て人々は、人間の利己性に根ざした相互不信を遠因として生ずる戦争の代価が如何に大きなものかを教訓として学んだはずでした。また無神論や唯物主義が人間に幸福をもたらすものでないことも事実として学んで来ました。しかし、21世紀に入って20年近くを経過した今尚、私達は根本的な不安や恐怖から開放されてはいません。それは、人間の本質が神の分霊として誕生した霊であり、本来は深い利他愛を心の内奥に秘めた存在であること、宇宙を創造した神とはいかなる存在であるか、生きる意味とは如何なることか、深い神性に根ざした利他性を伴う愛とはいかなるものか、そして真の幸福とは何か、このような人として持つ根本的な疑問に対する答えを見出すことが出来なかったからです。今日、こうした全ての人々がその答えを模索してきた疑問に対して明確な回答をもたらしたものが、1848年のフォックス家事件を契機として高級霊からの通信によってもたらされたスピリチュアリズムであり、その中でも最高峰の真理として示されたシルバーバーチの霊訓なのです。
 多くの人々は今、幾多の困難と苦しみの中にあって永遠に色褪せることのない不変の真理とは何かを求めています。どうぞ多くの悩める魂が、この真理の光に触れて絶望の淵から希望に満ちた人生への扉を開いていただけるように願ってやみません。
 
 

 

 

大分岐に差し掛かった人類の霊性向上への道

 

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 霊性の進化・向上に向けた日々の歩みの中で、これまで気づかなかったできごとの中に大切な真理が隠されていることを知る機会があります。霊性の進化・向上とは常に日常生活の中での自分の生き方(過ごし方)、他者との関わり、日々瞬間・瞬間の判断など生活の中で少しづつ磨かれていくものです。自分という存在の内面を深く深く掘り下げていくと表層意識(喜怒哀楽を伴った日々の営みに感応する心・顕在意識)を越えて、潜在意識(根源的な霊的意識)の先に安らかで非日常的な安寧の境地に至る瞬間があります。私達は現実世界の中で肉体をまとい、物質的な次元の制約の中で表層意識(顕在意識)の中に閉じ込められているので、霊的知識としては、自らの本質が霊であると頭で分かっていても実感として霊的意識に通ずることは中々出来ません。霊的意識に心の照準を合わせてたとえ瞬間的であっても一日一度は、潜在意識の奥底にある霊的意識に触れる機会を持ちたいと思います。

 量子論的世界観では、私達という存在は低次元から高次元に至る波動の中に存在しており、意識というある意味では肉体から独立した高次元の精神エネルギーを脳という変換装置を使用して物質次元にバイブレーションを落として、肉体の動きに反映させて例えば肉体労働や執筆などの知的活動を行っていると考えることができます。私達はそのメカニズムを日頃は殆ど意識することなく当たり前のものとして生活しています。しかし、深く考えてみると肉体から独立して存在する高次元の意識体こそが自分と思っているものの本質であることを実感できると、肉体という乗り物が消滅した後もその本質(霊)は消え去ることはないことも実感できるようになります。脳は物質世界と高次元の精神世界(霊的世界とも表現出来ます)を繋ぐ媒介装置であり、脳の中に意識が閉じ込められているわけではないことを自覚することこそ、自分という存在を正しく認識する第一歩だと今は思えます。

 スピリチュアリズムという言葉が問題ではなく、自分という存在や自分を取り巻く世界がどのような構造から成り立っているのかを正しく知って、正しい理解に基づいて日々の現実を生きていくことが真の自己実現であり、真の幸福に繋がる道であると今ははっきり思えます。そのような観点から現実世界を見つめてみると、先回のブログでも紹介しましたが、デカルト以来の要素還元主義的な考え方に基づく目に見える物質に偏重した現代医学の限界もはっきり見えてきます。人間とは異なるバイブレーションを持つ肉体や高次元の霊体が重なり合って共存している存在であり、主体は3次元的物質次元に表現されている肉体(細胞の集まり)ではなく、より高次元の意識体(こちらも階層的に存在する)です。肉体はその高次元の意識体(霊)が宿って初めて生命体として存在できる精巧にできた道具であることがわかれば、これまでの病気に対する考え方や健康に関する考え方にも変化が訪れると思います。

 人類は今、大きな分岐点に差し掛かっています。目に見える物質(3次元的に表現されている存在物)を中心とした偏った価値観によってこれからも存在し続けようとするのか、自分が現実と思っていることを越えた高次元の意識体も合わせたトータルな価値観に基づいた世界観を共通の価値観として生きていくのかの分岐点です。80億人に近づく地球人口の増加、資源の枯渇、人為的な原因による地球環境の悪化、物質(資本・お金)をその価値の中心に据えた資本主義システムの様々な矛盾、絶え間なく発生する国際紛争テロリズムの横行など、これまでの価値観では解決できない矛盾が目に見えて地球全体を覆っています。

 こうした問題を前にして今何より私たちに求められているのは、目に見えるものだけが全てであるという偏狭な時代遅れの価値観を脱却して物理学では常識となりつつある量子論的な世界観、更にはスピリチュアリズムが示し続けているトータルな世界観に基づく普遍的な価値観を理性で判断して受け入れて、それを少しづつ広めていくことではないでしょうか。私自身そうした価値観に基づく生き方を日々重ねていきたいと考えています。

 

 

 

「思考のすごい力」の読後感と現代医療や生物学の限界

 

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 休日を利用して米国の細胞生物学者のブルース・リプトン著「思考のすごい力」~心はいかにして細胞をコントロールするか~(原題は“The Biology of Belief”)を読みました。5月18日付けのブログでドーソン・チャーチ著の「思考が物質に変わる時」の読後感について触れましたが、このリプトン氏の「思考のすごい力」では信念は細胞を変え、人生を変えるとということを学術的な見解として述べているところが画期的です。

 私自身ここ数ヶ月、スピリチュアリズムの思想の中で、生物とは何か、人間とは何か、人間を取り巻く世界について(特に量子論も含めた広い意味での世界について)考え、思考を巡らせていました。そこで、出会った本が先日紹介した米国ホリスティック医療協会創設者のドーソン・チャーチ博士の「思考が物質に変わる時」と今回の世界的に著名なアメリカの細胞生物学者であるブルース・リプトン博士の「思考のすごい力」です。

 この書物の中で 衝撃的な箇所を引用します。第4章「量子物理学が生物学・医学を変える日は近い」の中で「実は米国人の死因の第1位は医原病(医療行為が原因となって生じた病気)である。副作用のために死に至ることもある」という箇所です。治療に用いた薬品の副作用の例としてリプトン氏は「女性の閉経に伴って起こる更年期障害に対して、合成エストロゲンの処方が当たり前に行われている。・・・この薬品は心臓や血管、神経系のエストロゲンレセプターにも影響を与え、これらの働きを撹乱する。そのため、合成ホルモン補充療法は重大な副作用を伴い、心血管症患や脳卒中などの神経系の機能不全を引き起こすことが明らかになった」と書いています。つまり現代医学が物理学では主流になりつつある量子論的な世界観を殆ど考慮せず、ニュートン力学の世界観に立脚し、細胞についてもその真のメカニズムを理解せずに、悪性の細胞を正常化しようとして投与した薬品がそれ以外の正常な細胞の機能にまで良くない影響を与えることを真に理解していないからだと述べています。また遺伝子は単なる細胞の設計図にすぎず、人間の意識や環境が細胞をコントロールしていることを突きとめていきます。

 後半のエピローグでは「地球はひとつの生命体である」(ガイヤという考え)や「わたしたちは宇宙/神の一部の現れ」というセクションがあり、「神とは宇宙を構成する環境全体のことなのだ」とも述べています。著名な生物学者の著者がなぜ、そのような価値観に至ったのかは是非この本を手に取って読んでいただきたいのですが、宗教とは無縁の量子論を打ち立てた物理学者やこの本の著者のリプトン氏のような生物学を深く探求した学者がわたしたちがこれまで目にみえるものだけを全てだと考えてきた物質至上主義が世界のほんの表面をなぞった考えに過ぎず、深い精神世界の真理、量子論が示すモノと思っているものの本質は結局エネルギーであることを正しく理解し、それを現実世界に当てはめない限り、現実問題の真の解決はないといことを示しているのです。

 これは単に量子論が明らかにしつつある世界がミクロの世界の問題というだけでなく、私たち人類が直面する医学や生物学の分野でも無視できないところまで来ていることを明確にしているのです。人類はニュートンの示した世界では常識だった考えから一段階飛躍して世界が「見ることができなくても実在する世界」と「物質を中心とする見える世界」から成り立っていることを事実として受け入れる段階に来ているのではないでしょうか。